いま、甦るインカの遺産

2005年6月6日

■貧しい人々の救いとなるか～「黄金の米」

　バチルス菌毒素を組み込んだトウモロコシや除草剤耐性大豆など、遺伝子組み換え作物は、いま世界中で4000万ヘクタール以上で作付けられている。そして、遺伝子組み換え技術は第二段階に入りつつある。世界の貧しい農民たちを救うための近代技術の応用である。例えば、飢餓、貧困地域でのビタミンA不足は、年間50万人以上の失明や100～200万人の死亡要因となっている。そこで、登場するのが、遺伝子組み換え技術によって開発されたビタミンA強化米「ゴールデン・ライス」である。スイセンの遺伝子を組み込むことで、米がベータカロチンを作り出すようになり、ベータカロチンによって黄金色を帯びていることからこの名が付いた。

　ベータカロチンは人体内でビタミンAに変換されることから、コメを主食とする開発途上国でのビタミンA欠乏症を解決する切り札として期待されたのである。この米の発明者は、スイスのインゴ・ポトリカス教授やドイツのフライブルグ大学のペーター・ベイヤー教授の二人だが、生産技術の開発・商品化にあたったのはモンサントやシンジェンダ社等だった。うち、シンジェンタ社は、2000年5月に生産額年間一万ドルを商業的な生産か否かの基準とし、それ以下の開発途上国の自給的農家に対しては無償でその使用を認めるとした。また、同年8月にモンサント社も発展途上諸国の栄養状態改善に向けた努力の一環として、ビタミンА米の技術を無償で提供する意向を表明した。

　だが、これに対して、インドのヴァンダナ・シバ博士は、一日当たりのビタミンAの必要量は750マイクログラムであり、これを全てビタミンА米で補うには、日量2キロ以上もコメを食べる必要があること。また、ビタミンAは途上国で生産されている野菜・果実や牛乳、レバーに多く含まれていることから、ゴールデンライスは「まやかし」だと批判した。

　また、カリフォルニア大学バークレー校のミゲル・アルティエリ教授も「ビタミンА欠乏症が生じる原因は、米にビタミンAがほとんど含まれていないからではなく、貧しさのために米以外のものをほとんど食べられないからだ。貧困や貧しい食生活、モノカルチャー農業などの問題をおきざりにして、ビタミンА米という『速効薬』的解決法をとったところで、健康な生活に永続的な貢献をすることにはならない」と述べ、ビタミン類やその他の栄養分を豊富に含んだ葉物野菜を水田やその周囲で栽培し貧しい人々の食生活改善に力を注ぐことの方が大切だと主張した。

■遺伝子組み換え技術よりも古代農法を

ミゲル・アルティエリ教授は、カリフォルニアー大学バークレー校で教鞭をとるアグロエコロジーと持続可能な農業システム設計の世界的な権威である。自給自足農民のための作物保護戦略 (1993)、アグロエコシステムでの生物多様性と病害虫管理(1994) 、持続可能農業の科学 (1995)、アグロエコロジー(1995)等多数の著作に加え、200以上の専門論文を発表している。

だが、ミゲル教授は、象牙の塔に閉じこもる机上のエリートではない。ラテンアメリカの出身で貧しい農民たちの姿を目にしてその幼い日々を送った。そして農業問題を解決するための情熱を育んだのである。それだけに、教授の関心は、発展途上国の貧しい農民のためのオルターナティブ農法を開発することにあり、ＮＧОと連携し、アフリカ、アジア、ラテンアメリカで持続可能な農業プロジェクトの推進にもあたっている。そして、多くの時間を持続可能な農業システムの研究や実践に費やした結果、こう述べるのである。

「私は西洋で訓練はされましたが、古代の農業システムを研究した後、すぐに、西洋の知識が第三世界農業の複雑さに対処するためには不完全であるとわかったのです」。

　そう語るミゲル教授が最も絶賛するアグロエコジカルな農法のひとつが、ペルーのワル・ワルス農法である。もちろん、ミゲル教授はキューバにも大変な関心を寄せ、多くの論文を書いているのだが、今回はインカの故郷、ペルーへと飛んでみよう。

■いま、甦る紀元前の古代農法

　1996年だからわりと古いが、若き日のダライ・ラマとオーストリアの世界的な登山家ハインリヒ・ハラーとの魂の交流を描いた「セブンイヤーズ・イン・チベット」という映画があった。もちろん、チベットでは撮影ができない。映画に登場する光景はアンデス山脈でロケをしたのだが、雪氷を抱いた峰々や荒涼とした高原沙漠の風景といい、画面を見ていてまったく違和感がなかった。

　このことからもわかるようにアンデス山脈の環境は苛酷だ。6960mのアコンカグアを最高峰に、6000mを越す高峰が20座以上聳え立つ。インカ発祥の地とされる有名なチチカカ湖は海抜3812m。周囲の盆地は、季節的な浸水や旱魃に見舞われ、夜間の冷え込みで作物は枯死する。

　だが、アンデス山脈には、古代の農地の痕跡が各地に残されている。例えば、ペルーには100万ヘクタールに及ぶテラスがある。今はその75％が打ち捨てられているか、散発的に耕作されているだけだ。また17万ヘクタール以上の「高く盛り土した圃場」の痕跡もベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア等各地で見つかっている。かつては、こうした農地が使われ数百万の人々の暮らしを支えていた。

　考古学の資料によれば、とりわけ、地元のケチュア語で「ワル・ワルス」として知られる農法が、海抜4千メートルもの高原で農業を営む上で効果があったという。古代農法は、どのように機能していたのであろうか。ことは今から20年前にシカゴ大学の人類学者アラン・コラータが、その実態を知るために、地元コミュニティの助力を得て、数千年前の伝統的な農具を用いてワル・ワルスの復元を始めたことに発する。

　結果は驚くべきものだった。古代農法は見事に機能しただけでなく、通常の三倍もの収量をもたらしたのだ。ボリビアには紀元前から発達し、西暦800～1000年前後には最盛期を迎え、その影響はペルー、チリ、アルゼンチン北部にまで及んだプレ・インカとしてティワナク文化がある。アラン・コラータは、ワル・ワルス農法は古代のティワナク文化由来のもので、紀元前500年まで遡るものだとした。

　貧しい農民には、高額な農業機械や化学肥料は手に入らない。飢餓をはじめとして山岳地域特有の農業問題が解決できない中、古代農法の可能性に期待をかけたＮＧОやペルー政府は、この研究に本格的に乗りだした。ＮＧОと政府機関は1984年にワル・ワルス再生プロジェクト(PIWA＝Proyecto Interinstitucional de Rehabilitacionde Waru Waru en Altiplano)をスタートさせる。その結果、化学肥料を一切使わずにウアッタ地区ではヘクタール当たり8～14 トン、カムハタ地区では13トンのジャガイモ収穫が得られた。化学肥料を用いた通常の栽培でも、平均収量が1～4トンしかないことからして、これがどれほど驚異的な数値であるかがわかるだろう。

現役復帰したﾜﾙ･ﾜﾙｽの風景

　ワル・ワルスが機能するにはちゃんと科学的な根拠がある。寸法は場所によって多少異なるが、一般的には約90センチ高、3.5～9メートル幅、9～90メートル長の盛り土した圃場と、その周囲を取り囲むほぼ同様の規模の運河のセットからなる。ジャガイモやキノア(アンデス産の穀物)といった作物は、この盛り土の中で栽培されるのだが、周囲を取り囲む運河が有機物や泥をため、水中の水草が窒素分に富む緑藻類の住み処となり、天然肥料を提供するのである。運河の水は日中には強い赤道直下の日差しを浴びて暖まり、夜間も４度程度の水温を保つ。これが、温暖な微気候を作りだし、厳しい冷え込みや凍結から作物を保護するとともに、生育期間を伸ばす。さらに、運河と盛り土のセットは洪水や旱魃からも作物を守る。1983年には地域は激しい旱魃に襲われ、近隣の慣行農業は大打撃を受けたが、運河に溜まった水が潅漑用水として役立ったし、1986年には逆に氾濫にみまわられたが、盛り土圃場はこれを見事に乗り切った。

　チチカカ湖西側のアイマラ族の集落では、5年前に圃場を復元したのだが、農法は大きな成果をあげ、地元住民は次のように口にする。

　「以前、この地域はつねに水に使っていました。ですが、今、私たちにはワル・ワルスがあります。土地が役立つようになったのです」。「古代技術は私らの先祖のことを想起させます。ご先祖様は実に素晴らしいアイデアを持っていたのです」。

　古代農法は長い間忘れ去られていた。だが、今では旱魃、洪水、霜害から作物を守る手段として、チチカカ湖周辺の多くのコミュニティで甦っている。1986～2001年にかけては約15グループが4000ヘクタール以上のワル・ワルス復元した。世界的にも貴重な土着農法としてＦАОにも認識されている。

　だが、地元のプログラム責任者であるアルピコ・カナウア氏は「私にとってはワル・ワルスは解決策ではありません。それは選択肢のひとつにすぎないのです」と主張する。彼は「アンデネス」として知られるインカが構築した急斜面耕作用のテラスや「コチャス」と呼ばれる潅漑用の溜め池等、ワル・ワルス以外の古代の技も組合せて活用することを検討しているのだ。

■インカの古代テラスの復元
　アルピコ氏が言うように、ペルーではＮＧОと地方自治体との連携によってインカの古代テラスを修復するプログラムも取り組まれている。ペルーはアマゾン側は熱帯林、太平洋沿岸は沙漠であり、農地の大半は山岳地域内にある。この地形要因はペルーの経済開発の大きな制限となっているし、土壌浸食による地力減退が農民たちの貧困の原因にもなっている。米国農務省は作物栽培を行なうには土地の傾斜はせいぜい12度が限界だとしている。だが、古代のペルー人はテラスと灌漑用水路を構築することで土壌浸食と低生産力の問題を解決してきた。古代インカのテラスの凄みは45度よりも急傾斜の斜面でも農地として維持できたことにある。テラスは、土壌損失を減らすことに加え、霜や旱魃の被害を最低限に抑え、微気候を作りだし、生産性を高め、作物の選択肢を広げる。


マチュ・ピチュに残る古代テラス	モライのテラス。微気候の実験農場だった

　例えば、カハマルカという場所がある。紀元前から人々が居住し、カハマルカ、チャビン、ワリ文化などインカ以前の考古学的史跡も豊富にある。カハマルカは1532年のスペインとの闘いで生け捕りにされたインカ帝国最後の皇帝アタファルパが軟禁された場所としても有名だ。『身代金の部屋』と呼ばれる部屋を金で満たすことと引き換えに、皇帝は身柄開放を求める。部屋が金が満たされると、フランシスコ・ピサロは今度は銀で満たすよう要求し、部屋が銀で満たされると約束を破らずに皇帝を処刑してしまうのだ。

　それはさておき、カマハルカでは、伝統農法が近代農業や都市化の影響により、在来作物よりも市場向けの換金作物生産が行われ、モノカルチャー化が進行していた。だが、1983年にEDAC-CIEDが地元コミュニティとともに、土壌保全プロジェクトを開始する。10年間以上で55万本以上の樹木を植栽し、850カ所のテラスを修復し、173カ所で排水と潅漑用水路を再生した。その結果1124ヘクタールの農地が保全され、地域の約半数にあたる1247戸が受益を受け、ジャガイモの収穫量が5トンから8トンに高まるなど生産性が向上した。結果として、牛や毛織り用のアルパカも太り、世帯収入は1983年の108ドルから500ドル以上まで高まったのである。地元ＮＧОは、天然資源の保全とあわせ、伝統農法を守りつつ有機農業による食料自給を奨励している。化学肥料や農薬その他の近代技術はコストがかかるうえ害もある。だが、伝統的な農法は、それらを必要とはしないのだ。

　ペルー南部には世界で最も巨大でグランドキャニオンの二倍もあるコロカ渓谷がある。だが、グランドキャニオンとは違うのは、ここでもインカ時代のテラスがあり農民たちが農業を営んでいることだ。PRAVTIR(Programa de AcondicionamientoTerritorial y Vivienda Rural)は、地元コミュニティに低利融資や種子、その他の資材を提供することで、ここでも放棄されたテラス復元を支援している。新テラスが作られて一年目にして、ジャガイモ、トウモロコシ、麦の収量は傾斜地で作られたものと比較し43～65％も高くなった。こうした、伝統農法は近代的な知識を加えることでさらに効果をあげる。例えば、地元原産のマメ科植物を緑肥としてテラスでの根菜類との輪作や混作に使えば、地力改善に役立ち、伝統的な休閑システムを改良できるのだ。

　原始的とみられては来たものの、いまではアンデス山脈の伝統農法は、洗練され適切なものだと認識されつつある。古代インカの農法やそのポテンシャルは、世界各地の山岳地域の集落で過酷な日々を送る貧しい農民たちにとっては、まだそのメリットもデメリットも不明解な遺伝子組み換え技術よりは、ずっと素敵なプレゼントになるのではないだろうか。少なくとも2000年以上はうまく機能してきたことがわかっているのだから。

　だが、モンサント社の広報担当ゲーリー・バートン氏は、アルティエリ教授の主張に対して「教授は他に言うべきコメントを思いつかないからそんなたわけたことを言っているのだ」と、これを笑い飛ばした。

参考文献
(1)mountain partnership, Traditional farming
(2)Drew Benson, Ancient system helps Peruvian farmers handle drought,
floods, frost,2003.
(3)Miguel A. Altieri, Enhancing the Productivity of Latin American
Traditional Peasant Farming Systems Through an Agroecological Approach
(4)Miguel A. Altieri,The Potential of Agroecology to Combat Hunger in the
Developing World
(5)Shaun Oibrien,Prof Advocates Alternative to Biotech Field of Acroecology
Aims to Eliminate Environmental, Social Imbalances in Agriculture, 2001.
(6)農林水産省ＨＰ他