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 世界の食料問題はいま



2005年9月 ラジオ番組でアビー・フランク氏と対談


フランク アグロコロジーとはどのようなものなのですか。

ミゲル アグロエコロジーは、生態学に基づく科学ですが、同時に人類学、社会学、農学にも立脚しています。ホーリスティックなやり方で、人と自然とのかかわりの結果としての農業を理解し、持続可能な農業をどうデザインするかを研究できます。農業が社会的に公正で、経済的に実現可能で、環境的に安全で、文化的にも多様になるというわけです。

フランク 持続可能な食料生産とはどのようなものなのですか。慣行農業とはどこが違うのですか。

ミゲル 持続可能な農業は、まず基本的に食料の安全保障を担保します。水、土壌、生物多様性といった天然資源の基盤を保全し、かつ、経済的にも実現可能な活動といえます。生物多様性が豊かである、つまり、動植物、微生物、作物品種が多様であるという意味で、慣行農業システムとは大きく異なります。地元での食料安全保障を重視しますから、地元生産がもっと重視されることにもなります。大規模な農場よりも、小中規模の農場がもっと大切にされますし、地元住民や都市住民とより密接に結びついたコミュニティ農業や家族農業が重視される。そのことで、生産者と消費者との結びつきはもっと深まりますし、社会的に公正で、経済的に実現可能で、環境面で安全な農業を重視していることから、全く異なるパラダイムと言えます。

フランク このパラダイムはどのようにして誕生したんでしょうか。

ミゲル アグロエコロジーのルーツは、ラテンアメリカにあります。ラテンアメリカでは1980年代に多くの場面で政府が社会的な政策から手を引きました。そこで、政府が取り組もうとはしない政策のギャップをNGOが埋めようとした。小規模な農家が食料安全を保障できるよう、生産面でのエコロジーの回復支援に取り組み始めた。アグロエコロジーはそこから誕生したのです。ですが、その後、アグロエコロジーはNGOを超え、大学や政府計画にも大きな影響を持ち始めます。いま、ブラジル、キューバ、ベネズエラといった国では、アグロエコロジーが農村開発の基礎として政策の旗印に掲げられています。一方、米国ではアグロエコロジーは、有機農業をより多様化する一助となっています。米国やほとんどの先進諸国では、有機農業といってもたいがいモノカルチャーのパターンで栽培されています。化学物質利用の代わりに有機認証基準で認められた他の製品を使う「入力代替」(input substitution)と称されるアプローチはしていても、いまだにモノカルチャーなんです。ですから、アグロエコロジーがやろうとしているのは、有機であろう化学であろうと、こうした農民たちが投入資材から自立できるような手助けをすることなんです。アグロエコジーは生物多様性が豊かな農場をデザインするお手伝いをするわけです。</FONT></P>

フランク とはいえ、持続可能な生産の原則を用いて、世界の人々に食料を供給することは出来るのですか。食料は、地元で小規模に生産されることになるわけですが。

ミゲル もちろんです。まず、第一に、飢餓は生産と何ら関係がありません。人々が飢えているのは、世界に十分な食料がないからではなく、貧困と土地へのアクセスができないからなんだ、ということを理解することが重要です。開発途上地域では、最良の農地は、人々に必要な食料のためでなく、輸出農産物生産用に向けられています。そして、米国でも約200万人が食料を確保されていないのです。つまり、豊かな中でも飢餓がある。それは、生産とは何ら関係がありません。

 一方、世界や様々な国の統計データを見れば、小規模農場の方が大規模農場よりもずっと産出力があることがわかります。トウモロコシだけでなく、野菜、穀類、果樹、畜産でもそうなんです。総生産量では、小さな農場の方が大規模農場よりも100倍もトータルのアウトプットが高い。ということは、例えば、地域の20の大規模農場が輸出用のトウモロコシや大豆だけを生産するかわりに、2,000もの小さな農場が食料を生産すれば、世界の人々に食料を供給することになるわけです。ですから、飢餓問題はさておいて、どのような農業を求めるのかが、大きく影響しますし、それは政策の問題にもなります。必要な対策を実施できる政治的な意思があれば、飢餓は明日にでも解決できましょう。

フランク では、持続可能な農業が標準化する妨げには何がなっているのでしょう。政治的な意志が欠けているというだけなのですか。

ミゲル 政治的な意志が欠けていることもありますが、研究や普及も不十分ですね。例えば、米国では有機農業の研究予算は、大学の農業予算のたった1%です。予算の大半は、バイオテクノロジー、慣行農業、緑の革命タイプの研究に向けられています。有機農業に何百万ドルもの研究予算を費やせば、状況は大きく変わってくるといえます。しかも、経済のグローバル化が進む中、ますます人々の食べる作物よりも輸出作物に特化してきています。ですから、政策面でも多くの課題がありますし、それは政治的な意志と関連しています。では、どのようにして政治的な意志を変えるかですが、それには、南ブラジルによい事例があります。地方分権化が進んで、自治体が力を付けてきていて、多くの地域で「制度市場」(institutional markets)なるものが創設されてきています。地域の小規模な有機農家が生産する農産物が、いずれも学校給食や病院、刑務所に供給されています。それがオルターナティブな市場創出につながっている。米国を含めて、多くの政府が、施設用の食料購入に多くの資金を費やしていますが、大規模な穀物商社から購入している。ですが、政治的な意志があり、例えば、ここバークレー市が「給食に提供される食材のすべてを小規模な農家由来のものにする」と主張すれば、小規模農家にもたらす経済の活力は大きなものとなりますし、機会も大きく広まりましょう。それは、政治的な意志によって物事がいかにシフトできるかの一例です。

フランク 米国では有機食品の人気がますます高まっていますが、それも良い印のひとつと言えるのでしょうか。ご提案なされている持続可能な農業モデルと有機農業とは同じようなものだと言えるんでしょうか。

ミゲル ええ、それは良い兆候といえます。ですが、残念なことに、これを享受しているのはエリートだけなんですね。私は、学生たちと一緒にファーマーズ・マーケットや自然食品専門店等、色々な場所で調査をしてみたのですが、自然食品を売っている場所に行けば、エリートしかいないことがわかります。マイノリティな人々がこうした食品を消費していることは目にされないんです。ラテンアメリカの傾向を見てみても、有機農業は推進されてはいるものの、いずれも輸出向けです。地元住民の食料安全保障にそれがどんなメリットがあるというのでしょうか。ごくわずかしかありません。コーヒーを考えてみれば、有機コーヒーを楽しめるのは誰ですか。ラテンアメリカの地元住民ではなく、ヨーロッパや米国の人々です。ですから、有機農業が生産で優勢を占めるための政策や経済システムの変革が必要だと思うのです。有機農業が拡大し、十分に供給されることで、値段が下がり、ハイクラスや中産階級だけでなく、マイノリティな人々にも十分に供給され、有機農産物を食する恩恵を誰しもが楽しめるように経済的インセンティブを変える必要があるんです。

フランク ということは、持続可能な農業とは、誰もが関わることができる有機農業ということなんでしょうか。

ミゲル
 皆にでもかかわりやすく、小規模な農家によって生産される農業ということです。例えば、いまカリフォルニアで起きているのは、たった2%の有機農家がその産業収入の65%を占めているということです。再び統合化が進んで、少数の大手企業や大規模農家の手に特化され、それが小規模な農家に取ってかわっているのです。消費者が地元生産のための小規模な農業を支援するという意味で、地元レベルで、生産と消費とを近づける必要があります。消費者が理解しなければならないのは、食べることがエコロジー的な行為でもあり、かつ、政治的な行為でもある、ということなんです。マクドナルドを食べると、ある特定の生産モデルを支えていることになります。それは、牧場の拡大で森林破壊を進め、中米の環境を破壊しています。もし、地元の小規模な有機農家の農産物を食べるのならば、コミュニティの小規模農家の生き残りを支援することになりますし、そうしたコミュニティの小規模農家は良質な食品を生産するだけではなく、多面的な機能ももたらしてくれます。汚染が少ないから、生物多様性が高まりますし、農薬や窒素肥料も少ないので、水質も保たれます。ですから、食べるときに、どんな農業モデルを支えているのかを自分が決めているのだ、ということを理解する必要があります。

フランク この21世紀の人間と環境との関係については、どのように認識されていますか。

ミゲル 残念なことに、西洋社会では結びつきが断たれています。例えば、米国の都市の子どもたちに何種類の植物を知っているのかたずねてごらんなさい。たぶん、1種類か2種類しか知らないでしょう。トウモロコシがどこから来るのかさえ知らないでしょう。子どもたちは、缶詰めから来るのだと思っているんです。ラテンアメリカに残された在来民族のところへでかけてみれば、どこの子どもたちでも50~100種類の植物は知っていることでしょう。つまり、結びつきが大きく断たれているわけで、しかも、絆の断絶は高まっています。人々は、経済が実際には生態系に依拠しているというまさにその基本を忘れています。資源基盤を破壊することで、経済モデルの可能性も破壊しているのです。ですから、若者たちが消費モデルに魅了されているのを目にすると、私は、若者たちの消費パターンによって、その消費パターンが立脚している土台が壊され、彼らや、彼らの子どもたち、さらにその孫たちが、暮らしを享受できなくなることをわかっているのかな、と首を傾げたくなります。

フランク
 では、将来、人類が生き残るには何が必要なんでしょうか。

ミゲル そうですね。生産と消費サイクルが地元内で完結するもっとローカルなシステムに向けグローバル化している開発モデルを転換する経済革命を成し遂げなければなりませんね。グローバルモデルよりも、エコ・リージョナルな開発アプローチも重視しなければなりません。同時に、石油への代替手段、ソーラー、風力や水力エネルギーに基づくエネルギーも見つけ出さなければなりませんし、暮らし方そのものをトータルでシフトすることも必要です。米国は、人口では世界のたった8%なのに、全世界の資源の40%を消費しています。それはどうみても持続可能ではありませんし、非倫理的です。例えば、気候変動のように、自然生態系への影響は取り返しがつかないものになりますから、すぐにでも改革を行う必要があります。人々は、それは消費のやり方だと口にはしますが、一人当たり貢献がとても重要なことをわかる必要があります。ひとりの米国人は、開発途上地域の人よりも20倍も消費しているのですから、北側の人々は南側の人々よりも気候変動や環境破壊に対してもっと責任があります。ですから、責任は、西洋社会、とりわけ、ヨーロッパや米国住民にあるのです。ですが、どうも彼らがリードする兆候は目にできていませんし、むしろ、状況は全く反対です。人々は、地球の天然資源を犠牲にして、もっと物質的なモノを消費したがっています。

フランク
 アルティエリ博士、今日はお話をどうもありがとうございました。


 (ラジオ番組アース・アンド・スカイのHPに掲載)


 Human World Radio Shows, Interviews with Scientists, about the Human World, Byrd and Block Communications Inc, September 2005.