2002年 本文へジャンプ


第三章 維持されたセーフティネット



経済危機がもたらした影響

 市場原理をベースとした改革を導入で、経済は急速に癒し始める。だが、市場社会と同じ影響もでた。経済的不平等の先鋭化だ。そして、新たな社会問題も出現する。だが、自由化の改革の影響を受けているそれ以外の国とキューバが違っていたのは、危機そのものの衝撃とあわせ、最も有害なこうした影響から国民を防御しようとする政治意志だった。

 キューバ人たちは、キューバの社会政策の基礎となる価値観、普遍性、公正なアクセス、そして、政府によるコントロールを維持しようとしたのだ。これは、急速に縮小した予算で社会的な出費を可能な限り保護することを意味した。表8は危機が最も深刻な時期に政策的に調整されたヘルスケアや教育の成果指標をまとめたものだ。こうした事例は、著者自身の調査や社会政策アナリストによる著作物のレビューから記載した。
 
 いくつかの基本的な指標結果はすでにレビューしたが、医療や教育で得られた成果が落ち込んでいることがわかろう。
 乳児死亡率には影響しなかったが、低体重の出産の増加や幼い子どもの栄養状態の悪化は大きな懸念事項だった。そして、注目に値するのは、結核等の病気の再発、感染症や寄生虫の病気による死亡率の上昇、そして、肝炎と性的に感染される伝染病の発生の増加だ。
 最後に、すでに言及した1992年の神経炎流行病等の流行病の発生は、人々の健康への経済恐慌の影響を際立たせるものだ。
 
 教育では、最も影響を受けた指標は、入学と落第率だった。入学はポスト中等学校でわずかに、そして高等教育で、より急激に減少した。1990年から1991年には中等学校(9年生)の卒業生の94.5%が上の学校に進学していたが、1994~1995年には、その数値が86.4%に落ちたのだ。

 1990年には、学生たちのほとんどが高校に進学していたが、今では、ほとんどの生徒が専門学校に進学するようになった。このシフトは選択ともいえるが、おそらく大学進学が厳しくなったためなのだ。キューバ経済では大学の入学定員は、就職先のポストと密接にリンクしているのだが、経済が90年代に大きく落ち込んだのだ。結果として、高等教育への進学率は、90年に21%もあったものが、1996年には12%まで落ちてしまう。中等教育では落第率も高まり、とりわけ、高校への入学率が落ち込んだ。こうした高校のほとんどは農村部にあり、多くの学生たちは食料不足で苦労を強いられ、交通事情の悪化で、教師も学校に通えなかったのだ。
 

シエゴ・デ・アビラ州のトマス・ガルシア養護学校。精神と身体に障害のある子ども等、社会で最も傷つきやすいグループも危機の最中に学校教育を受け続けた

 サービスの質が落ちることで、健康や教育の成果にも影響がでた。経済危機で、病院、診療所、学校は物理的に劣化したし、医療品や設備、消毒剤もなく、新たに出現した経済部門の仕事に教師たちが大移動することで教育の質も低下した。

 社会保障では、最も注目すべき影響は、年金や社会扶助費での購買力が浸食されたことだった。賃金や年金での購買力が低下し、補助金を上乗せした配給品が住民のニーズのごく一部しかカバーできなくなったから、年金受給者のように収入が固定されている人々は、ますます経済的に傷つけられやすくなったのだ。

 経済危機の中で日々の生活を送る困難に加え、雇用を維持することもきわめて困難になった。年配の労働者の多くは退職し、それが退職者数を増やし、社会保障の経費を高めた。この経済危機に対して、キューバ政府は、強力なキューバの社会政策の基礎にある価値観を再び断言し、その社会開発モデルを維持するための政治意志を重ねて主張した。同時に、その範囲や有効性を保証するため、政府は、とりわけ、サービス提供の領域において、そのモデルを変えていく。

表8 成果とサービスへの経済危機の影響

 教育  医療  社会保障と社会扶助
経済危機の成果への影響
  • 非識字率は3.8%に保たれた
  • 高校と専門学校、とりわけ後者での落第率が増加
  • 全教育課程で入学者が減り、高等教育ではかなりの落ち込み

  • 幼児死亡率は改善し続けたが、出産時低体重や幼い子どもの栄養状態等の指標が悪化
  • 1992年の神経炎流行病等の流行病の出現、肝炎等の伝染病と性病等いくつかの感染症や寄生虫病による死亡率の上昇
  • 免疫率の継続改善
     
  • ドル使用の導入と自国通貨の価値の減少により、年金生活者や社会扶助の購買力が侵食 
 経済危機のサービスへの影響
  • 寄宿校での食料や供給不足、学生/教師比が全面的に増加
  • 学校の物理的状態のかなりの劣化
  • 民間部門の仕事への教師の流出
  • 病院と診療所の物理状態かなりの劣化
  • 物資、教育用資材不足によるコミュニティ・レベルでのサービスの質の低下
  • 医薬品、医療器具、設備と消毒剤不足によるケアの総合的な質の低下
     
  • 年金受給者数が1990年の113万人から1995年の135万人へ増加(退役軍人を除く)
  • 1994年には5万3134家族(9万7000人)に社会扶助(現金)を提供

 




ベーシックな原則と政策の維持


表15 医療、教育、社会保障、社会扶助への予算(1990-2000、100万ペソ)
出典: Oficina Nacional de Estadisticas, 1996,1999, 2000.

 現在、キューバにある社会政策をみれば、キューバ社会のベーシックな原則が随所で維持されたことが明らかだ。キューバは、なによりも医療、教育、その他で歴史的成果をあげてきたが、全サービスを無料に保つことによって平等なアクセスを確保する、というそのコミットメントは続くであろう。料金が設けられたものもあるとはいえ、例えば、高校の給食代や成人教育費と最小限度のものであって、主要ミッション以外のサービスに影響が出ているだけだ。キューバは危機を理由に、社会化された無料の公共医療や教育という基本的な利益を取りやめることはなかったのだ。普遍的なアクセスへのコミットメントが維持されたことも明らかだ。基本的な利益やサービスから国民を排除することで、現在の財政危機に対処するというアプローチをキューバはとらなかったのだ。社会扶助のような領域においてすら、新たな適任評価基準や時間制限を設けることで、その恩恵を縮小させるという政策の証拠が皆無なのだ。普遍性へのコミットメントは強力ではあるが、最も傷つきやすい人々を対象とするプログラムを進展させることに配慮がなされなかったということは意味しない。

 そして最後に、過去10年で地方分権化が進められたにもかかわらず、こうした領域においては、主な主体としての政府の役割には変化がなかった。中央政府は、キューバのセーフティ・ネットの利益とサービスのための財源、開発、提供の責任を負い続けている。

表9 政策と平等への危機の影響

 教育  医療  社会保障と社会扶助
  • 政府が教育の唯一の提供者として継続
  • 無料の教育サービスは維持
  • 本質的ではないサービス(例えば、成人クラス)に料金設定
  • すべての学校とプログラムは継続
  • 図書館がムニシピオで開設され、サービスを促進
  • 適用範囲と普遍的なアクセスを維持
  • 公共医療は無料のまま維持
  • 政府がヘルスケアの唯一の提供者として継続

 
  • 国が100%の年金と障害適用範囲をすべての国の労働者に供給し、同レベルの適用範囲が継続
  • 雇用主が継続支払い。政府が社会保険負担と支出差をカバー
  • 退職年金の最小支払い額を1997年の83.69ペソからに1990年に102ペソに増額
  • 中央政府が社会扶助の唯一の提供者として継続
  • 社会扶助のための要件は変わらず、利益も同水準で維持
     


1未熟児出産を減らす
低体重(2500グラム以下)で生まれる赤ん坊は、1980年代に一貫して改善されたが、1991年から増加し始め、1988年の8.7%と比べ1993年には9%に達した。全国低体重プログラムがリスクのある妊娠女性の栄養の必要に対処するため厚生省とローカル政府との連携で確立され、リスクのある妊娠女性が全地区で特定され、予防教育、社会扶助、レクリエーションを妊娠中の女性やその幼い子どもに提供する「Hogares Maternos」とつなげられた。
ローカル政府の取り組みによって、リスクのある女性は労働者の食堂につなげられ、そこでは、毎日、少なくとも一度は無料の食事が受けられた。1995年には、出産時低体重は7.9%まで減少し、1990年代後半に減少し続けた。


■社会的経費を守る

表 16 GDPの変化と社会的予算比 (1990年と 1990~ 2000年)
出典:Oficina Nacional de Estadísticas, 1996, 1999, 2001.
表 17 社会的予算のGDP比(1990~2000年)
出典:Ofcina Nacional de Estadísticas, 1996, 1999, 2001.

 経済危機の最中でも、社会益へのコミットメント、教育、医療、社会保障、貧しい人々への社会扶助は維持された。事実、社会的支出は、実質的に1990年から2000年にかけ380万16ペソから470万5000ペソへと増えたのだ。1990年から1994年にかけ、削減された教育費を除いて、全エリアにおいて予算は増えた(図15)。社会コストは、国内総生産(GDP)比でも保たれた。図16は、総予算と、教育、医療、社会保障と社会扶助に限ってだが、GDPで社会的コストが1990年とどう変化したかを示したものだ。1990年から1994年にかけGDPは40%も低下したが、総予算は一定額のまま保たれ、社会的経費はわずかに増えすらした。そして、1996年からGDPがゆるやかに回復を始めると、総費用は赤字削減キャンペーンの一貫として引き下げられはしたものの、社会的支出は増え続けた。1998年には、1990年のものより23%も高かったのだ。

 GDPが落ち込んだときですら、社会予算が増えたという事実は、この支出が強力に保護される傾向があったということだ。もちろん、これは、年金等を変えることへの抵抗があったためかもしれない。だが、社会保障はGDPとの関連でいえば、最も急速に増え、1993年には一番コストがかかっている教育費すら凌いだのだ(図17)。

 だが、教育、医療、そして、ある程度の社会扶助への配分が増加したことは、こうした部門へのコミットメントが明らかにあり、保護されたことを示す。GDP比では、キューバの社会的コストは、ラテンアメリカ平均のほぼ倍となっている。ラテンアメリカ諸国では1990年に社会プログラムに平均でGDPの10.4%を投じていたが、キューバのそれは21%だったのだ。10年の危機の後の1998年には、キューバの社会プログラムへの予算はGDPの32%で、ラテンアメリカ内でいまだに最高だった。この期間には、社会的コストに捧げられるGDPのシェア率は、キューバだけでなく、それ以外のラテンアメリカ諸国でも高まったが、キューバ以外のラテンアメリカ諸国の伸び率が平均30%であったのに比べ、キューバの伸びは格段に著しく60%だったのだ。GDPと関連し、社会的経費の増加率がさらに急であったのはパラグアイとコロンビアだけだった。

 だが、この財政的なコミットメントあったにもかかわらず、2つの重要な要素から経済危機のサービスへのネガティブな影響は明らかだった。

 第一は、教育、医療、そして、事実上、暮らしの全領域にふり向けられた交換可能通貨、すなわち、米ドルの減少だった。例えば、1994年には医療部門への交換可能通貨の配分は、1989年のそれの39.6%だったが、1997年でもその配分は1989年に獲得されていたもののわずか49.4%に伸びただけだった。こうした制約が、医薬品、薬の生産に必要な原材料、病院と診療所の修理に必要な建設資材、救急車用のタイヤといった医療資材の必需品の輸入を制限したのだった。同じ状況は教育でもおき、本を印刷するための紙や供給資材がないままに残された。影響を受けないのはペソで支払われる職員の予算だけだった。
社会的なメリットのための政府の財政的コミットメントをひそかに害する傾向があった第二の要素は、ペソの購買力の落ち込みだった。政府の各省庁は1990年代に以前と同じか、さらに多くのペソを受領したが、その実態は再び、職員へのそれを除いて、ペソの実態購入価値は低下したのだった。

サービス提供の改革

 キューバ政府は、その社会開発モデルを再断言し、ソーシャル・サービスの財源を守ろうとしたが、サービス提供のやり方を変えることの必要性も感じていた。過去には、キューバは効率性をさほど考えず、普遍的なサービスを達成するために多額の予算を組むことで、サービスの有効性を確保してきた。だが、この論理は、このとき、批判される難局に直面したのだ。多くの社会指標のアウトカムは、いまだに80年代後半に達成された水準には達していない。社会予算額は維持・増額さえされたものの、社会益の劣化を完全に防げたわけではなかったのだ。1989年水準に到達するには、さらに資金投資が必要とされていた。そのすべては、需要増加という文脈で起こった。多額の年金予算を要する退職者がいるだけでなく、経済ピンチで、多くの家族が危機的状況に置かれていたのだ。妊娠中の女性には、多くのケアが必要だったし、低所得家族にも多くの支援が必要で、学外の誘惑に直面するティーン・エイジャーには、多くの仕事が必要で、とそのニーズのリストは延々と続くのだ。

表10 サービス提供における危機の影響

 教育  医療  社会保障と社会扶助
現場での支援の増加。例えば、教師と校長への授業方法論の支援が、学生/教師比が増えたことに対応するため設けられた 予防を継続して重視し、カバー範囲を全国的に達成するために、ファミリードクターと看護師の継続的な開発  高齢者のケアでの労働・社会保障省と厚生省と他の省庁の連携の高まり 
他省庁との連携した取り組み。例えば、いくつかの省と全レベルでの団体がかかわることで、1995年からドロップ・アウトを防ぐプログラムが立ち上げられている  包括的で、協力的な取り組み。例えば、低体重予防プログラム。それ以外の政策としては、栄養の改善、公衆衛生、水質の維持がある  社会扶助適格者へのムニシピオ・レベルでのサービス提供実験 
ローカルな組織との協働でレクリエーションと放課後プログラムを確立  年齢、ジェンダー、所得でリスクのある社会的な弱者に集中したケア  困窮家庭に対する支援を提供するソーシャルワーカーの大規模な養成と展開 
コミュニティ・レベルでの包括的な政策は、特定のコミュニティ開発活動と同様に、サービスが必要な女性、若者、子どもに対応
コミュニティ・レベルでサービス提供をモニターするため人民委員会の能力構築


経済危機の必要性から、様々な省庁間の新たなタイプの横の連携が生み出されることとなった。キューバ女性連盟、農業省、科学技術環境省の代表が、小学生のためのヨーグルト加工用に大豆を協働プロジェクトに取り組んでいる。サンチアゴ・デ・クーバ

 おまけに、サービスの質向上へのプレッシャーもかなりあった。政策の立案者たちが発想するサービス制度、つまり、提供者側と実際に提供を受ける側とには大きなギャップがあったのだ。サービスを受ける側では、それが生き残びるためにまずます重要となってきているから、このギャップは、ユーザ側の関心事項となっているし、さらには批判さえ出るであろう。例えば、年金受領者が経済的にあまりに増えている中、チェックの時期も違った意味を帯びてきている。

 現在で10年目を迎える経済危機は、様々な意味で、社会プログラムの実施に転換が必要なことを際立たせたように思える。政策によって形づくられた価値観のベースは捨てずに、いまキューバ人たちは、効率的、かつ、有効に、社会政策を提供できる方策を模索している。

 サービスをさらに多く行い、それもより良く、という概念は何も新しいものではない。効率性とサービスの効果の双方を改善するために、ほとんどの国では、こうした課題に対して、適格者を限定し、かつ、懸命に働くというアプローチをとっている。だが、現在までのキューバのアプローチは違う。普遍性や予防へのコミットメントは維持しつつ、効率性と成果を高めるため、サービス提供の段階で、限られた改革を行うというものだ。その改革の多くは、サービスを提供する側と受け取る側とのマッチングを改善し、教育や医療のみならず、それ以外の分野においても、サービス提供の質を改良しようというものだ。

 しかし、エコノミスト、アンジェラ・フェリオルは、この改善にあたって、各省庁間の連携や近代化、そして、トレーニングを通じて、サービス提供をローカル・レベルでのものに転換することが必要になると書いている。この行われつつある改革には、ある特性があるが、それについては以下の節と4章で述べよう。

 まず、あげられる特徴は、経済危機の結果で生じた新たな問題に対応するアプローチで、縦割りを越えた連携が高まっていることだ。貧困層の増加、学校を中途退学してしまう若者たち、犯罪行為をどう防止するのか。いずれの集団が引き起こす社会問題も、カテゴリー的な解決策では対応できない、との認識がある。各省庁間、省とローカル・レベルでの政府構造、そして、これらとコミュニティに基づく組織の連携は、大きな変化を表すものだ。

 第二番目の特徴は、普遍的なプログラムにコミットメントしているにもかかわらず、現在の状況が、社会で最も傷つきやすい人々に焦点を置いたケアを必要としているとの理解だ。こうしたグループに資源の焦点を合わせる重要なイニシアチブの実施されだし、過去の実践からの大きくはなれることとなったのだ。

 そして、三つ目は、過去10年で、コミュニティに根ざしたイニシアチブの開発が推進されてきたことだ。コミュニティに根ざした現在の実践方法は、1980年代から始まっているが、ローカルな問題への対処というプレッシャーをかけられる中で、大いに発展してきた。コミュニティに根ざした組織や人民委員会はいずれも、キューバにおいては新たな要素だが、そこには社会プログラムの到達範囲を広げたり、効果を高めるうえで大変なポテンシャルがある。こうしたコミュニティに基づく取り組みについては4章の対象としよう。

縦割り解消へと向かう傾向

 サービス提供が抱えていた深刻な問題は、サービスが強力な縦割り志向で、別領域のサービスの連携が不足していたことだった。このこと自体は、どの国であれサービス提供においては珍しいことではない。しかし、高度に中央集権化された社会においては、オルターナティブなサービス源がなければ、この縦割りはより制約となってしまうのだ。

 キューバにおいては、医療、教育、社会保障、支援、社会的防止、文化他の計画は、いずれも国で作られ、各州やムニシピオに指示が出されている。どの政府レベルにおいても、各部局内での連携は珍しく、結果としてコミュニティ・レベルでは、一種の不調和が生じている。キューバ科学アカデミーの社会研究グループは、1996年に、「コミュニティで同時にプログラムを走らせながら、共通の目的や方法が明確に話されず、オーバラップや様々な行動が競争しあい、効率性や効果を全般的に低めることにつながっている」と苦情をこぼしているのだ。しかも、厳格な縦割り構造は、学問分野の境界からはみ出る複雑な問題の正確な評価も妨げるであろう。さらに、問題に対応するためで、様々な教育を受けてきた様々な経験を持つ専門家の動員も妨げるかもしれない。

 1990年代の財政危機は、まさにこうした問題をキューバの社会的制度にもたらしたのだ。問題が複雑化、分化する中、もし、単独で行動すれば、社会制度はそのミッションで成功できない。高まる貧困、復活する売春、軽犯罪、ドラッグの使用、徐々に広まる学校の中退、栄養問題、都市の地区が直面する問題。これらは、いずれも学問分野の境界線に挑戦し、省庁間をまたぐ横の連携を必要とする問題だ。そして、こうした問題に対して、より統合され、より協働的なアプローチがとられているとの証拠がある。

政府の新しい社会的イニシアチブの多くは問題を防ごうとしている。コミュニティレベルでの若者たちのための教養プログラムを増加させることが優先だ。ビニャーレス州の学校のこうした子どもは学校コンサートを準備している

 例えば、未熟児の出産件数の増加、学校の中途退学者の増加、子どもたちがストリート活動に従事する兆候、シングルマザー、高齢者の限られた収入といった問題に対処するために実施された政策は、横の連携を伸ばすことにつながった。特定のグループに影響する問題への介入に焦点を絞ること。こうした政策は、教育省、厚生省、国内商業労働省、社会援助社会保障省、予防委員会、大規模組織、ローカル政府が持つ資源をともにもたらすこととなった。こうしたタイプの政策は、コミュニティ開発の取り組みの中心でもあり、そこでは、環境的な介入が重視されている。以下は、省庁間の連携がコミュニティ問題の解決に新たなエネルギーを注ぎ込んでいる事例だ。

 横の連携が進展しているからといって、これに抵抗がないわけではない。障壁となっているのは、実践の不足とここは我が省庁の所管だという「芝生の問題」、そして、サービスの統合だ。とはいえ、社会学者であるルウルデス・ウルティア・バロッソは、「バラバラのやり方で、医療、教育、あるいは社会保障と一領域だけの見解から人民を保護するという既存の考えを変える必要がある…」と書いている。そして、省庁の壁を越える連携の実験の結果には前向なものがある。資源が効率的・効果的に用いられているだけでなく、より重要なことは、新たな複雑な問題の解決に成功している点だ。

最も傷つきやすいグループのケアを焦点に

 普遍性の文化のもとでは、特定集団が抱える問題を対象としたケアは想定しない。だから、ソーシャル・ワーク学生ブリガーダが、2000年9月にハバナの最貧家族のニーズを評価しだし、数週間後に、これらの家族が必要としていたモノやサービスを提供して戻ってきたとき、政府は狼狽した。

 何年もゆき渡ってきた倫理は、誰もが同じものを政府から受けているはずだ、というものだった。配給食料、普遍的な医療や教育。メリットのある仕事を実施した人々だけが、余計なものを受け取る権利を与えられていた。大学生たちから結成されたブリガーダは、ローカル政府の構造を飛ばして、その調査結果を直接国の指導部に報告する。それは、ハバナで深刻さを増す貧困問題を指導部に気づかせた。最悪の状況を軽減するために特別な基金が利用可能になり、学生たちは家族が必要とするサービスをつなげるために働いていた。さらに政府の支援を受けるために数家族が選ばれ、ある場合には、これが難しい社会行動を持った家族であった事実がその問題を高めた。経済的、社会的なニーズが多くある家族にケアを集中することは、その後理解され、社会で最も傷つきやすい人々への予防手段を達成する政策として大きく支持されることであろう。

2母親の子育て支援
マリアナオ地区の母子家庭の多くは、社会扶助以外にどんな資金源もなく、経済危機が悪化すると、社会扶助では家族のほとんどのニーズをカバーできなくなった。このため、ムニシピオの労働・社会援助と社会保障の代表、人民委員会、キューバ女性連盟、地区のコミュニティ開発組織は、こうした女性のニーズを特定し、家族のために適切な資源を担保するアクションプランを開発することに向けた協働を始めた。グループは、何人かの母親を含め、コミュニティの女性とインタビューするためのスキルを訓練し、地区で貧しい母親を特定し、インタビューしはじめた。社会扶助を受けていた29人の母親全員がインタビューされた。調査では、全員に0~16歳の子どもがいたが、子どもの父親から支援を受けているのは26%にすぎず、半分はそれ以外の親族からの支援を受けていないことが明らかになった。ほとんどが非常に不安定な住宅で暮らしており、ほとんどの女性は働いていたが、安定した仕事で働いていたわけではなかった。そして、ほとんどの女性が、保育があれば働くことを願っていた。それ以外の団体も何らかの救援をともに提供し始める。8人の母親には仕事が見つかった。そのほとんどは地区の高齢者へのサービス提供だ。3人は適切な医療を紹介され、3人はその仕事を準備するコースに入った。マリアナオでの母親のための協働は続いている。


 同年9月、1,000人以上の若者たちが最初の「ソーシャルワーカー教育」を受け始める。それは、現在では全国で4校稼動しているソーシャル・ワーカー養成大学にまで発展した。プロのソーシャル・ワーカーの養成はキューバでは1962年に終わっていた。その見解は、革命によってなされた改革で社会問題の大半は対処され、残されたものも、大規模組織、革命防衛委員会やキューバ女性連盟で対応できるということだった。1970年代に、ソーシャルワークの准専門教育が厚生省によって始められ、1998年には、経済危機の余波や厚生省とキューバ女性連盟の双方からの依頼を受けて、ソーシャル・ワークの学部課程がハバナ大学社会学部では始まっていた。だが、ソーシャル・ワーカー養成大学の設立は、ずっと多くの人々を対象に、しかし、准専門的なレベルでのソーシャルワークを組み入れることとなった。しかも、その最初の学生たちは大学に入学できず、この種の仕事には縁がない16~22歳の若者たちだったのだ。彼らは、ハバナ大学の教授陣から10カ月の養成プログラムを受け、若者、高齢者他のニーズのある市内で仕事を始める。

実践する草の根組織。こうした男性は、デング熱に対する国の広い公衆衛生キャンペーンの一部として革命防衛委員会により組織化されたコミュニティのクリーンアップに参加している

 こうしたソーシャルワーカーは働き始めると、大学ソーシャルワーク・プログラムか、それ以外の学部課程にも出席するのが適切とされている。現在のところ、ケアはリスクのある集団に提供されているが、生活が貧しい人々、身体障害者、囚人の家族や元囚人、妊娠中の十代、シングルマザーと、高齢者、若者、子どもを含み、とりわけ、学校に通っていない人々が対象となっている。

 こうした緊急プログラムは、強力な社会的支援機能を備えているが、それは不履行を防ぐことも強く重視し、経済危機の結果として雇用を失った人々に対して緊急的なセクターで雇用を維持しているのだ。

「犯罪行為は、社会的な価値観の変化と新たな社会的な無秩序の結果、エスカレートしています。こうしたプログラムは人々を罰するよりも、予防や教育を重視しています」と、ロールデス・ペレスは説明する。

 新たなソーシャルワーカーたちによってなされたイニシアチブの他にも、それ以外を対象としたプログラムも実施されている。例えば、女性たちの仕事を守ることで女性の雇用を維持し、緊急セクターで彼女たちを再教育していることだ。コミュニティ・レベルで若者向けの教養プログラムを開発することを重視し、職場のカフェテリアで、高齢者や妊娠女性に非常に安い価格で食事を提供するため、コミュニティでネットワークを作り出したのだ。

 しかし、このことは、普遍的なアプローチやそれが持つかなりの利点を捨て去ることは意味していない。キューバの普遍的な制度が対象とするプログラムが果たす役割について、現在議論の焦点となっているのは、以下の二点だ。第一は、全国民に同じサービスを提供する必要はなく、社会的な弱者に届く支援をすることが必要だというもので、このアプローチについては、より深刻な社会問題の広がりを防げ、介入対象が限られていることから、コンセンサスが得られている。

 もうひとつ議論されていることは、最も傷つきやすい人々に資源を集中させる目線をもって、貧困やそれ以外の特別なニーズも考慮し、現在の普遍的なサービスそのものを再検討するというものだ。そのシフトについては、コンセンサスははるかに少ない。

3.清潔なコミュニティのために協働
1997年、ポゴロッチでは燃料不足でゴミ収集が非常に不定期になる。初めはゴミが収集されるまで家族は、通りの歩行や車両交通の邪魔にならないよう木やポストに小さなポリ袋を掛け始めた。だが、時が経つにつれて歩道や通り、さらに地区内の空き地まで、家庭の廃棄物のゴミ捨て場になってしまう。その年、人民委員会、ハバナ首都公園、ポゴロッチ地区転換ワークショップ、そして、マーチン・ルーサー・キングセンターが、環境を懸念する住民やコミュニティの労働者から構成される「環境グループ」を結成するため集まる。彼らは、コミュニティ・メンバーが実施した環境問題の診断をリポートしたが、リポートでは汚染が疑われる全廃棄場所が記録されていた。コミュニティ集会では50人の住民がゴミ除去を最優先させたが、「環境的に健全なコミュニティと健康なコミュニティとのつながりをつくろう」と地区内で再植林をし、子どもたちのレクリエーション用の場所を開発する必要性もあがった。そして、カナダの都市機関を通じて、カナダ国際開発局によって一部は援助されたプロジェクトは次の三つからなっていた。彼らは150家族のためにパイロットリサイクルプログラムを実施し、地区でのリサイクルのための環境教育のワークショップを7回開き、すべての投入処分場所をなくした。そのいくつかでは再植林がなされ、1つは子ども用の運動場開発に使われた。人々の参加がプロジェクトの不可欠の部分だった。

「私たちはとっかかりからコミュニティにかかわりました。そして、彼らはプロジェクトの意志決定にも参加しました」と、プロジェクトのソーシャル・ワーカーは言う。
「彼らは、自分たち自身の問題解決にすごい関心を持っているので…、私たちにはとても具体的な成果があったのです」


 Miren Uriarte, Cuba:Social Policy at the Crossroads: Maintaining Priorities, Transforming Practice, Oxfam America,2002