2004年4月25日 本文へジャンプ


有機農業が国を変えた〜キューバの実験

独裁国カストロの意外な側面

 キューバは、ちょうど日本の正反対、地球の反対側にあります。1989年にソ連邦が崩壊した後、社会主義圏というのは軒並みどんどん壊れていって、その中でキューバは、いまだに社会主義を固持している。一種の独裁国の残りではないか、日本ではそういうイメージで捉えられています。ところが、ヨーロッパから発信されている情報を集めていくと、キューバの意外な側面が見えてきます。例えば、1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで「地球サミット」という環境にとって極めて重要な国際会議が開催されましたが、そこの中で「いま絶滅に瀕している生物種がいる。それは人類だ。環境を守る取り組みに着手するには、明日では遅いのだ」という名演説をして、世界中から拍手喝采されたのがカストロです。そして、1996年にローマで食料サミットが開かれた時には、いま地球上でも、だいたい八億人ぐらいの飢餓人口がいて、それを将来的には四億人ぐらいにまで減らそうという目標が掲げられたのですが、「こんなのはおかしい」と人道的な立場から最も強く先進国の飽食を批判をしたのがカストロで、その翌日のローマの新聞には、食料サミットのスターという形で絶賛されたわけです。

日本と同じく食料自給率四割のキューバが経験した食料危機

 さて、私がもともとキューバに興味を持ったのが、こうしたキューバがカストロの指導のもと、国をあげて有機農業と都市農業に取り組んでいることを知ったからなのです。

 皆さん日本の食をめぐる状況が今とても深刻だということは、もう百もご承知だと思います。食料自給率も日本は40%を切って39%です。さらにカロリーベースでいきますと、28%という、もう凄まじいまでに危機的状況なわけです。これはなぜかというと、日本も現在、広く世界各国と貿易をして、コンピューター、自動車、家電製品を海外に輸出し、それで稼いだ外貨で農産物を他国から買ってきた方が、経済的に安くて合理的だと、そういう考え方に基づいて、自給率が軒並み下がってきてしまったわけです。

 ところが、キューバも全く事情は同じで、ソ連圏が崩壊するまでは40%しかありませんでした。そこで、1989年から1991年にかけて、ソ連を柱とする東欧圏が崩壊を始めますと、大変な状況になってしまいます。まずキューバは、ほとんど国産石油がなく、ソ連圏から輸入していた。この輸入が半分になってしまいます。それから、シエンフェーゴス州のフアグアという場所に、火力発電よりは原発の方がいいだろうということで原発を作っていて、九割と完成間近までいっていたのですが、これもソ連の援助がなくなるとストップしてしまった。エネルギーがなくなるということは大変なことで、首都ハバナでも一日十三時間とか十六時間停電。また自動車も走れなくなり交通も麻痺してしまう。

 医薬品も日用製品も輸入できなくなる。さらに深刻だったのが食料です。食料自給率は40%しかなかったのですが、その40%を担っていた国内生産、これは何であったのかというと、化学肥料と農薬を大量に使う近代農業でした。これも全部海外から輸入していたため、だいたい八割が失われてしまいます。そうすると、害虫が湧いてもそれを殺す農薬がありませんし、それから作物にやる化学肥料もない。さらに電気も十分にないわけですから、ポンプでの灌漑もうまくできない。それからトラクターも動かせない。ということで、この国内生産が年々落ちて、だいたい半分位になってしまった。つまり、自給率が半分の中でさらに国内生産も半減ということで、栄養失調とビタミン不足で目が一時的に失明する人が五万人以上も出た。まさに経済崩壊とも言うべき非常事態を経験してしまったのです。

農薬も化学肥料もない中で有機農業で食料増産に取り組む

 石油エネルギーもあと約四〇年ほどで枯渇すると言われていますから、キューバは、私たち日本も経験するかもしれない未来を、ソ連崩壊とアメリカの貿易封鎖という非常に特殊な政治状況下でいち早く経験してしまったということが言えるかもしれません。

 ところが、キューバが偉かったのが、良い意味での統制経済をきちんと敷いたことです。日本も終戦前とか戦争中に配給制度がありましたが、これによって、お年寄りや子ども、妊婦、身障者など社会的に弱い立場におかれた人が食べられないことがないようにしようと、みんなで平等に食べ物をわかちあいました。そのために男性はだいたい一〇キロぐらい痩せたといわれています。これがこのまま続けば、おそらく餓死者が大量に出る状況に瀕したと思います。

 そこで、化学肥料と農薬がない中で、さらに収量を増やすにはどうするかという問題に立ち向かっていくわけです。

 ヨーロッパでは、有機農業は日本に比べてかなり盛んで、アメリカもまあ盛んです。ヨーロッパは、冬に雨が降り、まあ全体的に気候が冷涼ですから、害虫もさほど発生せず、比較的農薬を使わない農業がやりやすいと言われています。ところがキューバは常夏の熱帯ですから冬になっても虫が死なない。そして雨が暑い時にたくさん降る。こういう国は、病気とか害虫が発生しやすいわけで非常に有機農業をやるのが難しい。害虫の卵は年間に七回も孵るんだと、キューバの研究者が言っていました。こういう状況の中で、有機農業をやることは日本よりも難しいわけです。

 ところが、キューバは、国を挙げて有機農業に取り組んだ結果、まだ完全に自給はできていませんし、かなりを輸入はしていますが、ただ一人の餓死者も出すこともなく、以前の近代農業、化学肥料と農薬を使っていた時よりも、さらに生産性をアップさせるという奇跡を成し遂げるわけです。

脱石油時代に向け大型トラクターを牛に転換する

 この奇跡ができたのは、単に精神論で突き進んでいったわけではなく、その背景にかなりきちんとした技術体系があり、合理的な農政転換を成し遂げたことがあります。その一つが土づくりです。日本でも、今だんだん問題になってきていますが、堆肥とか有機物を入れずに、ずっと化学肥料ばかりで作っていますと、だんだん土が固くなってきたり、土壌中の微生物が貧相になったり、ミネラルバランスが崩れたりと様々な問題が出てきます。キューバの場合も実はそうでして、化学肥料を大量に投入していた時代から、かなり土壌は疲弊してました。そこで、化学肥料が失われてしまった中で、例えば、ミミズを活用して堆肥作りをしたり、微生物肥料を使って化学肥料の代替にしたりとか、多種多様な作物を一緒に植える混作や伝統的な輪作を復活させたり、かなりラジカルなことをやっていきます。例えば、大型トラクターを動かすための石油燃料が無くなってしまったので、代わって登場したのが、牛耕で、昔に戻ると言えば昔に戻るわけですが、彼らはこれを「バイオトラクター」と呼んでいますが、耕作用の牛を一所懸命繁殖し始めていきます。

 ただ、近代農業が普及する中で牛の使い方はほとんど忘れられていました。しかし、農村部で例えばタバコ等を作るところは、かなりきちんとした小規模農業をやらなけれホいけないということで、おじいさんが牛の使い方を覚えていた。それで日本でいうと農林水産省に該当するキューバ農業省が必死になって、こういうおじいさんたちを先生にして、毎年各地でワークショップを開きながら、牛の動かし方を実施で普及してゆきました。日本以上の大型機械化、石油依存の近代農業を進めてきた国が、ある日を境にこういう農業をやっているということが、まさに二一世紀の脱石油時代に向けたシフトを象徴するシーンのように思いました。

有機農業への転換で、キューバの水田ではトキが復活

 次は化学肥料や農薬不足をどう解消したかです。大気中の空気成分の八割は窒素ですが、これを固定する微生物が地球上には存在しています。この微生物を使っていろんな肥料を作るバイオ肥料の研究に取り組みました。そして、農薬がない中で病害虫を防除するため、キューバは、いわゆる土着菌とか、天敵とかを大量に生産していきます。また、ニームという殺虫成分を含む植物がありますが、これは大きくなると、実をすり潰すだけで殺虫剤になりますから、家庭でも簡単に自然の農薬が作れる。これを100万本増やすプロジェクトを進めていきます。それから畜産も、林間放牧をすることで輸入飼料に頼らなくするとか、でてきた糞尿をメタンガスとして活用するとか、様々な循環型の畜産への転換をしてきます。

 こうした技術転換で象徴的なのが、有機農業での稲作です。キューバは、それまでとてつもなく巨大な水田農業をやってきました。一つの農場の面積が三万ヘクタールもあるような大型農場を作ってきました。農場には飛行場があって、滑走路があって、空から種もみや農薬を蒔くという超近代農業をやってきたわけです。ところが、それを動かすための石油とか農薬とかがなくなってしまった中で、新しく「人民耕作」という小規模水田を作っていったのです。

 こういう小規模水田は、いまほとんどすべて有機農業で行なわれています。そして、大規模な大型水田でも、バイオ農薬を活用することで、化学農薬の散布量が以前の一〇分の一とかまで減ってきました。すると、非常に減っていたトキが復活するのです。日本では佐渡島でつい先日、最後のトキが絶滅してしまいましたが、キューバのは日本のものとは違い、ブロンズトキ、イビスという種類のトキですが、これがかなり数が減っていた。しかし、水田を有機農業や環境保全型農業に切り替えたことによって、キューバにもドジョウがいるのかどうかは知りませんが、餌となるそうした生物相が非常に豊かになり、この鳥が復活した。ある意味では、これは有機農業が目指すひとつの未来を象徴する姿ではないかと思います。


首都ハバナの中心に畑を作る

 今度は、少し都市の話をしたいのですが、キューバは非常に面白い国で、経済危機があるまでは市民農園というものは遅れた国にあるものだ、こんなものに依存しないと市民が食料が得られないというのは、貧しいことだという哲学を持ってました。ですから、首都ハバナなどでは市民農園は目障りだしみっともないから、表に見えるところではやってはいかん、という禁止条例まで持っていました。

 ところが、先ほど言いましたように、食糧危機が押し寄せると、一番被害を受けたのは実は都市でした。キューバの中西部にある農村部に行って、自給的農業を以前からやってきた農家と話しをしたことがあるのですが「それは石油がなくなったかもしれないけど、うちは昔から牛を飼ってたし、そんなに農薬とかも使わない農業をやってきたから、経済危機といってもうちには全然関係ない」と、そう答える農家もいるわけなのです。ところが、都市の場合はそうは問屋がおろしませんでした。都市が一番食糧危機の大打撃を受けました。そうした中、「ならば都市の中で、農業を新しく始めればいい」というアイデアを提唱した人がいます。この方が、モイセス・ショーウォンという中国系のキューバの国防軍の将軍です。キューバには日本からの移民もごくわずかおり、そういう日系移民の方とか、中国系の方が野菜を作っていた。それは、革命後にキューバが経済発展していく中で、遅れたものだと一度見捨てられていたのですが、この経済危機の中で、「再びそれを復活すればいいじゃないか」と、彼がそういう意見を言ったわけなのです。これが、カストロにも受け入れられ、国をあげての都市農業プロジェクトが展開していきます。

 日本でいいますと霞が関にある農林水産省の本省の前広場でも、まず櫂より始めよ、と畑をやる。これはまさにキューバの心意気を象徴するシーンだと思います。

 日本では町中には農業はいらないと、都市計画上も農地が市街化区域にありますと、宅地並みの課税をされてどんどん農地が転用されていく方向にありますが、キューバの場合は食糧危機に直面したという背景もあって、土地は公共の物である、個人が所有する土地も、使える人が有効利用できる制度を作ろうと、耕作意欲ある市民が農地を自由に借りられるというかなりラジカルな土地利用制度を作っていきました。

 実は、経済危機の中で失業者もかなり沢山出ました。こうしたリストラされた方々を、都市農業を通じて農業者に転換しようと、今非常に力が入れられています。そのおかげで、以前はゴミ捨て場だったような場所も、いま次々と優良な農地に転換しているわけです。

 日本でも今、「地産地消」、その土地で採れたものを消費しようというスローガンを元農林水産省の官僚で、長野県選出の衆議院議員、篠原孝さんという方が唱えられていますが、キューバでも似たようなスローガンをエウヘニオ・フステルというハバナの都市農業局長が呼びかけています。それは「コミュニティーのためのコミュニティーによるコミュニティーの自給」です。こういうスローガンで都市農業に力を入れているわけです。


安全性よりも持続可能性の面から重要な有機農業

 さて、これまでお話してきたキューバの取り組みから、日本は一体何を学ぶことができるのでしょうか。いま、日本だけではなく、先進国はどこでも有機農業がブームです。ただ大事なことは、完全有機農業であればそれでいいのか。安全であればそれだけでいいのかということです。確かに、安全性という面でからも有機農業は非常に大事です。ですが、それだけではなく、持続可能性の面から見ても有機農業は重要なのです。例えば、今の化学合成農薬は、石油から作る化学製品ですから、石油が入手できなくなったら実はもはや生産できなくなってしまうのです。そして化学肥料も地下資源に依存しています。例えばリン肥料は、モロッコ主にある鉱山から掘ったリン鉱石から作っていますので、もうあと三〇年ぐらいで枯渇してしまうだろうと言われてます。カリ肥料もカナダあたりの鉱山から大量にカリ鉱石を採掘して製造していますが、これも掘り尽くせばいずれはなくなってしまう。では、窒素肥料はどうでしょう。これは空気中の窒素をハーバー法という技術で化学合成しているため、一見すると無尽蔵にあるように思われます。ですが、これも製造過程で大量の天然ガスを使ってます。つまり、肥料を作れば作るほど大量の二酸化炭素が放出され地球温暖化も進行しますし、窒素肥料が湖沼とかに流れ込み、自然循環が壊され、富栄養化とかも起こってしまうわけです。


有機農業ビジネスをシビアに批判するキューバ

 では、世界はなぜ有機農業に転換できないのかというと、やはり大きいのが効率性や経済性の問題です。有機農業は確かに安全ではある。だが、生産効率は悪いのだと。そんなことでは世界中の飢餓を救うことが出来ない。だから遺伝子組み換え農産物が必要なのだと、そういう理屈があるわけです。

 ところがカストロがいみじくも批判したように、現実的にはまだ地球上には食べ物は余ってます。豊かな国ではグルメと称して食べ物を粗末に捨てている一方で、貧しい国では食べられない人がいる。この貧富のバランスがおかしいからこそなかなか飢餓問題がなくならないわけで、過不足の問題ではないのです。しかも、近代農業を進めたところでは一時的には収量は高まりますが、結局は土が荒れて環境が破壊されていく。これは、キューバもそうでしたが、インドとか世界各地で実証されているわけです。つまり、表面上のお金のやりとりでの経済効率性ではなく、環境とかの要素も含めた本当の効率性を考えれば、飛行機で空から種籾を蒔くような大規模農場よりも、各家族が牛を飼って昔ながらの代かきをするような小規模の農業の方が実は効率がいい。さらに、それを国全体でやれば、有機農業でも十分に自給できる。こうしたことを国を挙げて一千万単位で実証してしまったのがキューバなわけです。

 実は、いま世界では有機農業は普及していない一方で、かなりビジネス化しています。例えばアメリカで認証された有機農産物を飛行機で大量に売り買いする。そうしたビジネスが発展すればするほど輸送量の増加で二酸化炭素も発生し、地球環境への負荷も高まる。そうしたものが果たして望ましいことなのだろうかという議論もあるわけです。そして、キューバは、まさに地域地域が自給していくことが大事なんだ、ということを有機農業ビジネスに対して批判的に主張している。私はこちらの方が、むしろ安全な有機農産物ならばなんでも良しという最近の世論よりもかなり重いし、本質的な論点ではないかなと思ってます。

日本に学び玄米菜食を始めたカストロ

 このテーマに関して面白いエピソードをいくつか紹介したいのですが、そのひとつは、カストロが最近激やせしていることです。去年キューバの高官が来日した折に「カストロが玄米菜食を始めたという話を耳にしましたが、本当でしょうか」と確認したところ「実はそうなんだ」という答えが返ってきました。マクロビオテック、正食という概念は、日本の石塚左玄という明治時代の医師が提唱し、桜沢如一さんという方が世界に普及させたのですが、これが地球を半周してキューバにも輸出されていて、カストロがそれを聞きつけて、玄米菜食を始めたそうなのです。この背景には、これまで盛んであったキューバの肉食文化をを玄米菜食を中心とした食生活に移していこうというのが、有機農業のポスト対策として出てきているわけです。コンセプション・カンパさんというキューバの女性の科学者でもあり、トップクラスの政治局員の方がいるのですが、彼女が、梅干に非常に興味を持ってまして、日本の伝統技術をヨーロッパ経由で導入しているわけです。味噌醤油プロジェクトもこれから大々的にやっていく動きも出てきています。

 もう一つ面白いスローガンが、コンスマ・ソラメンテ・ロ・ネセサリオ。コンスマというのは消費、ソラメンテというのはオンリーという意味で、つまり本当に暮らしに必要なものだけを消費しようと。無駄遣いをやめてスローに生きることが、環境にもやさしいし実は豊かなんだと、かなりラジカルな主張をしています。そういう哲学をベースに、学校でも家庭菜園が行なわれ、ベジタリアンレストランも街中に次々とオープンしてきているのです。玄米講習会もあり、いま流行のスローフードにキューバも取り組んでいるということなのです。


キューバ的感性と響きあう江戸時代の日本人

 さて、こうしたキューバの話をしますと、「まさに国をあげた『プロジェクトX』ですね」という感想をもらされる方が多いのですが、キューバの人ほど中島みゆきの歌詞や旋律に似付かわしくない人たちはいない。キューバ人たちはある意味ではモラルに富んでいるのですが、その一方で、非常に陽気で、楽観的できっと明日にはいいことがあるさといういい加減さも持ち合わせているのです。ですから、子どもを非常に大切にしますし、お年よりも大事にしますが、男女が平等ですから、離婚率なんかもめちゃめちゃ高いですし、私が会ったさる政府の高官なんか十三番目の奥さんだよとか、自慢している。そんな文化ですから離婚してもぎくしゃくしないし、お互いにこれは前の奥さんの子どもだとか、奥さんの方もこれは三番目の前の夫の娘とか連れてきては、結構みんなで仲良くしていると。そういう一種の超スロー社会なわけです。

 ところが、日本はどうもそうではない。日々時間に追われてあくせくしてて、皆が疲れ果てていて、エコノミックアニマルと。それがどうも日本人の気質だと思われているのですが、ずっと昔からそうであったのかと調べてみると実はどうもそうではない。例えば、江戸時代に、日本を訪れた外国人の方がいろんな記録を残してますが、少し意外に思われるかもしれませんが、女性がタバコをスパスパ吸うわ、男性を尻に敷いているわ、離婚率がめちゃめちゃ高くて、それから仕事なんかしているのかと思うと、しょっちゅう歌をうたいながら仕事をして、そのうちに酒を飲んで寝ちゃうとか。しかし、その一方で、子どもや老人を大切にし、ものすごく治安が良く、みんなが貧しいけれども社会が平等で、非常にあっけらかんとして冗談をいって笑ったり、人懐こいということで、こんな陽気な国があるのかと、欧米人たちの間で一種の日本がブームになるわけです。ですが、富国強兵策が進んで明治時代も半ばになると、この古き良き江戸の香りはたちどころに色褪せていく。

 わずか百年ほど前のこうした日本人の姿を見ると、どこか今のキューバの魅力を想起させるものがある気がします。つまり、何が言いたいのかというと、モラルをもちながら、しかしどこかキューバ的に、いい加減に生きるということが、日本を本当に豊かな国にするのではないか。本当の豊かな社会の未来像は、地球の反対側ではなく、この足下の御先祖様の暮らしの中にあったのではないかということです。

 子どもと生活文化協会での講演録