2000年8月22日 本文へジャンプ




キューバの代替医療

ハバナ― 2000年8月22日。10年もの長きにわたるキューバの経済危機が地域医療にもたらした影響により、伝統的な医療やハーブ療法がブームを呼んでいる。そして、医師は無論のこと、市民たちによっても活用されるようになってきている。 「私が幼かった頃、祖母はハーブの抽出液を使ってくれたものでした。それで大丈夫だったのです。ですから医薬品を手に入れることが難しくなりはじめた時、思い出したのは祖母の教えでした」

 オレンジとオレガノによる咳止めシロップを地元の薬局で孫のために買いながら、こう語るのは、マリア・カリダ・ロドリゲスさん(60歳)。ロドリゲスさんは、神経質で眠れないときに、菩提樹の葉から抽出した液も飲む。

「私は、もう睡眠薬(diazepan)を必要としません。そして、娘の一人は、近くの歯科医院で、鍼麻酔によって臼歯を抜いてもらいました」

 保健省の資料によれば、ファミリー・ドクターの予防医療の往診や診察を受ける患者の約20%が自然な療法や治療を受けている。ハバナの694キロ東部にあるラス・トゥナスでは、2000年の半期だけで、2,000人以上が、鍼麻酔により抜歯されている。麻酔手法はラス・トゥナス州の病院でも積極的な成果をあげた。公的統計によれば、ラス・トゥナスでは1~7月までの全外来患者の30%にあたる327,000人以上が、自然療法や伝統的な療法により治療を受けた。しかも、鍼の研究から、鍼は全身麻酔だけでなく、約20もの手術、例えば、首、四肢、甲状腺、ヘルニアがやれることがわかっている。

 鍼をキューバへともちこんだのは中国からの移民である。そして、現地住民やアフリカ人の奴隷やその子孫が伝えてきた伝統とが結合して溶け込む中で、製薬産業が成長する中でも生き残ったのである。例えば、研究によれば19世紀後半に、キューバ独立軍として戦っていた中国系移民が野戦病院で鍼を使っていたことが判明している。伝統は失われなかったのだった。

「ですが、今から8年前までは、子どもたちを健康センターへ連れていく前に、ハーブ治療を施した母親は、医者から叱られたものです」

 そう、レオンシオ・パドロン・カセレス保健省伝統・自然医学局長は話す。

 どんな療法も限界があり、自然な療法は、慣行医療を補完する。したがって、パドロン局長からすれば、自然療法を発展させてきた「最大の理由」は、経済性ではなく、むしろ科学性だった。

 だが、それはキューバが、東欧社会主義圏の崩壊により、長期にわたる市場や供給元を失った2年後の1992年までだった。このとき、医療専門家たちは、公式に薬用植物の使用を復活させ、鍼のような伝統を導入する計画に取り組み始めたのだった。

 「私どもの医学は、健康を増進し、病気になることを予防することに重点をおいています。伝統的な療法や自然療法は、この目的に達する上で、大きな助けになるのです」

 パドロン局長はそう語り、さらにこう付け加える。

 「それは貧しい国々では全く有効なオルターナティブです。そうした療法を取り入れることにより、人々を救う医師の能力はアップできます。自然治療は、慣行医療と衝突したり、それを置き換えるものではなく、統合することで、治療可能な範囲を広げているのです」

 1996年以降に実行されているプログラムに応じて、伝統的な療法は、ほぼすべての外来クリニックで使われている。国内にいる30,000人ものファミリー・ドクターたちは、予防医療を専門としているのだが、その60%が自然・伝統療法を行えるよう訓練されている。パドロン局長はこう指摘する。

 「伝統的な技術やハーブ療法やその教育を行うセンターが、国内の全169ムニシピオで運営されており、各州には複雑な事例を扱う中心機関が設立されています」

 ここ過去5年のうち、伝統医療や自然医療は、特別な研究分野となり、医学部のカリキュラムにも組み込まれた。

 「我々が全施設を訓練したとき、戦いは勝つことでしょう」

 1100万人からなるこの国の全土で、千以上の現場で、薬局で販売するための自然な治療薬を生産しており、そのいくつかはホメオパシー療法やハーブ製品を専門に扱っている。キューバの伝統医療と自然医療のプログラムは、鍼では中国から、ホメオパシーではアルゼンチン、イタリア、メキシコの専門家からアドバイスを受けている。現在、キューバには、168人の住民ごとに1名の医師がおり、248の病院、436の外来クリニック、12,000の診察室、166の歯科クリニック、12の研究所、21医学部、そして、数多くの大学院生のためのプログラム、そして、公衆衛生のための学校がある。


 Patricia Grogg, Cuba:Natural Medicine Gains Wide Acceptance, 22August, 2000.