2001年


 
ハバナの旧軍事基地に位置する、ラテンアメリカ医学校は、ラテンアメリカ各地からの学生たちに医師となる教育を無料で行なっている
 1959年の革命以来、キューバは医療サービスを要する、ラテンアメリカ、アフリカとカリブ海諸国に医師や他の医療関係者を送り出す長い伝統を持っている。

 1998年にハリケーン・ミッチとハリケーン・ジョージにより中央アメリカとカリブ海が荒廃すると、このニーズは指数関数的に増加した。そして中央アメリカとカリブ海から、意欲があっても医学校に進学する余裕がない学生たちを訓練する医学校を作るアイデアが実行に移された。

 学生たちは、彼らの祖国の医療サービスがない農村部で実践することを求められる。キューバでの6年間の医学研究の間、すべての設備、書物、供給、住宅と食物は、これらの学生に無料で提供される。

 中央アメリカとカリブ海諸国から要請があった時、ラテンアメリカ各地の学生たちは、自分たちもこのプログラムに含められるよう、キューバに連絡をした。医科大学は、ラテンアメリカすべてを含めるよう直ちにそのビジョンを拡充した。

 サンチアゴ・デ・クーバの高等医科学研究所にいる100人以上のハイチの学生に加え、ラテンアメリカとカリブ海の18カ国々からのほぼ2000人の学生が、1999~2000年にラテンアメリカ医学校に通った。学校は、次のクラスでは、年間に1500人をさらにを加える計画を立てている。

通訳のエディー・ブラウンと一緒に学校長が、彼女の学生たちが実践するサービスのない農村地域を示すために、中央アメリカの国々の地図を使っている。

 医学校のプログラムは6年である。最初の2年間は、他の国々からの学生たちとともに、ラテンアメリカ医科大学ですごし、後半の4年は、キューバの医学校に参加することになる。というのも、学生たちの多くが、以前に質が高い教育を受けることができなかったからである。クラスは少人数制である。こうした医療援助への大きな配慮と生徒たちの高いモチベーションや努力の結果、ラテンアメリカ医科大学の学生たちは、初年度の試験で、キューバの医学生たちの中でも最高の成績をあげた。

 キューバを訪問した代表的な黒人議員ベニーG.トムプソンから医師不足についての話を聞かされたことに動機づけられ、ラテンアメリカやカリブ海での兄弟や姉妹がそうであるように、労働者階級で数多くの貧しい、米国の有色の学生たちが、医学校に通うことから排除されていることを認識し、ミシシッピ・デルタの貧しいアフリカ系米国人もサービスが受けられるよう、キューバは、米国内のアフリカ系アメリカ人、ラテンアメリカ人、ネーティブ・アメリカンやその他の貧しくサービスを受けられない若者たちに、キューバの医学校で250人の完全な奨学金を提供している。もし、あなたの知人で18~25歳で、医学校に進むことに興味を持っていても、そうする余裕がない時は、そして、米国でのサービスがえられない地域での実践に医学研究を利用する動機があるならば、このプログラムは大きな機会を提供している。
医科大学学長
エル・サルバドル、ニカラグア、エクアドル、ブラジル、ペルー、ドミニカ共和国からの医学生たち

学生たちは、とても動機が高く、彼らの教授に細心の注意を払っている

 


  O'Hara, Latin American School of MedicalSciences,2001.

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