2002年4月 本文へジャンプ


キューバの産院



キューバの産院


 特権としてではなく、権利となっている医療を想像してみてほしい。キューバ革命が多くの成功をあげたひとつには、全市民が無料で医療サービスを受けられるように、包括的な医療制度を構築することに尽くしたことがある。

 ハバナ大学と関係があるフランシスコ・ゴンサレス・メンシオ医師によれば、母親や乳児の健康を重視することで、キューバは乳児死亡率を1950年の91人から1999年の6.4人まで下げることができたという。

 キューバの「妊婦たちの家」は、乳幼児の健康改良に大いに寄与している(de la Osa 1999)。ハイリスク妊婦のために、24時間の看護師が常駐しているのだ。各ムニシピオ毎にひとつ、全国では約209ものこうした産院がある(Bernal 2001)。

 2001年の7月、キューバ滞在中に私は、最高のタバコ産地として有名なビニャーレス渓谷にある小さな村の「妊婦たちの家」を訪ねた。産院は、4部屋、15ベッドしかなく、床はコンクリートがむき出して、母乳養育を推奨する二枚の壁画以外は、壁も飾り気もなかった。居間と寝室はシートで隔てられていたが、寝室は狭く、ツインベッドが並んでいた。だが、15人の妊婦たちの元気さと温かみと笑いが産院には満ちていた。さもなければ、産院はとても地味なものとなっただろう。ファミリー看護師のノエミ・ノダ・ゴンサレスさんは、多くは栄養失調が理由で入居が認められたと言う。それは、キューバに対して40年もなされている米国の経済制裁の深刻な影響のひとつなのだ。

 キューバでは、産院の入居者に対して、妊婦用ビタミン剤を提供し、妊娠中の全女性に一日に三度の食事と2,800カロリーを提供することで、この問題に対応している(Bernal 2001)。妊婦たちの家にいる入居者がそれ以外に抱えるリスク要素は、糖尿病、貧血、そして、双子だった。産院に入居している女性たち(22~32歳)は、20~39週目になる。産気づけば、出産のために40分ほどの近隣のピナル・デル・リオ市内の病院に運ばれる(Noda Gonzalez 2001)。

 産院での出産後の教育には授乳支援もある。新たな母親たちの95%は、赤ちゃんを母乳で育てながら退院し、母親たちの80%は、4カ月間、母乳だけで赤ちゃんを育てる(de la Osa 1999)。女性たちは、出産の6週間前と出産後の3カ月は完全有給産休を保証されているし、働かなくても、最大1年は給料の60%を受け取られる(Gonzalez Mencio 2001)。

 ある晩、私は妊婦たちの家のポーチの上の10ある木製のロッキングチェアのひとつに座かけ、米国の出産の技術や妊娠中の医療と人生とキューバのそれについて、入居者と一緒に蚊を叩きながら、対話をした。ある女性は、医師や看護師が診察した後、うたた寝をした後は、来客やお互いに何時間も話すのが普通の日だと語った。入居者のほとんどは、妊娠中には、夫や子どもや家族と暮らすよりも妊婦たちの家で暮らす方が好きだと同意した。

 私は、産院で暮らしていて、何が特に好きなのかをひとりの女性に問いかけてみた。彼女は、「平和、平静、そして、食事」と答えたのだった。

 Heather Renz, Cuban Maternity Homes, Midwifery Today Issue 61, Spring 2002.,