2004年12月 本文へジャンプ


サルーを楽しむ



彼女はいま


 ヤミラ・デ・アルマス・アギラ博士は、シエンフエゴス州の出身で、同州の医科大学の学長、後に医療局長となったが、ファミリー医療の専門家だ。

 今は、ハバナ市の医療局長だ。都市での慢性病管理のパイロット研究に携わり、とりわけ、循環器系に取り組んでいる。

キューバのファミリー診療モデルについて

 60年代前半にただ一つの医療制度が構築されてから、キューバでは医療への権利は全市民に担保されてきました。80年代にファミリー医療モデルが導入されたのも、この人道的な概念に基づいています。それは、人間をシステムに分割された肉体の部分や病気、専門分野の中で見るのとは対照的に、人間をその社会環境、家族とコミュニティの中で見ようという包括的なケアの概念です。こうして、医療は、臨床を全体的に強化したり、疫学的な研究、公衆医療を重視する専門分野へと変わります。

 当然のことですが、私たちのファミリー・ドクターは、ただ病気を治療するだけではなく、健康の保護者です。そして、健康の概念には幸せの概念が含まれなければなりません。

 包括的であるとのこの思想。家族内での個人、家族全員、そして、制度を通じてコミュニティの健康に責任を負うことは、それ以外の場所や他国とは正反対のものです。

 新たな専門分野のひとつとしてのファミリー医療の課題は、それがまだ旅の途中で、困難な道の途上にあることです。専門家として権威や威信を得て、人民や同僚、社会全体から、信頼されるのには、ただ口先の演説ではなく、その成果によってのみ達成されなければなりません。

 私どもが唯一の医療制度を手にした瞬間から、プライマリ・ヘルス・ケアはずっと優先されてきました。革命初期における農村での医療サービスから、その後のポリクリニコ医院でのやり方でもです。キューバ人たちは、私どものファミリー医療モデルなくしてはもう暮らせません。それを改良したり、さらに良くすることはできますが、それなしではやっていけないのです。

地域密着型の医療について


 私たちのファミリー・ドクターや看護師たちは、仕事をするコミュニティ内で暮らしています。そう、コミュニティ内で暮らし、コミュニティの一部となって、コミュニティの暮らしをわかちあい、コミュニティのリーダーとなっているのです。

 これが、例えば、彼らが健康的でない所作に対応するのが簡単なわけなのです。通常の日々はとても複雑で、集会があったり、様々なサービスのために家庭を訪問し、患者を診ます。でも複雑であったとしても、この戦いの一部として、私は幸せだと言えます。近くで医療サービスを受けている人民を目にすれば満足感を得られます。

 そして、ワクチン接種キャンペーンからエイズや健康等に影響するライフスタイルへの予防活動への人民の参加まで、私たちを助けてくれる人民なくしては、それはできませんでした。そのことが、とても励みとなっています。

90年代の経済危機の間の挑戦について


 私は、キューバ人にとって、意味があったひとつに、90年代の困難な歳月の時にすでにファミリー・ドクターや強力な医療制度を手にしていたことがあると思います。ほんのわずかな資源しかなく、国全体がとても困難な経済環境にあるときでも、私たちは医師を養成することをあきらめませんでした。そして、国中でファミリー医療の適用範囲を改善しようと決めたのです。医薬品や機器は欠いていましたが、人民の近くにはいつも医療の専門家たちがいました。

 決して失われることがなかったのは、「健康の守り手」、人民の家庭の近くに、地区内にいて、彼らと同じ状態で暮らすファミリー・ドクターと看護師だったのです。

 困難な歳月の間でも「解決策が見つけられない」と口にするものはいませんでしたし、専門家として、技術や治療法の代替手段をさらに良くしようとしたのです。それが困難で複雑な経済の現実にもかかわらず、主な指標で大きな落ち込みがなかった理由です。

 中でも最も大切なことは、国家医療制度を支え、健康上の問題を解決するための機会、適用範囲、平等な医療を確保しようとする40年以上もの意志なのです。そして、ファミリー医療は、私たちの制度の背骨なのです。

 People in the Film, Further interview excerpts from ¡SALUD!, December 2004.