2007年6月25日 本文へジャンプ


サルー(Salud!)



サヨ新聞によるドキュメンタリー「サルー」の評価

 サルーは、コニー・フィールドさんが監督し、同氏とゲイル・リードさんが製作した2006年の93分のドキュメンタリーだ。

 南アフリカ、ガンビア、ホンジュラス、ベネズエラ、そしてキューバで撮影されたこのドキュメンタリーは、世界の医療の信じられないほどの格差を描き出す。マラリアのように治せる病気、きれいな水や汚物処理施設の不足、栄養失調他の生と死の問題から、数百万人もの不必要な災いや苦しみを示すのだ。

 そして、フィルムは、医療費が全部無料なことが権利となる普遍的な医療制度で見習うべき事例としてキューバを描いていく。

 医師たちは、コミュニティに住み込みで働き、治療のために国内の最僻地まで足を運ぶ。米国との経済戦の中であっても、必要な人々には複雑な外科手術が施されるのだ。

 キューバの進んだ医療。そして、全世界の窮迫する労働者たちを支援するために、準植民地国の限られた資源だけで、できうる限りキューバの医師たちが支援している姿が前後して映し出されていく。

 ドキュメンタリーからは、国際主義の医療チームが初めてアルジェリアに送られた1963年以来、キューバが約10万人の医師を、医療援助のために、世界の最も偏狭な地を含めて、101カ国に派遣していることが見えてくる。

 こうしたボランティアの医師たちは、もっと良い暮らしを望み、民間医療を通じてもっと稼ぐ地元の医師たちが足を踏み入れようとはいない場所まで治療を行っている。

 例えば、1998年のハリケーン後、ホンジュラスでは、わずかな医師しかでかけない地区で、キューバの医師がとても価値ある治療活動を行った。今、ベネズエラでされているようにだ。キューバはラテンアメリカ医科大学を含め、医学と看護学校を設立している。そこでは、アフリカから米国まで全世界の学生たちが養成されている。卒業後には、学生たちは祖国に戻り、最も必要とされるところで働く。

 フィルムでは、米国のリベラルな政治家や専門家が、キューバの医療制度を称賛している。カーター元米国大統領は、キューバが低コストの治療で、米国の医療制度と競争しうると語る。ミシシッピー州の民主党議員で、黒人議員連盟のメンバーであるベニートンプソンは、ミシシッピー州の23郡のうち、22郡で医療サービスがないことを指摘する。氏は、乳児死亡率がキューバの方が低く、自分たちよりも長生きだとも指摘する。ハーバード・メディカル・スクールのポール・ファーマー教授は、低開発国でも包括的なヘルスケア制度を実現できることをキューバが示すと指摘する。

 さて、このフィルムは、どんな貧しい国であれ、キューバがやっていることがやれることを前提としている。助けようとする良き人々、医師を養成し、それを世界に派遣するという意識の問題としてしまっている。良い人々が良いことをしているというわけだ。

 だが、このメッセージは、間違っているし、誤解を招きやすい。ドキュメンタリー・フィルムは美しく、キューバであれ、他国であれ、キューバの医師たちや、患者と友人たちとの交流の素晴らしいシーンはでてくる。革命以前のキューバに医療制度が欠けていたことで引き起こされた破壊的な場面もある。だが、そのことが政府や社会の徹底的な革命的な改革がなくても、キューバの医術や取組みができるとの印象を与えてしまうのだ。

 キューバが普遍的な医療制度を実現でき、誰しもに治療を提供でき、国際主義の医療旅団を全世界に提供できているのは、キューバが社会主義革命をやったからだ。1959年に、キューバの労働者と農民たちはカストロによって率いられた7月26日運動と反乱軍の指導の下、米国が支援するフルヘンシオ・バティスタの独裁政権を打倒する。これがすべてを変えた。

 革命政権をバックに、キューバの労働者たちは、米国の帝国主義者の優位と資本家による階級格差に終止符を打ち、圧倒的多数の利益に役立つ前進を成し遂げることができた。いかなる国家であれ、社会主義革命を成し遂げ、ヒューマニティの価値に何よりも重きを置く指導者なくていては、キューバの優れた医療の事例を見習うことは不可能だ。アルゼンチン生まれの革命家、チェ・ゲバラのリーダーが表現したように、革命的な医師になるには、まず何よりも革命をしなければならないのだ。つまり、これは、労働者たちが、キューバが医療や他の分野でなしとげたことを見習うことができる社会主義革命の事例なのだ。


 Lea Sherman, Salud!' shows Cuba's health care system, internationalism, Militant, June 25, 2007.