2008年1月13日 本文へジャンプ


キューバとフィリピンの医療制度

共通する歴史を持ちながらなぜ違う

 

 キューバとフィリピンには共通することがある。いずれもスペインの旧植民地で、その後に米国の植民地となったからだ。だが、その独立では違ったものを獲得することとなる。キューバは軍事革命によって、1959年1月1日に米国に支えられたフルヘンシオ・バチスタの独裁政権を打倒したが、フィリピンは、第二次大戦後の1946年7月4日に銀の皿の中で米国の植民地からの独立が与えられる。だが、それは、フィリピンの法律やその「傀儡政権」を通じて、米国の利益が組み入れられた後だったのだ。

 独立以来の両国の政治体制は対照的だ。キューバは、カストロ率いる革命指導部を通して社会主義国を確立し、革命以来の米国から課された経済封鎖にもかかわらず、その主権を主張してきた。一方、フィリピンの方は1946年以来、米国の衛星国であって、その新植民地政策に従属している。

 キューバとフィリピンの対照的な政治・経済体制を象徴するのが、その政府の医療制度だ。キューバのホルヘ・レイ・ヒメネス大使がバギオ市を訪れたことで、私は、キューバの医療制度のことをさらに学び、その医療制度をフィリピンのそれと比べる機会を得た。

キューバの医療制度


 ヒメネス大使は、誰しもが健康を守られ治療への権利を持つことは、憲法にも含まれるとして、キューバの政策を紹介する。この健康権利を保証しているのは国だ。農村における医療サービスのネットワーク、診療所、病院、予防と専門治療センター、無料の歯科治療、健康キャンペーン、保健教育、定期健康診断、一般的なワクチン接種、そして、病気の発生を未然に防ぐその他の手段を促進し、無料の医療と病院での治療が提供され、全人民が、社会的な大規模な組織を通じてこうした活動と計画に協力している。

 医薬品センターを含めた医療機関は、すべてが国営で、全医療サービスは政府によって提供され、政府が財源を担保している。キューバの健康政策は政府による総合的な福祉医療制度を通じて実現されている。

 ヒメネス大使は、キューバの医師と患者比は、1958年には9.2人:1万人だったが、2006年では1人:158人で、かなり改善されたと主張する。現在では1100万人以上の人口で7万1489人の医師がいるのだ。キューバの乳児死亡率は、劇的に減り、現在では1,000人当たり5.3人で、ヒメネス大使は、キューバの乳児死亡率は世界でも最も低いひとつだと語る。だが、1950年には、それは60人だったのだ。キューバのグランマ紙は、5.3人という乳児死亡率は、史上最低のもので、全米内でも一番低いカナダに次ぐ、と報じている。2007年のユニセフのリポートによれば、世界の乳幼児死亡率は52人で、ラテンアメリカでは26人、そして、西アフリカでは108人なのだ。

 WHOのデータも、乳児死亡率が5人であるとのキューバの主張を裏付けるが、米国のそれは7人だ。また、米国での医師と住民比が2.56人:1,000人だと述べている。WHOのリポートは、キューバの医師と患者比は、イタリアに次いで、世界で2番目に高いと付け加えている。

 ヒメネス大使は、医療制度のベースとなっているのが、ファミリー・ドクターの医院であって、国全体にちりばめられたファミリー・ドクターによるサービスを国民の99.7%が受けられると説明する。ファミリー・ドクターは7万1489人いる医師の47.4%を占めるのだ。ファミリー・ドクターは国民を助けるが、健康に欠かせない基本的な4点、①予防、②健康増進、③ケア、④リハビリを担保する。1人のファミリー・ドクターと看護師は約500~600人の住民をケアしている。

「われわれは、州からムニシピオにいたるまで、全人民が利用できる無料の普遍的な国家医療制度を開発してきた」と、ヒメネス大使は説明する。

 1959年以来、米国やその同盟国から経済封鎖を受けているにもかかわらず、キューバはこの制度は発展させており、243の病院と473の診療所があるが、すべてが国立だ。医学校は21あるが、1959年以前には1つしかなかった。そして、ある国際医学校では、ラテンアメリカや世界からの専門家を訓練しており、太平洋の諸島のための医学校もある。ハバナのラテンアメリカ医科大学からは4500人の医師が卒業した、とヒメネス大使は言い足す。卒業生たちは「高い科学知識と、ヒューマニスティックな倫理をもって専門的に行動し、出身国で最も貧しい人々にサービスする」ことを誓う。

 キューバは、その国際的な医療ミッションで、注目に値する。旧植民地や発展途上国の出身の医師たちは、恩恵を受けられず、専門性も開発できず、給与が非常に安いために先進国に流出しているのだが、キューバは1963年以来10万人以上の医療業務従事者を100カ国以上に派遣できているのだ。ヒメネス大使は、こうした国際的なミッションは「人権を本当に守る人的資本を欠く米国やヨーロッパでは決して実施できない人間の功績」だと語る。

フィリピンの医療制度


 人々の健康への権利を保護・促進する政策については、フィリピン政府も繰り返し口にしている。だが、健康状況の様々な現実の指標から、それは、リップサービスにとどまっている。全国統計事務所のデータによれば、1999年現在の1000人当たりの乳児死亡率は54人だ。コミュニティ・医療教育・サービス・訓練によれば、北部ルソンのコルディリェラ地方では医師と患者比は1人: 1万~2万6000人だ。

 ソーシャル・サービス予算と同じく、医療予算も一番優先されない。それは、国家予算の2%にすぎず、一人当たりにすれば35センターボだけだ。国家予算のほぼ40%は中央政府が債務返済のために割り当てており、医療のようなソーシャル・サービスの財源を奪っている。

 中央政府は、医療サービスを地方分権化することで、地方自治体に公共医療への責任を押し付けている。この地方分権化政策は、第三世界諸国の構造調整プログラムの一部として国際通貨基金と世界銀行によって課されたものだ。

 結果として、この政策では、政府所有の病院で患者に料金を課すように「新税計画」を採用するよう地方自治体は強いられている。貧しい地方自治体は、公共医療に資金提供する能力がないから、苦しいままに取り残されている。

 関税と貿易に関する一般協定、ガット・ウルグアイランドを1995年に国会で批准したことに続き、フィリピンは世界貿易機関の会員となっている。そして、病院を含めた、ほとんどの国立機関の民営化に着手している。民営化によって、現在、政府と民間病院の比率は1:2となっている。これを提案したのは、現在の第14代大統領であるアロヨ・グロリア・マカパガル議員だった。

 政府が掲げる民営化の目標の中には、フィリピン癌センター、国立腎臓移植センター、フィリピン心臓病センター、国立精神健康センター、フィリピン整形外科病院、国立小児病院がある。こうした施設の民営化は、公共医療の料金を決める「権利」を民間のオーナーに手渡し、健康ケアサービスを商業化し、助けを否定している貧しい患者を否定する。

 民営化は経済の多国籍企業による支配も強化する。チェストコア氏は、製薬工場のうち地元企業が管理しているのは28%だけで、72%は海外の多国籍企業に支配されると語る。うち、23%は米国系のユニ・ラボが支配している。

 結果として、産業の支配者たちが価格を決められるようになっており、例えば、チェストコア氏は、500mgのアンキシシリン・ブランドは、錠剤単位で製造コストが0.04ドルなのだが、0.54ドル以上で売られていると主張する。

 薬用植物種の特許取得も製薬業の海外支配を強める別の問題だ。チェストコア氏は、糖尿病治療用のbanaba、反腫瘍薬のsambong、発毛とせき治療のlagundiといったフィリピンの種の特許を、外国企業が既に取得してしまったと語る。

 政府の労働力の輸出政策によって、医療業務従事者の流出も医療制度の状況を悪化させている。国内での雇用機会の乏しさや低賃金によって、フィリピンの医療業務従事者は海外に流出している。フィリピンの看護師の85%は、現在海外にいるとされている。医師流出では、フィリピンはインドに次ぐ。医療従事者たちの80%は、海外での看護師として仕事に向けて看護師養成所に入学するという。

福祉制度VS民営化


 世界銀行でさえ、キューバの医療、そして、教育の成果を称賛している。世界銀行の世界開発指標、とりわけ、2001年の指標では、キューバは医療と教育の統計ですべての貧しい諸国のトップとなった。米国による49年もの経済封鎖にもかかわらず、この成果は達成されたわけで、キューバの経験は彼らが正しい道を歩んでいるということを示しているだろう。

 キューバは国際通貨基金や世界銀行のメンバーではないのだが、その経済を国有化することで生き残っている。これとは対照的に、フィリピンは、米国の新自由主義政策にことごとく飲み込まれてしまっており、現在、世界でも最も貧しい国となっている。その経済は負債志向で、国際通貨基金や世界銀行に頼り切っている。そして、第二次世界大戦以降、フィリピンはその予算の最大部分をほとんどが、国際通貨基金や世界銀行への負債返済に割り当てている。国家経済の海外による支配は、政府の貿易自由化、規制緩和、民営化といった諸政策で強化されている。それは、ラモス政権時代にアロヨ議員が主に提案したものだ。

 キューバとフィリピンの制度を比較すれば、キューバは、その医療と低い乳児死亡率から、基本的人権が尊重されることがわかる。もし、現状を改善し、その人民の基本的人権を完全に尊重したいと願うのであれば、フィリピンは、キューバの経験から学ぶ必要があり、その経済を民営化する道から抜け出なければならないのだ。

 Arthur L. allad-IW, Cuba and Philippines: Common Colonial History, Different Gov’t Systems,

ulatlat, Vol. VII, No. 48, January13-19, 2008.