2008年6月 本文へジャンプ


奇跡の計画



第三世界の31カ国からの100万人の患者が視力を回復

 キューバの新たな「奇跡の計画」、「私は再び見ることができる」について解説した最近の新聞の見出を読んで、私は奇跡の計画に興味を抱くようになった。ベネズエラのウゴ・チャベス大統領とキューバのフィデル・カストロ国家評議会議長によるこの並はずれた人道主義的なプログラムの発明のおかげで、中南米の貧しい村の患者の目が見えるようになっており、目の手術は成功しているのだが、タダなのだ。

 キューバのエウミリオ・カバジェロ外務副大臣の最近の説明によれば、第三世界の31カ国の約100万人の患者が、この奇跡の計画プログラムの一部として、キューバの医師の度努力によって目が見えるようになっているという。

 最近ハバナで開催された第14回国際ヨーロッパ研究会議で話した後、副大臣は、この貧しい人々に無料で治療する目の回復プログラムは、キューバとベネズエラによって、主にラテンアメリカやカリブ海で進められている、と説明する。副大臣は、プログラムにはキューバの寄付による8カ国への眼科手術用の37の外科センターや現在建設中の7センターもあると指摘する。

 奇跡の計画は2004年7月から始まったが、その目的は、10年以内にラテンアメリカの600万人の視力を回復することで、実に野心的な目標といえる。

 副大臣は、キューバの医師が、主にラテンアメリカ、アフリカ、アジアで3億7100万回の診察を行い、80万回の出産に立会い、240万人に手術をし、930万人の子どもに予防注射をしたとも付け足す。そして、4万6000人以上のキューバ人、うち3万6000人が医師や医療関係者なのだが、現在、97カ国で援助活動に従事していると述べた。その多くは遠隔地や困難な状態下にある国だ。

 また、121カ国からの5万5000人の若者がキューバの教育機関やそれ以外の国でキューバの専門家と共に学んでいるとも語る。うち4万9700人は医学生だ。また、副大臣は、この4年間で、22カ国の260万人の成人が「私だってできるさ」というユネスコも認めるキューバのプログラムを通して、読み書きを習ったことも指摘する。

 キューバのラヘ副大統領は、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領とキューバのラウル・カストロ第一副大統領が出席された式典で、キューバとベネズエラの統合の14もの新たな協定が調印されたと発表した。フィデル・カストロ大統領とウゴ・チャベス大統領がこのアイデアを発想した当初は、ラテンアメリカの貧しい人々に年間に5,000件の無料の目の手術をすると想定されていた。だが、現在では、その数値は月に5,000件の手術がなされている。

 奇跡の計画は、アルバ(ALBA)の連帯と統合という原則の下、動いている協力プログラムだ。キューバの医師や技術者は、最先端の眼科治療の技術をもって、年間に100万人の患者を手術できる能力を生み出すため、一生懸命働いている。国際医療機関の統計によれば、全世界では約5000万人が盲目で、うち150万人は16歳以下だ。世界保健機関の最近の情報によれば、ラテンアメリカでは、500万人の子ども、ティーンエイジャーと成人に目の手術が必要で、カリブ海では、その数値は50万人だという。

 奇跡の手術の成果は、最近ニカラグアでも祝われた。そこでは、4月にキューバの支援で眼科診療所がオープンし、約1万5000もの手術が実施されたのだ。

 2008年5月15日、キューバとアンティグア・バーブーダは、無料の眼科手術プログラム、奇跡の計画のための法的枠組みとして、覚書に調印した。アンティグア・バーブーダのボールドウィン・スペンサー首相は、ラウル・カストロに招かれ、月曜日にハバナを公式訪問したのだが、ラモン・バラゲール厚生大臣とサインしたのだ。

 バラゲール大臣は、アンティグア・バーブーダの人々にかなり多い糖尿病のキューバの治療経験に、とりわけ、スペンサー首相が関心を示したと語り、首相はこの慢性病にふれ、キューバが寄贈した総合糖尿病センターについても話した。また、首相はキューバによるアンティグア・バーブーダの看護師養成協力にもふれた。
アンティグア・バーブーダからの患者は2005年7月22日からプログラムによって治療を受けており、現在まで、58人に1人の国民が視力を戻した。
現在、44人のキューバの医療関係者が、アンティグア・バーブーダでは働いているが、同国出身の43人の若者がキューバで医療を学んでいる。

 ラテンアメリカにおけるキューバ医療のそれ以外の成功事例はボリビアだ。2005年の8月以来、奇跡の計画プログラムによって、年の11月現在、18万4080人以上の貧しい人々が目が見えるようになった。しかも、キューバとベネズエラは、ラテンアメリカでそれを望む人々に医療と識字力をもたらすという野心的な計画も持っている。2007年にボリビアで達成された成果から判断すれば、それは注目に値する成功だ。

 それは努力が、ボリビアのエヴォ・モラレス、フィデル・カストロ、そして、ベネズエラのウゴ・チャベスの人気を大いに高め、EUや米国によってなされるどんな援助もかすんでしまう。

 ベネズエラの資金でキューバとベネズエラが協働運営する眼科専門病院では、9~17時まで開いており、キューバの外科医が休みなく眼科手術を行う。それは数多くあるセンターのひとつで、そこではキューバの専門家が2007年に5万6144もの手術を行った。ボリビアとペルーの国境近くのコパカバーナやアルゼンチンとの近くのビヤソンの2センターもそうで、そこでは、ボリビア人よりもペルー人やアルゼンチン人の方が多く治療されている。だが、条件はすべて同じで、治療代は完全に無料だ。

キューバとベネズエラは無料で西半球の誰しもに眼科手術を実施

 キューバとベネズエラ政府は、米国を含め、西半球で暮らす全員に眼科手術を行っていると発表している。それには、患者や付き添いがキューバに治療にでかけることも含まれるが、治療代はかからない。このキューバの取り組みがカリブ海の小島にもたらす成果は莫大なものがあると報告されている。

 奇妙なことは、ボリビアにキューバとベネズエラの病院がある理由のひとつは、多くの患者がキューバでかけるためのパスポート代を得られなかったことがある。2008年1月の演説で、モラレス大統領は、2007年にはキューバの医師によって321万7897人が治療を受けたと報告した。それは、国民の三分の一以上であり、うち、4,664人は眼科以外の手術であり、4,179人が命を救われた。キューバは564トンもの医療品も送った。

 現在、ボリビアにはキューバの医療保健業務従事者が1,766人おり、来年にはさらに別の300人の医師がやってくることとなっている。

「私は初め、キューバ人たちが政治をもたらし、我々同胞を共産主義者に作りかえようとしているのだと思っていました。誰も共産主義を望んでいないここでは、それは困難なことでしょう。ですが、私は、それがされている証拠を全く目にしませんでした。キューバ人たちがここにいてくれることを本当にうれしく思っています」

 労働者のごくわずかしか組合組織の医療保険がないボリビア医療にあっては、それは、必要とされるバックアップだった。民間の医療を受けられるほど豊かな者もいるが、それ以外は哀れなことに不十分な国の制度を当てにしなければならなかったのだ。キューバとベネズエラがボリビア政府のために特別な援助努力をしていることは明らかだ。だが、キューバの援助の取り組みは全世界でなされている。EUの面子を保つものとして、スペインが700台の救急車をボリビアに送っていることはあげられる。だが、ベネズエラやキューバの援助はずっと大きい。

 最近、エル・サルバドルから労働者階級の47人がキューバの最先端の眼科病院にやってきた。多くは白内障で、ほとんど目が見られなかった。彼らの中で、デルガド市のフランシスカ・アントニア・ゲバラさん(主婦、74歳)は、世界がぼやけて見えていたと言う。だが、彼女は、祖国で目医者を訪ねたが、人工水晶体移植の200ドル、ましてや外科手術代は払えなかったと口にする。

「お金がほとんどないものですから、資金調達ができませんでした。この不景気の中で、どうやってお金を都合できましょう」

 キューバの景気もよくはない。だが、2時間もたたずにゲバラさんの白内障は切開され、レンズが移植された。航空代、住宅代、食費、治療のフォローアップ代を含め、すべての代価をキューバ政府が支払った。

 2004年7月にスターとして以来、このプログラムで恩恵を得ているベネズエラや中米、カリブ海からの何十万人にとっては、奇跡の手術はまさに適切な命名といえる。だが、プログラムは単なる人道的な努力にはとどまらない。タダというわけではないのだ。目を見えるようにするというこのキャンペーンは、キューバ社会主義の恩恵の強力なPRとして機能しているのだ。キューバの国家型経済がふんだんに生産しているわずかなもの、つまり、医師を輸出するという巧妙なやり方と同じく。

 海外にいるキューバの医師は、それ以外の国からの諸手当とあわせ、帰国時に、車を買ったり、比較的ぜいたくな家を手に入れられるという権利のように国内にいるよりもずっと良い賃金をもらえる。結果として、最も優れた医師の多くは海外で働いている。国内にとどまる医師や看護師の層は薄くなり、酷使され、結果として、キューバ人のための治療の質を落している。そう語った人も医師や患者の中にはいた。

 キューバ当局は、プログラムが動き出して以来、白内障や緑内障といった目の治療を75万人以上に行っているとも述べている。

 指摘したように、キューバはラテンアメリカやカリブ海に小規模な眼科病院を計37も立ち上げている。ベネズエラとボリビアには25センターがあり、そこの指導者とカストロとのつながりは密だ。

 病院には70人以上のキューバの最高の眼科外科医とあわせ、何百人もの看護婦や眼科医が配置されている。ひとつのキューバ眼科研究所の所長、レイナルド・リオス・カサス博士は、最初の頃は、プログラムは消耗戦だったと語る。

 眼科外科医は3交代で働き、手術室を昼夜兼行で動かしました。独身の外科医が交代で40回も手術をすることも珍しくはありませんでした。本当に英雄的です。我々は、昼、午後、夜と手術をしていたのです」

 以来、リオス博士は、彼の病院では2008年に2,100人という驚くべき率で新たな眼科医を養成していると語る。その半分が外科医だ。病院予算は十倍にも伸び、設備もアップグレードした。そこには、最先端の設備を備えた34もの手術室があり、うち2室は高度なレーザー外科療法の技術もある。

 このプログラムの1つのメリットは、若い外科医が腕を磨くように、一定の患者を確保したことだ。博士は、2008年のこれまで、病院で394もの角膜移植を行ったと指摘する。

「私どもの専門家が信じられない量の経験を持っています。世界のどんな専門家が年に何十もの角膜移植ができるでしょうか」

 近年、このプログラムで、キューバは、ベネズエラの補助金を受けた廉価な石油のバーターに医師を使うことができている。そして、キューバとは歴史的に近くないエル・サルバドル等、領域の他国とも親密な関係を鍛造している。
だが、視覚を回復する人々は、プログラムの政治、そして、経済的な影響は懸念しなくてもいい。この点では、無料の外科の提供は夢を実現させているのだ。

 夫がサン・サルバドル出身の退職した建設労働者であるゲバラさんは、また目が見えるようになる望みをあきらめていたと語る。彼女はマヤのラジオ放送でキューバのプロジェクトについて聞いた。

「誰かが私を助けてくれるとは想像もできませんでした」

手術を待ちながら、こう彼女は語る。

「私がずっと盲人のままだと考えていたのです」

 待合室の彼女の近くには、白内障のために13年も目が見えなかった、エル・サルバドル、サン・ビセンテのレイナ・ロペス(58歳)さんがいた。彼女の娘、アディリア・レジェスさん(33歳)は、失明してからずっと母親の面倒を見続けてきた。4人の子どもがいるが、家族は、彼女の父親の一日に3ドルの給料と、土曜日に市場で売るちょっとした果物だけで生計を立ててきた。

「貧しい者には、これは途方もない恩恵です」

手術前の検査で母親の手を引きながら、彼女は言う。

「とてもありがたく思っています」

 その階下のカフェテリアでは、ベネズエラのマルガリータ島I出身のプロのフェンシングのコーチであるマヌエル・アグスチン・イサシ(33歳)氏、が、数年ぶりに両眼でその料理を目にしながら、豚肉、米、豆の昼食を食べている。
3年前に、氏は自宅で家事をしていて、偶然、生石灰で両角膜をやけどしてしまい、その事故でフェンシングのキャリアを失ったのだった。

 プログラムがスタートしたとき、氏は左目の角膜移植を受ける最初の一人だった。そして、ハバナの医師は11月の前半に右眼の角膜も取り替えた。氏はキューバ政府とベネズエラのウゴ・チャベス大統領のための賛辞を惜しまない。

「私が完全に盲人のままだったでしょう」

剣術使いの鋭い目線で彼は言う。

「視覚は人生の半分です」

 氏以外の少なくとも100万人も、氏の見解に同意し、奇跡があるという事実を証言することができるのだ。


 Raquel B. Tejeda, Cuba's Operation Miracle, Caribbean Property Magazine, June 2008.