陶+鉄+木=work
Workトップホーム  
KINTA造形論
 

最初に私に何の形もない。スケッチもしない。
土・鉄・木の中でも粗いもの、繊細なもの、錆びたもの、新しいもの、古いものとあらゆる顔を持っている。
その顔達の特性と日々、出会い、対話し、見い出し、その素材が最大限に生きるようにと制作する。

あくまでも素材が主役で私が主役ではない。
そうすることにより、私という小さな個人から解き放たれ、それぞれの素材に連れていかれ、見た事のない広い世界と出会える可能性を常に秘めることとなる。
素材はその度、顔が違うのでそれ等に合わせて逆らわずにつくると、自然とその進む方向が決まっていく。
作品に私的思惑を持たないと、無理がなく、スランプもない。

私の作品づくりは、誰かに依頼するわけにはいかないので、よくある造形法の一つとしての、設計図がありそれに向かい正確に形をおこすという事はしない。
そう制作してしまうと色んなインスピレーションやアクシデントや思いがけない事がやって来た時に、それらを取り入れる自由を失ってしまう。
常に己を空っぽの状態にして、何ものにもとらわれない、全てを受け入れられる柔軟な心の状態が好ましい。

いつもぶっつけ本番の真剣勝負である。
感覚としては、ライブで唄うがごとく、自然に流れるようにあれよあれよと勝手に進んでいくのが好ましい。
むずかしい顔して考えては作れない。造るという感じより、成るようにできてしまったほうがいい。
頑張りすぎず、気張りすぎず、いい緊張感を保ち、肩の力を抜いてできたものがいい。

ようやくこういう心持ちの階段を登る道スガラとなる。
20代の頃は何をどうつくるかその意義もわからず、やたらやみくもに、強引に素材を押し込めて造っていた。
そんな若気のいたりも、いい反省として今のものづくりに大いに役立っている。
素直に素材や人や物事、全てをを見つめ、眺め、生きる事が大事だとつくづく思うこの頃です。