何もかもが眩しかったあの瞬間が。

 何時でも無邪気だったあの時間が。

 何処でも前を向けたあの場所が。

 全てが素晴らしい物だった。全てが美しい物だった。


 それは私が小さかった頃のお話。誰にでもある幼児期のお話。

 それは私の大事なもの。誰にでもある大切な宝物。


 小さかった私はそれを守りたかった。ずっとずっと持ち続けたかった。

 全部守りたかった。全部守ろうとした。一時も目を離さずに守り続けようと。

 見た。見続けた。飽きるぐらい見続けた。網膜に焼きつくまで見続けた。


 例えば真夏の日差しの下で。

 例えば降りきしる豪雨の中で。

 例えば凍てつく吹雪の狭間で。


 私は見た。

 私は診た。

 私は観た。

 私は看た。


 そして最後に―――私は視た。







 決して勝てない『現実の姿』を―――視た。
















星天学園物語

水峰 未耶の場合/第一話













 ―――たとえ季節が春でも、寒い時がある。夜の街は夏の夜ですら冷えるのだから。


 冷たい風が体を鋭く斬りつける。頭上も周囲も真っ黒な空間で、風は見えない刃となって私を酷く苛める。

 時間帯から考えると、まだまだ街灯の輝きもネオンの煌きも消える時間ではない。けれど大通りから外れた位置にある此処は、まるで別世界のように暗く陰鬱としている。桜色の木の葉が舞う季節だと、到底思えない。たとえ今が夜であったとしても。


 暗い。黒くて冷たくて寒くて怖くて何も無い。此処は何も介在していない場所。

 遠くで人が歩いている。急ぎ足。一人で急ぎ足。性別不明の急ぎ足の誰かが居る―――家に帰る途中なのだろうか。

 家。暖かい処。黒くなくて冷たくなくて寒くなくて怖くなくて何もかもが有る。其処は全てが存在している場所。

 一人じゃない。同じような人が何人も居る。家族の待つ場所に帰ろうとしている。明かりの灯った場所に還ろうとしている。行こうとはしていない。みんな、“かえる”つもりで歩いている。

 流れていく。人という『点』が止まることなく流れて『線』になっている。

 川のように風のように流れていく。停滞はしない。みんな家に帰るまで停止しない。決まった流れ。予測するまでもなく確定された人の流れ。

 終わらない。きりがない。何処まで続いて、何時終わる?

 判らない。分からない。解らない。先なんて見えない。見える筈が無い。

 だけど、必ず止まる。何処かで止まる。いつか絶対確実に止まる。



 流れと流れがぶつかれば―――――止まらざるを得ない。
























「時に真宮頼子。俺達二人の相性は、やはり最悪としか言いようがないと思うのだが、お前はどう思う?」


 始業式から一週間後の夜の街。その夜の街で私の隣を歩く、白髪赤眼の〈詠ウ者〉が唐突に呟いた。

 私はとりあえず、隣人に向かって睨みを利かせながら―――その意見だけは共感する。


「ええ。全くもって同意見よ。ついでに言うなら、そんな私達にコンビ組ませた葉月先生も、やっぱり私達と相性悪いのかしら」
「それは早計だな。師を嫌う人物はそうそう見かけん。それは俺達二人にも言える筈だ……単に師の趣味が悪どいだけだろう」


 ああ、納得。たしかに私は葉月先生を嫌ってはいない。ただ、葉月先生の考えについていけないだけなんだ。

 ……けれど隣に歩いているこの男は別。苦手を超えて、確実に嫌っている。もしかしたら天敵の竜胆鈴歌よりも。

 高い長身。日本人のそれとは思えない銀に近い白髪。血の様に紅い瞳。一目で解るアルビノの男。しかもどう言う訳か、日本人離れした容姿に違和感を覚えない。それほどまでに完璧な造形の男―――榊原白夜。


「ふむ……妙にカップルが多いな。俺達も“普通なら”そんな風に見えるのだろうか?」


 通りすがる人達を、呆と眺める榊原。

 夜の街は今こそ、その本来の役目を果たしているように人が多い。通りすがる人達は、皆一様にして何かを話しながら歩いている。何を話しているかまでは知らない。まあきっと、どうでもいいこと―――つまり世間話とか。

 特に眼を惹く、というより多いのが榊原の言うように一組の男女の組み合わせ。ようするにカップル、恋人、愛ではなく恋を囁いている様な、そんな連中ばかりだ。

 私達の通う星天学園にも、似たような者達は居る。恋に恋してる、後先考えずに今を楽しんでいるような―――私から言わせると馬鹿馬鹿しい連中。ま、人其々なのだから表立って皮肉言うことはしないし、私の考えが偏見だって解ってる。

 けれど


「何の冗談? カップル? 私達が? ―――馬鹿馬鹿しい。外だろうと学園だろうと、私と貴方がそんな風に見えるとでも?」
「いや、まず見えんだろうな。ただ、それは俺とお前の主観であって客観ではない」
「それこそ戯言よ。私と貴方、主観も客観も無いじゃない。初対面から反りが合わないって理解して、一年経った今でも何も変わってない……大体、こんな不機嫌そうな顔した二人組、何処のどなたがカップルだと思うのかしら?」
「……違いない」


 私の返答を、歪んだ苦笑を浮かべながら榊原は同意する。

 本当に、この男とは何時まで経っても反りが合わない。お互いに、これと言って主義や主張が違う訳でもないのだけれど、どうしても好きになれない、気を許せない。まさに天敵だ。

 実際、私は榊原のどこが嫌いなのかと問われても答えられない。むしろ榊原の性格には似たものを感じるのだが、それでも私は彼が嫌いなのだ。性格云々ではなく、彼が彼だからこそ嫌いと言っていいのかもしれない。初めて会ったあの時から、それは変わっていない。



 私が彼と―――榊原白夜と出会ったのは一年前。私が星天学園の二学年に進級した時の事だ。



 当時、退魔師の一人がこの町の管轄から外れたことにより、外から補充という形で榊原白夜はこの学園にやって来た。

 管轄から外れ、この街から去った退魔師の実力は高く、その穴を埋めるべくしてやって来た榊原の力は私も認める。仮にも戦闘専門の〈封ズル者〉の後釜を任せられる程だ。万能とも言える〈詠ウ者〉の一族とは言え、榊原の力は郡を抜いていた。だから、力は認める。

 けれど―――どういう訳か、私は彼が気に食わない。榊原の方も私を嫌っているのが丸解りだ。自他とも認める犬猿の仲。なのにコンビを組まされる。二人一組が基本なのは解っているが、榊原とのコンビだけは御免こうむる。異議あり、とはまさにこの事だ。

 ―――とか言いつつ、榊原が私の相棒となって、もう一年経っていたりする。

 ……本当に訳が解らない。こうして夜の街を二人揃って歩いているのも解らないけれど、榊原に対する印象が一年前から全く変わらない自分の感情も解らない。好感なんて微塵も持っていないはずなのに、目立った確執もないまま一年が過ぎている。

 本当に解らない。何だってこんないけ好かない男と一年間もコンビ組んでいるんだ、とか。何で一年間もパートナーやれたのか、とか。本当に、自分で自分が解らない。

 そんな感じに物思いに耽りながら、隣を歩く榊原を見ると無気力無関心を体現したような瞳で周囲を、街並みを、人混みを観察していた。


「―――――たまに気が狂いそうになる」
「……突然何? 主語を言ってから言葉喋りなさい。聞いてる方は意味不明よ」
「いやなに、この混雑の中を歩いていると飲み込まれそうになることがあるのでな。“識”を感じることが出来る〈詠ウ者〉特有の病気のようなものだ」
「ああ……成程ね。まあ、気持ちは解らないでもないけど。人混みは私も嫌いだし」
「ほう? 流石は風紀委員か。よほど整理と統率で支配された環境が好みらしいな」
「皮肉言うのやめてくれる? 私は普通に人混みが嫌いなだけ。……そもそも、好きな人なんて居るの? 人混みを?」


 私は別に人嫌いという訳ではないと思う。ただ普通に混雑が嫌いなだけである。

 他人同士が混み合って歩くのも喋るのも全て癪に障る。体温を感じる程までに他人が寄ろうものなら、それこそ身も毛もよだつ。下手なホラーより余程恐怖だ。馴れ馴れしく話しかけてくる輩などは、有無を言わさずしばき倒すことにしている。

 とにかく駄目なのだ。私は人が混み合っているというだけで鳥肌が立つ。私にとって人混みは、退魔の仕事よりも厄介なのだ。

 まあ、そんな人混み嫌いな私には、榊原の―――〈詠ウ者〉の気持ちは多少解る。彼等からすれば、人混みの中を歩くことは下手な拷問よりも心身に影響を与えるに違いない。“万能能力者”故の欠陥は予想以上に辛そうだ。


「ま、気分悪くなっても発狂しても良いけれど……“人払い”の手まで休めたりするんじゃないわよ」
「ふん。誰に物を言っている? その程度造作も無い……お前こそ監視を怠るなよ、真宮頼子?」


 榊原は言うなり、紅い瞳で私を睨む―――上等。私に対して、そんな口の利き方をするとは。なかなか良い度胸している。

 ―――とは言え、冗談抜きで“上手くやっているようだ”。先程から終始喋りつくしで歩いているのも関わらず、誰一人として私達二人に関心を示さない。こんな夜遅くに、どうみても学生の二人組みが、街中を歩いているにも関わらず。

 ……流石、というべきなのだろう。これほど自然に淀みなく、人払いの結界を張れる退魔師はそう居ない。私に至ってはもっぱら戦闘専門の為、こういう小技は全くと言っていいほど使えない。刀で斬ったり殺したりは得意なのだけれども。

 横目にちら、と榊原の顔を見る。相も変わらずの冷静顔。鉄面皮という言葉が良く似合う。何かしているようには―――結界を張りながら歩いているようには見えない。一般人からも退魔師の眼から見ても、だ。

 言うだけのことはある。口先だけの退魔では無いと言うことだ。もっとも、〈詠ウ者〉の場合はその“口先の腕前”が最も重要な要素だったりするのだが。そもそも〈詠ウ者〉は



 ―――突然、榊原の歩みが止まった。



「どうしたの榊原?」
「……………」


 尋ねるが、無言。黙して動かず、けれど私を無視している訳ではない様子。

 ただ彼は、じっとある方向を見つめている。街並みに連なるビルの群れ。そのビルの隙間。ビルとビルの間にある僅かな―――路地裏。


「奥。右。奥………荒れた“識”だ。ふむ、複数で怒鳴り散らしている」


 ぽつり、と呟く。私は彼の呟きを聴いて、即座に脳内で整理。今、彼が発した言葉から推測される事態は―――


「……敵?」
「いや、その辺の馬鹿共だろう……日川の馬鹿が10馬鹿とするなら、奥に居るのは100馬鹿。それぐらいに気に入らん低脳が居る」
「へぇ、十倍……ただの喧嘩なら放って置くけど、その様子じゃ違うみたいね。恐喝か何かかしら?」
「おそらくな……見過ごすと目覚めが悪くなりそうだ」


 榊原は、まるで吐き捨てるように言うと路地裏の奥に進んでいく。妙に乗り気―――というか、苛立っている様子で。

 腹が立っている―――? いや、まあそれは解る。私だって恐喝や苛めの現場を見ると気分が悪くなる。それは誇りも信念も無い、ただ弱者を弄ぶ行為な場合が殆どだからであろう。そういう現場を素通りすれば、たしかに目覚めが悪くなりそうだ。

 けれど―――今がどういう時か解ってるのだろうか? あの白髪は? 馬鹿?

 私達は今、仕事中・・・だと言うのに―――――


 ……とかなんとか考えてる内に、榊原の姿が見えなくなってる。一直線に路地裏の奥に進んでいる。退魔の仕事を放って―――


「やれやれ……見た目と違って正義漢なんだから」


 そうして、文句を言いつつ私も路地裏へ。

 うん。何気に私も正義漢―――女だから“漢”じゃないけれど。

















 ―――目前に男が三人居る。

 一人は髪を金に染めた男。厚手のジャケットを身に羽織っているその男は、私を睨んでいる。おそらく何の反応も示さない私の無関心ぶりに腹を立てているのだろう。自分勝手な人だ。

 もう一人は黒い髪の毛。私を睨んでいる金髪とは違い、どこか落ち着いた様子がある。とは言え、彼も金髪の男同様に粗暴な人に違いない。こんな人気の無い路地裏に、女の私を引きずり込んだ時点で、黒髪の彼も危険な人。下手をすれば、落ち着いて冷静な分だけ金髪の男より厄介かもしれない。

 最後の一人は茶髪の―――彼の事はそれなりに覚えている。一年前まで同じ中学の同じ学年に所属していた生徒。普通とも言えず、かと言って不良と呼ぶにはあまりにも気弱に見えた彼。たしか、ずっと誰かリーダー格の人間に付き従っていたような気がする。自分ひとりでは何も出来ないという、従属的な人間なのだろう。

 彼ら三人は、私を路地裏に詰め込んで何やら叫んでいる。たとえば


「てめぇ……さっきからシカト決めやがって……何とか言えってんだよ!」


 と言った風に。叫んでいるのは気性の荒い金髪の男だけだが。他の二人は、金髪男の後ろに控えている。黒髪は落ち着いた様子で、茶髪は半ばうろたえて。

 そして私は


「…………」


 無言。此処に連れて来られてから終始無言を突き通している。まだ五分も経っていないが、改めて無言を長時間続行するとなると、意外に辛い。私は元々口数が多くないのだが、それでも無駄に黙っているのは気が滅入る。

 まあ、だからといって目の前の男達の思い通りに動くのは、御免こうむるけれど。


「ちっ……おい、晃。どうなってんだよこの女。こんなの犯っても面白くねぇぞ」
「お、俺に言うなよ……お前が言い始めたんだろ? ……俺は、別に」
「ああ? お前がコイツなら黙って泣き寝入りするとか言ってたんだろうが!?」


 金髪男の叱責に、茶髪男が縮こまる。

 晃―――ああ、そうだ。たしかそんな名前だった。かつてのクラスメイトの男の名前。茶髪になっていたのですぐに名前を思い出すことが出来なかったけれど、ようやく思い出した。

 彼、晃君はどうやら高校に上がった後でも性格に改善が見られないらしい。自分からでは動けなく、誰かの下に付いていなければ何も出来ない人。中学の時に、クラス中でいいように使われていた彼の姿を思い出す。

 ぼう、と男達のやり取りを眺めていたが、変化が訪れる。

 沈黙を守っていた黒髪が、喋る。


「よせ。人が来るだろうが……大声をだすな」
「は、こんな所に来る奴なんか居るかってんだ。……それよりどうすんだよ、コレ。人形とヤる趣味なんてねぇぞ俺は」


 冷静な口調でたしなめる黒髪の言葉を、無関係だと言わんばかりに金髪は無視する。そして私をコレ扱い。

 ……まあ、私だってこの三人が何をするつもりなのかなど、私を路地裏に連れ込んだ時点で理解している。

 なんとも下衆な連中の考えそうなことだ。普通ならこういう時は叫んだり暴れたりして、助けを求めるのだろうか?


「……すました顔しやがって……おら。泣いてみろよ、叫んでみろよ! そんなんじゃつまんねーんだよ!!」


 ……どうやらそうらしい。望んだ訳では無いけれど、目の前の金髪男の言葉で、普通は泣いたり叫んだりするようだ。

 私は泣かない。叫ばない。

 ―――泣く必要も叫ぶ必要も、無いのだから。


「晃。お前の顔見知りなんだろう? どういう女なんだ? 正志じゃないが、これは俺も気味が悪いぞ」
「か、顔見知りって……そんなんじゃねぇよ。ただ、同じ中学だったってだけで……」
「ああ? 晃てめぇ、まさかそれだけか? この女のこと知ってたっての嘘かよてめぇ?」
「う、嘘じゃねえよ。こいつ―――水峰はいつも教室の隅で本読んでるような、暗い女でさ……ちょっと覚えてただけだ」
「はは、居るよなぁ、そう言う陰気な奴。俺の中学にも居たぜ、そんな馬鹿な女。お前も同じってわけか!」


 金髪男がゲラゲラと、下品に笑いながら私を愚弄する。

 腹が立つ―――けれど、表情に出す必要は無い。私が陰気なのは自他ともに認めている事実な訳であるし、そもそもこんな男に馬鹿にされたところで私の誇りに傷が付くわけでもない。

 そして何より――――“最後のお情け”というのも必要だろう。


「ま、気にくわねぇ女だけどよ……顔も身体も悪くはねぇし、黙ったままでも俺等が楽しむ分には問題ねぇか」


 爬虫類みたいな笑みを浮かべながら、金髪の男は私の髪を触る。

 思わず鳥肌が立ちそうな手付き、穢されたと錯覚してしまうほど下劣な手の動き。彼の手はそのまま下に伸び、頬、首筋、鎖骨、胸元へと移動―――

 そしてようやく





 こつん、と小さな足音が。





 私に触れていた金髪の男も、他の二人も足音のした方向―――背後に振り返る。

 私も、つられた訳では無いけれど男三人と同じ方向に視線を向ける。

 視線の奥には人影が一人。白い髪と紅い眼。陶磁のような白い肌。日本人離れした男が一人、蒼のジャケットを羽織って佇んでいる。

 こつん、と二度目の足音。白髪の彼は、私達の居る方向に歩んでくる。とても自然な足取りで近づいてくるため、私は他に気を取られることもなくその姿を見続けることが出来た。

 白髪に思えた彼の髪は、近づくに連れて銀色の輝きを見せる。紅い眼は、まるで宝石のように光り、それでいて血の色を思わせる不吉なイメージが網膜に焼き付く。

 ―――綺麗過ぎる。おそらく彼を女性と間違う人間も居るであろう。それほどまでの相貌。

 私が彼を、男と瞬時に判断出来たのは、単に


「何だてめぇ? 俺達に何の用だ?」


 金髪の男が、苛立った様子で問い詰める。残りの二人も、いつの間にか囲むように白髪の彼を取り囲んでいた。

 茶髪の晃君はどうだか知らないが、他の二人―――金髪と黒髪の二人は、こういう場面に慣れているのだろう。ついさっきまで私に乱暴しようとしていたにも関わらず、邪魔者が入ると有無を言わさず潰しにかかる。手際が良い―――賞賛できない良さだが。

 下衆、と思うが私は何もしない。いや、何もする必要が無い。

 経緯までは解らないけれど、結果は解る。

 私に乱暴しようとしていた男三人は、もうすぐ





「―――早く終わらせなさい。榊原」





 突然の、声。凛と透き通った、けれど物騒な刀のような声色。

 人が居る。女性が居る。白髪の彼が現れた付近に、今度は女性が気だるそう立っていた。

 長く黒い髪が、鋭い黒き瞳が、見える。白髪の彼に負けない、美麗な姿。文字通りの大和撫子。心が凍ってしまいそうなほどの美貌。

 ―――――違う。違う違う違う違う。あの美は、別物の“美”。

 あれは際立っているから美しいのでもない。あれは整っているから美しいわけじゃない。

 あれは、別物だから、美しいと、錯覚する、“美”。


「ひゅーー! すげぇ良い女じゃん! 丁度良いや、アンタも一緒に」


 三人の男の内、おそらく一番馬鹿な金髪が、欲望の対象にしようと女に近づく。

 つくづく、救いようの無い馬鹿だと思う。あれは、お前の手の負える相手では無いと言うのに。

 近づく。馬鹿な男が近づく。欲望を満たそうといきがって、何も知らずに近づく。

 無造作に手を伸ばす。きっと私にしたように、髪を触り、顔を触り、首筋を這わせ、胸を触ろうとする手付き。厭らしいを通り越して、吐き気を覚えるその動き。そんな動きを、あの黒い女にもしようとしている。

 つくづく―――馬鹿だ。



「……この低脳」



 女の一言と同時に、殲滅が始まった。






「―――ぶっ!?」


 鈍い音。手を伸ばしてきた男の手を身体を半身ずらしてするりと避けて、流れるような動作のまま顎を掴んで壁に叩きつける。鈍い音は、その際に生じた衝撃音。

 無駄が無い。力が入っているようにも見えない。それ程自然に違和感無く、漆黒の女は下衆な男の後頭部を壁に打ち付けていた。

 白髪の男も動く。女の素早い動作に呆けていた男の一人、茶髪の晃君の顎を掌で打つ。がくん、と顎が跳ね上がり白目を剥いた晃君は膝から地面に倒れる。残ったのは黒髪の男一人だけ―――

 けれど、その黒髪も一瞬の内に終る。女が駆け寄ったと思ったその瞬間、黒髪の男の膝が不自然に折れ曲がる。次いで、ごりっという破壊音。―――膝を蹴って骨を折ったのか。


「――――ずっ!?」


 声にならない悲鳴。痛みのあまり声が出せない程の、絶叫。声は一切聞こえないけれど、私には、冷静に見物できる私にははっきりと解る。苦しみ悶えて泣いている、声無き声の存在が。

 どすっ、という何か重い荷物を落としたような音が聞こえる。何てことは無い。今さっき膝を折られ地面に倒れている男の腹を、女が踏みつけていただけだ。踏まれた男は身体をくの字曲げて、やがて動かなくなる。


 ―――殲滅、終了。


 ……思ったとおりだ。あの女の美しさは、人のそれでは無い。白髪の男も一瞬で相手を昏倒させていたが、あの女は昏倒させるまでの手順が白髪の男とは逸脱している。

 白髪の男は、単純に相手を倒す為だけの攻撃。顎を打って脳震盪を起こさせ気絶させる。手短に素早く相手を倒す手段。

 けれど、女の動作は違った。あれは手っ取り早く、相手を屈服させる攻撃。格下の者に恐怖を植えつけるための、敵を怯えさせる為の一手。実際、見ていた私も、女の動きには恐怖を感じたのだから。

 あれが―――そうか。あんなのが―――元凶か。

 彼女の名前は知っている。彼女の素性も知っている。彼女の本性も今知った。

 あれが、あれが





「真宮頼子……先輩」















「―――え?」


 突然名前を呼ばれて、声のした方向に眼を向ける。

 視線の先にいるのは一人の少女。不良三人に囲まれて脅されていた少女が私をじっと見つめていた。

 年の頃は十五か十六。おそらく私よりは年下。けれどそれほど年齢差は無いように見える。

 肩口の辺りで切り揃えられた黒髪。顔立ちは悪くない。際立って良い訳ではないけれど、おかしな点の無い、ある意味理想の顔立ち。

 ―――はて? この子は誰?


「榊原。この子知ってる?」
「知らん。お前の知り合いではないのか? 真宮頼子?」
「……さぁ……何処かで会ったことあったかしら? 悪いけど、貴女名前は?」


 頭の中の記憶を引っ掻き回しながら、目の前の少女に尋ねる。

 どうも思い浮かばない。私が忘れてるだけなのか、それとも本当に知らないのか―――いや、彼女は私の名前を知っていた。そして呼んだ。真宮頼子―――先輩と。

 ……ああ、もしかしたら


「……水峰未耶です。今年星天に入学した」


 やっぱり。今年入った新入生だったか


「あーあーあー……ごめんなさい。まだ一年生全部の顔覚えてないの。今年は色々立て込んでてね」
「言い訳なぞ貴様らしくないな。仮にも最高学年の風紀委員長がみっともないとは思わんのか? 素直に非を詫びろ」
「馬鹿言わないで。一年だけで何人居ると思って言ってるの。軽く二百越えてるのよ? 一週間やそこらじゃ無理よ」
「それが言い訳だと言っている。大体、始業式以前から資料は配られていただろうが。つまりこれは、資料の確認を怠ったお前のミスだ」
「はいはい、正論どうもありがとう」


 まったく言いたい放題言ってくれる。けれどまあ確かに、ただの言い訳であるのもまた事実。今は確かに、私達退魔は忙しいしとても生徒全員の名簿に目を通しておく暇なんて無いけれど―――そんなのは、本当にただの言い訳。そもそも私は榊原や先生と違って、いざとなったら戦うことしか能が無い人間なのだから、与えられた資料は事前に頭に叩き込んでおく必要がある。必要が迫られた時、のんびりと資料を読み直している暇など無いのだから。私のような、戦闘専門の始末屋は。

 ……それでもなんだか腹が立つ。大体、よく考えれば私だけではなく、榊原も目前の少女の事解らなかったのだから、私が非難される言われは無いような気がするのだけれども……これも言い訳か。そもそも私と榊原の管轄は違うし、それ以前に榊原にはまだ今年の星天に関する情報は行き渡っていなかった気がするし。

 まあ、今は身内のことよりも知らなければいけないことが


「で、水峰さん? 貴女こんなところで何してるの? こんな時間にこんな場所に居るなんて、あんまり感心しないけど?」


 目の前のこの少女―――水峰未耶と言ったか。この子の方が重要か。

 この時間帯なら、別に学生が歩いていても違和感は無いけれど、状況が状況だ。

 人気の無い路地裏。物騒な男三人に囲まれていた少女。この二つのキーワードから導き出されるものは、女ならば反吐が出そうなくらい嫌気がさす。どうしてこうも下衆な男は無くならないのか。

 街中を歩いていたら襲われて、無理矢理連れてこられて―――と、すぐに想像が付くのだが、釈然としない。

 だって彼女は


「………」


 無言、なのだ。私が問いかけても、問いかける前からも―――男三人に絡まれていたあの時からも、終始無言だった。

 これが、おかしい。街中を歩く、襲われる、路地裏に引きずり込まれて―――無言? 変だ。繋がらない。普通は騒ぐ。泣いたり叫んだり暴れたり。それを抑えるため暴漢は、口を押さえたり―――ガムテープか猿轡が基本―――手足を縛ったりして、自由を奪う。あるいは歯や手足の一本でも折ってやって、精神的に黙らせる。突然の暴力には、大抵の人間は怯えるものなのだから。特に、こんな普通の少女ならばなおさら。

 にもかかわらず、そう言った暴力や拘束の痕跡が何処にも無い。ようするに彼女は男に襲われた後、一切抵抗しなかったということになる。穢される一歩手前だったというにも関わらず。

 ……彼女が望んだからか? 最初から彼女も“その気”で男達に誘われるまま路地裏に―――それも変だ。もしもそうなら、男達が苛立っていた事に説明がつかない。榊原は、複数の男のイラついた感情を察知して、この路地裏に来たのだから。もしも双方合意なら、私も榊原もこの現場を素通りしていた筈だ。

 ……やはり解らない。というよりも、説明が付かない。考えが纏まってくれない。

 ―――――仕方ない


「―――榊原」
「何だ? まさか俺に尋問させる気か? 馬鹿を言うな、そう言った拷問関連はお前の専売だろう」
「誰がいつ、拷問を専売にしたのよ。私の家誤解してるんじゃ―――って、そうじゃなくて―――この子、家まで送ってやって」
「―――――」


 何故だか知らないが、榊原は呆けた顔を見せる。

 ……まあ、そんな顔をする理由も察しは尽くし、私が言った事が突拍子の無い事なのは重々承知しているけれど

 別に、それほど問題じゃないわよ。


「……この子がうちの学園の生徒なら、いつでも話聞けるわ。明日にでも学園で話聞けばいいじゃない」
「それは、そうだが」
「今は、他にやる事あるのよ? 私達には、ね」


 そこまで言って、ようやく榊原の顔が真剣なものになる。同時に不機嫌な顔にも。

 それは当然。私は暗に言ってやったのだ。私達はこんな小事に構っていられるほど暇じゃない、と。水峰未耶とやらが男達に犯されていようがいまいが、そんなことは本来どうでもいいことだ、と。

 ……自分でも人でなしの言葉だと理解はしている。理解はしているが―――水峰未耶の純潔など、私達退魔師の優先順位では下の下だ。いや下どころか順位にすらはいっていない。本当にどうでもいいことなのだ。

 私達の役目は、市井の人の命を、より多くの人命を助けること。私達はそのために現在夜の街で仕事・・しているのだ。はっきり言わせて貰えれば強姦の一つや二つくらいで、いちいち騒ぐなと言いたいぐらいだ。

 ま、私も女だからそこまでは言わない。けれど殆どの退魔はそんな考えだろう。大事の前の小事。そう言った割り切りが出来なければ、到底この仕事はやっていけないのだから。

 榊原は不機嫌な顔つきのまま、水峰未耶の傍まで近寄り、何か一言二言話している。榊原は顔と話術が良いので、あの少女も二つ返事でエスコートを承諾するだろう。こんな路地裏にホイホイ着いて行くくらいなのだから、榊原の言葉を断るはずは―――ほらやっぱり。

 ……やけにあっさり承諾していたのが、少し気になる。いくらなんでも警戒心が無さ過ぎというか。

 と、仏頂面のままの榊原がすっと私を見ている。何の用よ?


「……お前は送ってやらんのか?」
「私はこの馬鹿三人見張ってるわ。このまま放置、って訳にもいかないでしょう」


 私の足元には先程叩きのめした馬鹿が三人。私個人としては別に放って置いても良いのだけれども、実際問題としてそうもいかない。後々面倒なことにならないように手を打つ必要もあるし、一応怪我の様子も見る必要があるだろう。何せ、大して力を入れた覚えが無かったにも関わらず、えらくあっさり気絶させてしまったし。一人は頭打ち付けてしまった―――別に死んだって構わないが―――事後処理が面倒なので後遺症が残るような怪我だと困る。

 殴り倒してお終い、と言う訳にはいかないのが辛いところだ。まずは葉月先生に連絡つけて暇な奴を数名手配して貰おう。私が此処から動くのはその後だ。それまでは此処で待機―――面倒だが仕方が無い。


「それに、どの道無理よ。私が着いて行くのは」
「なに?」


 不機嫌な顔の眉をよせて、更に不機嫌な顔で私を見る榊原―――こいつ気付いてないのか。

 水峰未耶が私達を、いや“私”をどんな眼で見ているのかを。

 私が待機で、榊原にその子の護送をさせる理由の半分はそれだ。

 どういう訳かは知らないが、彼女、水峰未耶は





「仕方ないじゃない―――――その子、私が嫌いみたいだし」





















 見慣れた住宅街を私は歩く。

 隣には白髪の―――榊原白夜先輩。照らすものは月明かりと、弱弱しい街灯の光だけ。大通りから遠ざかれば、ネオンの光も消える。私達を照らすのは本当に寂しげな光しかない。

 あの路地裏で真宮先輩と別れてから、どれだけの時間を歩いたのだろうか。気が付けば私の家の近くまで来ていた。何度も目にし、何度も歩いた家並みが眼に入る。

 榊原先輩はずっと無言だった。私を家まで送ると言ったきり、何を話すでもなく私の歩く方向に付いて来た。近寄りすぎず、離れすぎないとても難しい位置を維持したまま、ずっと。

 家が、見える。私の家。水峰の名が書かれてある家。

 明かりがついている。母はまだ起きているようだ。こんな時間に帰ってきたことについて、何か言われるだろうか。

 何をしていたのか、とか。何故連絡を寄こさないの、とか。

 ……多分、無い。今までだって無かったのだから、きっと今日も



「―――何故、何も聞かない?」



 突然、ずっと黙っていた榊原先輩が言葉を発した。

 何故、何も、聞かない? ……何のことだろう? 私が何か先輩に聞くことがあるとでも言うのだろうか。


「俺と真宮頼子が、二人で、夜の街中を歩いていたんだぞ」


 言われなくても解る。私が路地裏で不良に襲われていたのが夜中に出歩いていたからなのと同じで、その不良を殴り倒すことができたのも単に榊原先輩と真宮先輩が出歩いていたからという単純な理由。考えるまでもない理由。

 それが、なんだと、言うのだろうか。


「……勘繰る様子すらない。それは確かに有難い事だが―――あまりに不自然だ」


 勘繰る―――不自然―――何が? 関係有るのだろうか、そんなこと。

 私は私の目的で街に出て、先輩達は先輩達の目的で街に出た。

 ようするにそれだけ。

 ようするに


「どうでもいい……ことですから」
「………」


 どうでもいい。どんな理由が有って街に出て居ようが、私には関係無い。

 貴方達の素性も目的も―――知ったことじゃない。


「……もう、街を出歩くな。今が“どういう時期”か解っているだろう?」


 ―――この人は何も解ってない。“そういう時期”だからこそ、私は街に出ているのだ。

 “そういう時期”を、私はずっと待っていたのだ。


「―――これほど物騒な夜に、俺達は二人で歩いていた―――それなのにお前は、何も問わないのか」


 榊原先輩の紅い目が、私を射抜く。

 ……問わなければいけない事なのだろうか。二人は夜の街を歩いていた―――それだけのことを、何で問わなければいけない?


「それも……どうでもいいことか」
「………」


 落胆とも、疑惑とも言えない眼つきを残して、榊原先輩は私の家の前から背を向けて去っていく。

 私は去っていく先輩の後姿を見ながら、さっきまで先輩がしていた言葉を反芻していた。

 何も聞かない、何も問わない、路地裏で出会う、襲われる、襲う、助けられる、送ってもらう―――全部、どうでもいい。

 だって、私が探しているものに出会えなかったのだから―――目的以外の事は、どうでもいいんだ。




「―――ただいま」




 戸を開けて、私は帰る。

 かつて大切だった私の家に―――帰る。





















 ピッ

「あ、榊原。私、真宮だけど。あの水峰って子はちゃんと護送した?」
『ああ、何の問題も無く送り届けたぞ』
「それはどうも。……あの子、何か聞いてきた? 私たちの事」
『……いや、何も。まるで最初から、俺達が街に居ることを知っていたような様子だった』
「ふぅん……当たり、って訳じゃなさそうだけど、まんざら外れでも無いみたいね」


 携帯電話越しに榊原と会話しながら、水峰未耶の異様さを思い出す。

 まるで、男達にされるがままかのように無抵抗だった彼女。私達に出会ってから一言も喋れなかった彼女。私と榊原の関係を、何一つ聞かなかった―――聞こうとすらしなかった彼女。

 納得がいかない。無関心―――というより、最初から解っているから何もしなかったように思える。私達が助けに来ることも、私達が街を出歩いていることも、下手をすれば私と榊原の関係、退魔の事すら知って―――流石にそれは考えすぎか。

 ともかく、彼女に対して注意払う必要がすこし出てきた。あそこまで無気力無関心な人間は、経験上怪しい。一般人から見ても、退魔の眼から見ても。

 好奇心はどんな人間にもある。大小の差はあれ、それは存在する。知りたいと思う気持ち、不思議がる気持ち。表に出す人間と出さない人間が居るだけで、皆もっているのだ。探求と言う名の好奇心は。

 あの水峰と言う子にはそれが感じられなかった。本気で知る必要が無いといった様子で、私達の事を見ていた。

 おまけにあの眼。私を親の仇でも見るような眼で見ていた。あれだけで私は気になるというものだ。


『それで、用件はそれだけか?』
「ええ、まあ大体は。後はちょっと経過報告って感じね」
『経過報告? そっちで何かあったのか?』


 まあ、水峰未耶については追々考えることにする。彼女は私と同じ学園所属なのだ。そう焦る必要も無いだろう。

 今一番焦る必要があるのは、目の前の現実だけだ。

 榊原が水峰未耶を送り届けに行ってまもなく訪れた、現実。

 それは







「―――さっきの三人、いきなり死んだわ」







 視線を向ける。

 視線の先には数名の同業者。そして葉月先生。最後に―――地面に倒れて“死んでいる”金髪と茶髪と黒髪の馬鹿三人。

 何だか夢を見ている気持ちだけれども―――これが現実。


『……水峰未耶を襲っていた三人の事か? 馬鹿な、貴様傍に居たのだろう?」
「居たわよ。先生に連絡して駆けつけるまでの間、ずっとあの低脳三人の傍で見張ってたわよ。逃げ出さないようにね」


 ずっと、という程でもない。ほんの五分ほど。婦女子を強姦しようとしていた馬鹿三人を“折檻”したので後片付け宜しく、と葉月先生に伝えた後の五分間。ずっと、というのはそんな五分間の間に過ぎない。

 私はずっと見ていた。見事に気絶、というか悶絶した三人を呆と眺めていた。眼は逸らしていない。五分間ずっと見ていた。暇だったからなおさらじっと、着ている服とか髪の毛の色とか、男三人の容姿なんかを見ながら五分間を過ごしていた。

 誓って言う。眼を逸らした覚えも無い。警戒を怠った記憶もない。

 だというのに


「いきなりよ。本当にいきなり。私の目の前で、腹がパックリ裂けて血が噴出してお陀仏」


 腹が裂けた。まるでナイフか何かで突き刺したみたいに。

 男三人が気絶していたのは幸いだった。痛いだの何だの叫ばれていたら面倒なことになっていただろうし。

 突然の出来事で、私は一瞬対応が遅れた。まさか、こんな状況で“今回の仕事”にお目に掛かるとは思わなかったのだから。

 それでも、探れるだけは探った。周囲の様子を、感覚を出来るだけ尖らせて探った。

 その結果、解ったことは


「気配ゼロ。人影ゼロ。凶器ゼロ。殺意だけアリ」
『―――殺意?』
「ええ。〈詠ウ者〉の貴方は感じたことないでしょうけど、人殺し特有の雰囲気が有るのよ。それだけは―――感じた」


 人殺しの雰囲気―――簡単に言えば、空気が違う。

 事故ではなく、望んで人を殺した者だけが身に纏ってしまう空気。それは否応無く身体から滲み出る。

 殺すか、殺すまいか。生きて欲しいのか、遠ざけたいのか。殺したいのか、殺したくないのか。人殺しはそんなことを考える。生きる事が当たり前だと言うのに、対象の生殺を判断してしまう。自分にとってアレは敵なのか味方なのか。獲物なのか狩人なのか、と。

 意識せずとも視線に宿り、相手を凍てつかせる。これが本当の殺気。ここまで来ると、もう隠しても隠しきれるものじゃなくなる。出来るのはせいぜい匂わせないようにするだけだ。

 私は、そんな殺気を感じた。しかも隠す気など、匂いを消す気など毛頭無い生粋の殺人鬼の空気を。


『―――殺人鬼再来、か』
「一年前の事件とは別口よ。手口が違うもの」
『ほう? やけに断言するな? まるで知った風な口ぶりだぞ』
「当たり前よ。私も一年前の事件は生で見てる。“アレ”はもっと綺麗なKILLだった」
『……美醜の区別が有るのか? 殺しに?』
「あるわよ。これ以上無いってくらいに、はっきりと」


 一年前のアレとは違う。

 一年前の殺戮は、もう芸術の域にまで逝っていた。綺麗に狂ってたんだ。こんな風に、腹だけ刺して終わり、なんてちゃちな殺しじゃない。


『―――俺には理解出来んな』
「でしょうね。だから私と貴方は仲が悪いままなのよ」


 理解できる人なんていないだろう。

 理解できるのは同じ鬼だけ。

 同じ―――殺人鬼だけなのだから。
















「リオ……ただいま」


 部屋の中で待っていてくれた子犬に挨拶する。子犬、リオはとことこと歩いてきて私の足に顔を擦り付ける。

 私はそんなリオを胸に抱きかかえる。白い毛並み―――犬種なんて知らない。リオは雑種の犬。一応、室内犬。昔、勝手にそう決めた。

 ふさふさの毛並みを撫でながら、ベッドの上に腰掛ける。リオは変わらず私の腕の中に納まったまま。暴れないし、噛み付いたりもしない。良い子良い子。


「ねえリオ。今日ね、おかしな人達に会ったよ」


 リオはくんくんと鼻を鳴らしながら私の話を聞いてくれる―――言葉なんて理解出来ないだろうけど、聞いていてくれているのは本当だと思う。この子は私の家族なんだから。きっとそう。


「一人は榊原白夜。もう一人は……真宮頼子」


 思い出す。アルビノの美貌と。漆黒の美貌。

 どちらも綺麗だったけれど、二人の美は別物だった。私は真宮頼子の美は、好きになれそうもない。


「女の人はね、凄く怖かったんだよリオ」


 あれは畏怖の美。恐れの怯えの恐怖の具現。怖いくらいに綺麗なのではなく、怖いから綺麗。そんな感じの美しさ。

 見たことの無いものだから、私達には縁遠いものだから、美しく見えてしまう。

 遠くから見る富士山が綺麗なように、真宮頼子は普通の人には理解出来ない領域に居る人なんだ。だから、綺麗だと錯覚する。


「……私が探してる人も、多分ああいう人なんだよ。今日、真宮先輩見て解ったんだ」


 ぎゅっ、とリオを抱きしめる。リオの体温が腕に伝わり、私を落ち着かせてくれる。震えが、止まる。

 ……私は怖がっていた。私を襲おうとした三人よりも、あの漆黒の美女に対して、どうしようもない畏れを抱いていたんだ。

 私は探している。アレと同じものを。あんな恐怖と同じ形を。

 ……止まらない。止まってなんていられない。私は探す。私は見つける。私は見つけ出してみせる。






 私から、全てを奪った悪魔を―――必ず。






to be next


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