花が舞い散り陽が沈み、雲が流れて月陰る
絶えぬものあらず、衰えぬものあらず
――――死なぬものも、また
人と刀と――――――啼く黒剣 第六幕
「さて、今日はここまで」
「っはー……ぜはー……」
「それじゃあ、次は明日にします。ちゃんと疲れを落としておくように」
「そう……思うん、やったら……もうちょいてかげ、ん」
「あとで少し話があります。汗が引いたら私の部屋に来るように」そんなこと言うて、返事も聞かんとスタスタ行ってまうおかん。
こっちは道場の床に大の字、汗もどっぱどっぱ出てまだまだ止まる気配なし。
それに比べておかんの方はキレイなもんで、同じこともっかいやっても余裕なんでしょうなあ。「化けモンや……」
……がくり。
「それで話というのは――――こら陽華。話を聞く時は姿勢を正しなさい」
「ちょう休ませて下さいよ……正座すんのもきっついんです」
「鍛え方が足りないのかしら。もう一回増やしてもいいのだけど」
「はいお話っちゅーのんはなんでございましょうお母様」びしっと。そりゃもうびしっと正座の見本みたいな感じで。
……新月の夜に気ぃつけとけやおかん。返り討ちになりそうな気満々やけど。ここは『浦島』本家の古河家が詰める離れ。いうても古河の本家もそない遠い訳やないから、ここはほとんど今の当主――つまりおかん――しかおらんことが多い。
それにしてもあれや、いつもは修練終わりはウチを放置してすぐ帰るくせに今日に限って何なんやろか?……今日は陰信の様子が少し変やったから、少し顔見てから帰りたいんやけどな
…………
…………
……はっ!?や、や、ちゃうで!? 別にこれは心配しとるとかやなくて、あない辛気くっさい顔されとると飯がマズなるからやで!?
ああああああ、つーかなんでそこで怒っとるよーな日名子の顔が浮かぶねんー! あー!「……楽しそうですね、陽華」
「はっ!?」と、まさか顔に出とるとは思わなんだこれ。
おかんってばめっさええ笑顔で観察してくれとりまして。頼むから止めといて下さい。
……ごほん、と咳払い一つ。
――――気持ちを切り替えんと。
仕事に関しての話で気なんか抜けん。ただやなくても危ない仕事しとるんやから。「そいで、話っちゅんはなんなんです?」
「まあまあ、陽華」そう言うてスッ、とお茶をウチの前に出して微笑むおかん。
や、そんな暇あるんかいと思うて聞いてみる。「急ぎの話やないんですか? ええんですかか茶ぁなんぞしとっても」
「だってね、陽華」そう言うたおかんは音も立てんと茶を一口、二口。
やたらと爽やかなんやけども何やら含みのある笑顔で――――「真っ赤な貴女の顔が元に戻るまで、もう少しかかりそうなんですもの」
/
日は陰り。
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何も言わぬ。
いや
……何も、言えなかった。
「……気にすることは……ないのです」
そう、言ってくれたとしても。
落ち着いた声が、私を弾劾しているように感じてしまう事を、止めることなど出来ずに。
「……あなたに責など……ないでしょう……?」
私の知っている彼女の影をほんの少し滲ませた彼女の面影を見るにつけ、ジクジクと疼く、刀傷にも似た痛み。
――――初めて
誰かの前から、この辛さから……逃げ出してしまいたいと、思ったさざめく木の葉の音色にも、疼いて止まぬ胸の奥
心の臓、それはあたかも早鐘のようで――――ずっとずっと、会いたかった。
傀儡であり、人形であり。
彼に出会うことを予想だにしない頃から少しずつ少しずつ、日が傾いてゆく
紅に染まる庭木の葉、まるで燃えているように赤いそれよりも尚深い朱に染まる空――――ずっと、その名を忘れられずに
名を呼ぶことすら、己に禁じ。距離は、遠い。
怖い。
……そうか、そんな感情を持つことすら今日が初めてだったのだ、と――――呆然と、そんな事を思った。
/
陽は滑るように傾く。
/
「で。話っちゅーんがなんなんか、ええ加減に教えてもらえませんかね」
ちなみに今はあのおかんのアホみたいな『顔真っ赤発言』のあと。
周りにあったモンは随分さっぱりしてもうとるような。「ふふ、まだまだ元気じゃないの。だけれど、そろそろ落ち着いてくれないかしら?」
ブッチーンッ、と何が何やらどっかがド派手にブチ切れたらしいウチがおかんに襲い掛かった訳なんやけど。
落ち着いてから見てみるとエライ事になっとりますこれ。
障子は吹っ飛び壁は崩れ、隣の部屋まで風通しの良くなっとること良くなっとること。
まあたまにはこういう喧嘩っぽいことも親子としては必要やということで、一つ。「ウチは落ち着いてますけども」
「……そう。それでは、これ以上被害が広がる前に止めておきましょうか」そう言って符を袂に仕舞い、今までの騒ぎがウソみたいにお行儀良く座布団に正座するおかん
あれだけ手加減抜きでブチ切れた(つもりの)ウチの攻め、せやけどおかんの周りだけはまるで結界になっとるかのようにそのまんまで。
……やっぱり、まだまだやなあ。こっちはさっきの余波でハゲ上がった畳の上に直接座り込む。
スッキリした所でもう一回おかんに目を向けると、珍しゅうなんか考え込んどるように眉間に皺寄せて――――ふぅ、と短い溜め息をついた、ように見えた。そしてウチの顔をまっすぐにじぃっとニラみつけたかと思うと、いきなしぼそっと呟く。「そうね…………そろそろ、頃合かしら」
「何がです?」そう聞き返すと、おかんは肩を揺らしてほんの少しの着物のズレを直し――――
「古河家符術門下、古河陽華」
「一人しかおりませんけどねー」
「……古河家符術門下、古河陽華?」
「はい、お母様」おかんが満面の笑顔で袂からずらりと符をまとめて抜き出したのと同時に姿勢を正して、まっすぐに視線を合わせる
…せやかてほら、血管ピクピクしとるし。
そんないつも通りのやりとり、いつも通りの終わり方やと思っとったのに、ウチが聞いた話は
「古河家符術門、秘奥を得る資格を得た事をここに宣言しましょう」
/
時は綾を成して紡がれ。
/
さざめく想いの波、波紋はまるで止む事なく私を掻き乱して。
…ただじっと、彼女の美しい横顔を「……」
見つめ続けることしか、できない。
私は、何がしたいのだろう
しなくてはいけないのだろう私は、何を言いたいのだろう
……言わなくては、いけないのだろう私が犯した罪。それは、『私』が犯したのではない。
けれど、『私』でもある――――言い逃れることなど、出来はしない。出来るはずも、在りはしない。二十一年。
長い時間だ。とてもとても、長い。『過ぎ去った時はあっという間』などと言うが――――そんなもの間違いだ。いや、当たり前だと言えば良いのだろうか。だって過去の事柄は『思い出す』ことしかできない。
いくらその間に辛い時間を過ごしていたとしても。いかにその間、淋しく切ない想いを味わっていたとしても。
――――物心をつく前。
私には友人がいた。うすぼんやりと覚えている、その子の姿。
静かな子だったと記憶している。いつものように誰も来ない秘密の遊び場に行った私は、その日にたまたま自分と同じ遊び道具を持っていた子を見つけた。
立ち並ぶ、年老いた沢山の樹々の中で。小川のせせらぎと共に、体躯に見合った木剣を振っていたその子。
おはじきでもなくお手玉でもなく、細かい傷がついたその無骨な遊具。それは私にとって、そしてその子にとっての共通点だった。私は何の疑いも持たずその子に笑いかけ、その子もまた静かな頷きのみを以ってそれに賛同したものだった。
初めてだった。私と同じく、剣を持ち歩く友人は。
初めてだった――――剣で、共に時を過ごしてくれる友人は……あんなに、楽しいと思えた時は。幼い私は、まだ周りにいる子と同じように感情というものを持ち、友というものも、いた。
成長した私は傀儡、そして人形でしかなかった。しかし乾き切ったその大地には未だ、捨て切れぬものがあったのだと思う。湧き上がる想い。それは、陰信さんという呼び水によって流れ出た、私の源。
それすらも尽き果てていたとしたら、私はきっと彼によってヒトに戻る事すらなく、死を体験して消えていたのだろう。だが。
その楽しかった時すら、過去に同胞という名の他人が犯した罪を知ってしまうことで軽々と奪い去られ。私は、
――――自ら、彼女の元を去った
「――――……こ、鴇子……?」
「…! は、はい…?」
「……どうか、なさいましたか……?」
「い、いえ……」呆、と昔の事を思い出すことに熱中していたのか……それでは、最早呆けていただけとは言えぬな。
そんな益体もないことを考えている間に、何時の間にかふらりと何の前触れも見せずに――――斐さんの顔がすぐ近くにあって「――――っ……!」
…知らず、飛び退いていた自分がいた。
「…あ」
これではまるで、敵に近づかれたかのような反応だ。
失礼にも程があると思い、すぐに斐さんの表情を伺おうとした私の視線が捉えたのは、彼女のさらりと流れた髪。「……中に、入りましょう。風が冷えてきました……」
止めようと上げた手が空を切り、髪と着物の裾を揺らして縁側へと上がっていく後姿。
「…………」
――――やはり、失礼だったのだろう。
それはそうだ、彼女は私を心配してくれただけだというのに。
私が取った態度は、まるで敵か――――汚物に対するような反応を取ってしまったのだから。「……なんて、」
なんて無様。
なんて阿呆。
この期に及んで――――……私はどうしてこう、「人を傷つけることしか……できないのでしょうね」
最低、という言葉ですらも足りぬだろう。
ずっと、ずっと……心に残っていた、彼女だというのに……冷えてきた。そろそろ……私も中に入れてもらおう。
「――――ごめんなさい」
面と向かって言えぬ、この不甲斐なさ
……だけど、今だけは何も言えそうにない。今だけは。「……あや、ちゃん」
幼い時分の呼び名。今はこの呟きだけで、精一杯。
本当に……自分が、嫌いになる噛みしめた唇から滲んだ血が滴り、地面を赤く染めて。
私は、その血が乾いてしまうまで――――ずっと、冷たく鋭い風の音を聞きながら…立ち尽くしていた。
/
銀の音を奏でるのは、善と呼ばれるヒトなのか。
/
「ふん……全く、クセの強い奴ばかり集まったものよ」
そう言いつつも、声は面白がっている。
銀音の言う『計画』を受けて朱円家に集まった者達との会合。予期するまでもなく波乱の様相を呈していたそれが一応の終りを迎えたのがつい先程。
一見し力不足などという者もおらずまずまず、といった所だろう。
問題はこれを一体どう利用していくかだが――――「雅久様」
「ん? 何だ」
「銀音の件、如何致します」
「何がだ」どかどかと中庭に面した廊下を進んでいくその後姿は殊の他楽しげである。
他者を押さえつける事を重要視し、それこそがこの世を纏め上げるのに必要だという主張を唱えていても、やはりああいった力で押さえつける事が容易ならざる者達を見ると心が踊るのだろう。それは自分と並び立つ者を求める、強者の心。
弱者を嫌悪し、強者を好む。
下らないモノだという認識を既に持ってしまっているが故に、それが実際にはどれだけ重要なモノかを見失っている……『異常』は『普通』の中にあってこそ『異常』。淘汰されていった者達の中ではその基準が移り変わるというのに……今のこの状況は、仕方の無い事ではある。
弱肉強食の理、それこそがこの世の第一の法則であると彼に教えたのが自分だということに疑いは持たぬ。しかし、それだけではない。弱肉強食ということは、弱者というのはこの世に対して必要だということを裏付ける言葉でもあるというのに……。
いや――――それすらも今更か「何か企んでいるようで御座います。それが我等の害にならぬことならまだしも」
「放っておけ」
「は……?」
「放っておけと言った。銀音を利用しているのはこちらも同じだ。アイツに対する報酬だと思えばよかろう」
「…それは、いささか」
「度が過ぎる、か?」はっはっは、と空気を震わせる雅久様の顔に浮かぶのは、狂人の嗤い。
この異常とも言える力への執着、そして依存。
昔はこんなつもりではなかった。ただ、健やかに育ってくれることを望んでいただけだというのに。しかし。「構うな。それでも思う以上に軌道が逸れたなら…」
……そう、我は鬼を育ててしまった。
「…全て、灰燼に帰せばいいだろう?」
故に
「街も。人も。全てに於いてな」
我が――――止めねば、ならぬ。
/
悪と呼ばれる、魔であるのか。
/
「そいじゃおかん、また明日」
「ええ。明日までにどうするかを決めておくようにね」
「わかっとるて」そう言ってひらひらと手を振って歩いていく陽華。
しばらく手を振って後姿を眺めてからふ、と息が漏れてしまう。「…全く、あの子は」
私の所――――符術門に限らずとも普通は『より強い力を与えよう』と言われたなら『喜んで』と答えるものだと思っていた。まあそれは極端かも知れないけれど、少なくとも
『あーすんません、今すぐはちょい決められんのですけど』
…なんて。そんな適当な返事をする門下生などいないと思う。
それが悪い訳ではないけれど。その答えは、幼い時からあの子を見てきた一人の親からしてみれば頼りないと同時に…少し、不安でもある。こんな時は古河家の今代当主という肩書きは邪魔でしかない。
当主として、一人だけを贔屓することはできない。それが自分の娘であったのならそれは尚更。それに最近は何か――恐らくは仕事に関してだろけど――に対して酷く迷いを持っているような気もしている。だからこそ、あの子は敏感に感じているのだろう。
…秘奥を得るということ。それはつまり、今の仕事により深く関わる為の足掛かりになってしまうという事であり、技を得ることはその事に対する切欠に過ぎないという事を。日名子と陽華、好対照に静と動の気質を持つ二人の姉妹だけれど、芯の強さに関しては見た通りではない。
物静かで流されやすく見える日名子だけれど、その実何か困難にぶつかったとしても受け流すことができる。陽華は逆に、何に対しても真正面からぶつかりすぎる。
撓る強靭な竹と、硬いには硬いけれど折れてしまうかも知れない小刀。――――だけれど、そんな事ばかりを懸念して秘奥を授けようとした訳ではない。
今日の稽古、それから頭に血が昇った時の力の制御法。
常に冷静であり続けることは確かに重要な事柄であり、戦闘を主な仕事にする者にとっては必須項目とも言える。しかし、実際にその場に立ってみればそれは経験と自分の技術に対する自負から形作られるものであることに気付く。即ちそれは長い年月をかけて形を成していくものであり、あの子にはまだ、お世辞にもそれが足りているとは言えない。
生得的にそれを持っている人間はともかく、陽華を見る限りそれを望むことは少し無体だと言えるかも知れない。だけれどそれだけではなく、あの子が面白いのは、頭に血が昇れば昇るほどあの子の中の深い所では逆に冷静になっている節があるという所。…まあ、明日には決心するだろう。どのみち陽華がいらないといえばそれまでなのだ。
敵を討ち、打倒する為だけの戦闘の技術など伝えられないままに生きていけるのなら、それに越した事はないというのが私の本音。そも、この組織からして『魔』に対抗する為に出来ている組織なのだ。魔が生まれる経緯を考えてみれば、その大元を断ち流れを変えようとしていかなくてはいずれ立ち行かなくなる――――そんな事をつらつらと思いながら半壊した部屋まで戻る。
……ふと、誰もいなかったはずよね、なんて思う。
そう思ってしまったのは気のせいではない。確かに誰もいなかったはずの崩れかけた部屋から人の気配が感じられる――――それは、おかしい。この離れは古河家の詰め所としか機能していない。それも古河本家の位置からして必ずしも要るという訳ではなく、だからここに詰めているのはたまの交代の時以外は私しかいない……そして、今日は交代でもなく、第一私に気取られることなく唐突にこの部屋に『存在』していたのかのようなこの所業。身内ならば、こんな事をする必要性がない。悪戯にしては度が過ぎている。
袂に手を滑り込ませ、慣れた紙の感触を確認する。敵意は感じない。だがそれだけだ。敵意の有無なんて、殺し合いの場では目印としては不明瞭に過ぎている――――そうした思考をいつものように一瞬で巡らせ終える。符を掴む。言霊を紡ぐのはそれこそ一瞬で充分……!――――バッ、と障子戸を開け、対象を確認する……しかし、そこ、には。
「……あなた!?」
……私がさっきまで座っていた 座布団に一人の女性が座っていて、のんびりと茶を啜っていた。そして湯呑みを下ろし、不意にこちらを見て唇の端を吊り上げる。その笑顔は、記憶にあるものとは雲泥の差がある邪なもので。そう、彼女は「ふふっ。久しぶりだねぇ。お姉ちゃん……?」
私が、実家に見捨てて来たも同然の…………『妹』、だった。
――――その笑顔を見ると、思い知らされる。
私の願いは、如何に分不相応だったのだろうか……と
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――――……それは、未だ知れず
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――――――第、七幕へ。
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