狂おしいほどに愛しいひと

〜むつみ〜







 
 




他人の存在を意識したことはありますか?

周りに必ずいる自分以外の存在、それが他人。

他人という存在は時によっていろんな存在になっていきます。
安らげる場所であったり、張り合いのあるライバルだったり、愛すべき対象であったり、気安く付き合える仲間であったり…人によっては邪魔な存在でもありますよね。


私はずっと思っていたことがあるんですよ。物心つくときから、ずっと。 
人は独りでも生きていけるのか…って。
友達、家族、恩師、恋人…みんな自分から離れていってしまっても、みんないなくなってしまっても、自分は自分として…私は私としていきていけるのか、って。

でも無理なんです。
『私は一人でも生きていけるっ』って強く公言している人がいますけど、どう足掻いてもそれは無理なんですよね。

…昔、なにかの本で読んだことがあるのですが
人はどんなに嫌でも独りでは生きていけないそうです。

良くも悪くも他者の存在をみとめ
その人と永続的で安定した関係を保っていこうとする中で、ようやく気持ちの支えや自分の場所を持つことができて…
…自分という存在が確立し、そして生きていくことが出来るそうです…






じゃあ他の人の存在を見とめるにはどうしたら良いでしょうか?
まず、自分自身が他の人から受け入れられることが大切ですね。
そのためにはどうしたらいいのでしょうか?

わたしの考えとしては…やはり人から受け入れられることが大切ですね。 
人から好かれない人が、人から愛されることは出来るでしょうか。人から嫌われる人が人に愛されるのでしょうか。
わたしはある人から愛されることを強く望んでいました。

その人の瞳から私を見てほしくて、その人に触れてほしくて、その人から愛されたくて。
そのためには人から好かれるようにならなくてはいけなくて、そうなればきっとその人は私を愛してくれると信じて、信じ込んで。

だから私は私自身に『仮面』をかぶせたのですね。


『えへへ…』

『うふふ…』

『あらあら』


みんなに対してずっと笑顔でいれば、わたしは好かれると思いました。
私が呆けて皆を笑わせれば、死にかけて周りが私のことを気にかけてくれれば。
きっとけーくんも私を見てくれる。けーくんもきっと私を気にかけてくれる。けーくんは私を好いてくれる。けーくんは私を愛してくれる。
そうでしょう?
そう信じていました。


案の定、わたしは好かれたと思いますし
気にもされたと思います。


でも…それは『仮面』のわたしだけ。
好かれていたのは結局のところ、『仮面』のわたしだけだったんですよ。
『仮面』のわたしが好かれれば好かれるほど…
『仮面』のわたしが気にされればされるぼど…
『本当』のわたしと、みんなの距離が離れていくのを感じました。何よりもけーくんとの…
私はここにいます。本当の私はここにいますよ。狡猾で陰気で自分勝手、他人のことを気にかけているようで本当はどうでもいい。
自分がよければそれでいい。それが本当の私ですよ?

でも『仮面』をとることなんて出来やしませんでした
本当の自分を出すことで、みんなに嫌われることが怖かったんです。本当の私が拒絶されることが恐かったんです。
みんながわたしから離れていくの怖いんです。
けーくんが私を拒絶するのが恐かったんです。けーくんが私を嫌うのが恐かったんです。

私は独りでなんて生きていけないし
なにより人から嫌われる人が人に愛されることがあるでしょうか?


わたしは臆病者なんですよ。
結局のところ、『本当』わたしは孤独なんですよね…
今まで生きていくことができたのが不思議なくらいです。

自分が孤独ということに気づいても今までやってこれたのは、
たぶん…愛しい人がいたから…幼い日の約束があったからだと思います。
でもそんな私のその想いはコナゴナに砕け散ってしまいました。

ひなたお婆様がひなた荘にやってきて…
ついにけーくんとなるさんが約束の二人だということが判明しました。
…ショックでしたね。記憶を取り戻していたのでわかっていたことなんですが…
それでも「子供のころの記憶だから」とひそかに希望を持っていたんですよ、私は未練深いですから。

その…唯一の希望もお婆様の出現によって見事に打ち砕かれました。
これはなっとくしなければいけないことだったのでしょうか?
こんなに私はけーくんの事を愛しているのに、こんなにも私の想いは強いのに。

私は考える前に動いていた。
 
わたしはなるさんに嫉妬していたのでしょうか?
自分を押さえきれなくなったのでしょうか?
けーくんを自分のものにしたかったのでしょうか?
他のみんなを出し抜きたかったのでしょうか?


…理由は全部当てはまります…
わたしは…………ふふ…………♪





くすくす…





あの日はめずらしくひなた荘にはわたしと、なるさんが仕事で、自分の仕事が休みでこちらに来ているけーくんしかいませんでした。
けーくんは今はほとんど誰も使っていない自分の部屋で考古学の難しそうな本を机に向かって読んでいました。
けーくんは驚いてしまうくらいに自分の夢を見ている。無垢な人。
夢中になって本を読んでいる。楽しそうに。ただの本とはいえ、嫉妬してしまいますね。
でももう嫉妬する必要はなくなります。

これから貴方は私のものになるんですから。

けーくんの部屋の前で私は一枚一枚、衣服をするりと取り払っていく。
私にへばりついていた最後の仮面の欠片も。全て。
自分の身体を見渡す。そこにはけーくんを欲情させるに十分な肢体があった。我ながら綺麗な身体に育ってくれました。
本当に、本当によかった。
貧相だったり醜かったりしてしまってはけーくんががっかりしてしまいますからね。

そして、すぅ…と音少なく扉を開く。
けーくんは開いていく扉に気づき、『ん〜?誰?』とゆっくりこちらを振り向く。
なんて間の抜けたお人なのかしら。このひなた荘には私とけーくんしかいないことは解っているはずなのに。

はじめは口を大きく開けて凍りついたような顔。私が近づく度にその顔は驚愕の顔にだんだんと変化していく。
私の身体を呆然と見上げるけーくん。目を覆うこともせず、後退りも忘れて。

「わ、わぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ?」

ようやくの再動。入り口とは全く逆方向の部屋の奥へ、せわしく手足を動かして退いていく。

「む、むつみさんっ!何をやっているんですか!?早く服を着てください!!」

「あら?どうして服を着なくてはいけないんでしょうか。」

「ど、どうしてって…!」

「わかりませんか?女が男の前で裸になった理由がわからないんですか?
 うふふ…それともわかっているのにとぼけているんですか。
 はっきりさせてあげますよ。けーくん?
 私はけーくんを自分のものにしに来たんですよ。それと同時に私をけーくんに捧げに来たんです。
私を貴方のものにさせようとやってきたんです。これから私と貴方が何をするか、わかりますよね?」

けーくんの顔から血の気が引いて、目に見えて青ざめる。
そして呆然となって自分の過ちに気がつく。そう、逃げようにもその退路は私の後ろ。
あなたはもう逃げられない。助けを呼ぼうにも誰もいない。
これで貴方は私のもの。
私のもの。

逃げ惑う子羊を追い詰めるようにゆっくりと私はけーくんに近づいていく、けーくんを子羊としたら、さしずめ私は腕利きの狩人か、飢えた狼かしら。…飢えた狼、そのほうが例えとしては当たっていますね。本当、その通り。
逃げようと走り出すけーくんの腕を捕まえて床に引き倒す。これでも力は強いほうですからね。
逃げようと必死な男性だって軽いものですわ。
倒れたけーくんは受身を取れずに背中を強く打ち付ける。がはっ、とけーくんの口から肺の中の空気が吐き出される。
ごめんなさいね、けーくん。大人しくしていればこんな乱暴なことしなくて済みましたのに。

仰向けに倒れているけーくんのお腹の上にすかさず馬乗りになった。
けーくんの鍛え上げられていなくとも引き締まったその腹筋は私のお尻を、身体をやんわりと押し返す。

「改めて、こんにちは♪けーくん♪」

両腕は押さえつけて、もう少しでキスができるくらい顔を近づけて。
できる限り、私の精一杯の笑顔で。

「むつみさん…もう止めてください…
 どうしちゃったんですか、どうしてこんなことするんですか…むつみさんっ!」

「けーくん?

 けーくんが悪いんですよ?

 けーくんが私のことを見てくれないから。けーくんが私の事を愛してくれないから。私は待っていましたのに。

 人から好かれるように、けーくんに好かれるように、愛されるように、望みを求めた望まぬ仮面すらかぶって待っていましたのに。

 けーくんはなるさんの…なっちゃんのものになっちゃった。

 わたしはけーくんだけのものなのに。なっちゃんさえ、なっちゃんさえいなければけーくんはわたしのものだったのに!

 けーくん…

 けーくん?

 お願い。けーくんの知っている乙姫むつみじゃない、『仮面』を欠片も纏わない私を。乙姫むつみを見てください。

 けーくん、すきなの。だいすきなの。

 私を見て?私を好きになって。私のことを愛して!」

告白。私の全てを、本当の私を全ての告白。私はけーくんに自分を、自分の欲望を愛情を想いをすべて叩きつけた。
流したくも無い涙がボロボロと零れてくる。買ってもらえない玩具を哀願して泣き喚く子供のように。
その雫はけーくんの胸に落ちて、衣服に染み込んで、消えた。私はけーくんの両腕を束縛する私の腕、その腕の力を緩めた。

「…え?」

「いいんですよ。逃げて。逃げてしまっても。
 早く、すぐさま私を押し退けてなるさんでも、警察でも、他のひなた荘の人でも呼んできてくださいな。
 でも帰ってきたころには私はもうどこにも、この世にすらいないでしょう。
今まで見てきた乙姫むつみの仮面をコナゴナに壊してしまった私にはもう行くところがないんですよ。けーくんの処にしか。
 そのけーくんに拒絶されてしまったら私は行くところがない。もう付ける仮面がない。
 そんな人間は生きていてもしょうがないでしょう?さあ早く押し退けて、この醜い女の命を絶って下さいな。」

これは脅迫。けーくんの人のよさに、優しさに付け込んだ性質の悪い、醜くて汚い脅迫。
そしてこれは賭け。賭場に私の全てを注ぎこんだ最初で最後の賭け。




そして…





私は押し退けられた。







脅迫は失敗。賭けには負けた。
仰向けになった私の瞳に、けーくんの部屋の天井が映って。知らずのうちに私は声を張り上げて笑っていた。もう私には何もない。
今までつけていた仮面も。乙姫むつみも。けーくんも。もう何もかも失った。
私は狂ったように笑った。壊れた玩具のように笑いつづけた。さようなら。さようなら、けーくん。
どうかこのけーくんに狂った哀れな女を忘れてくださいな。

「あははははははははは…
 うっ、うふふはははははははっはっはははは…
 ふ…ふふふふ…はは…は…」




「どうしたんですか?早く行っちゃって下さいよ。
 この情欲に狂った狂女なんか放っておいて。けーくんに狂い果てた女なんか。
 どうしたんです?早く行ってください。…これ以上、私を惨めに……させないで…」

また私は泣いている。
こんなにも自分が泣き虫だったとは思わなかった。涙で視界が歪んで、天井も、何もかもグチャグチャ。
その私の身体に、すぅっと重さが加わる。グチャグチャの視界に歪んだ人の影が加わる。
私には何が起こったのか、その瞬間にはわからなかった。ただ、けーくんはもういなくなったであろうその部屋に巻き起こる僅かばかりの風が肌寒かった。

私は手で涙を拭った。
回復した視界に飛び込んできたのは、顔。けーくんの…顔。
正気を、現実を、事実を、全てを疑った。去ってしまったはずのけーくんが私を押しつぶさないように覆い被さっていた。
私を見つめるその瞳は、真剣で、澄んでいて、優しくて…私の大好きな目だった。

「…けーくん?

 …どうして?」

「…ごめんね、むつみさん。」

何に謝ったのかはわからなかった。
ただ、けーくんはその瞳で私から目を逸らさずに見つめたまま…『私』に微笑んだ。優しい―でも哀れむような―微笑み。
『私』に微笑んだ。仮面をかぶらない、けーくんの知らない『私』に。

私の唇は少し湿ったやわらかいもので塞がれる。それはけーくんの唇。
私はまた涙を流す。今までとは全く別種の、歓喜の涙。成就の涙。気持ちのいい涙。
こんな涙を私が流せるなんて思いもしなかった。想像もできなかった。
私はその涙をもっと流してみたくなって、もっとけーくんを感じたくなって、深く深く…唇を重ねた。

身体が重なり合う、影が重なり合ってその色が濃くなる。

同情心。哀れみ。けーくんの優しさ。いろんな想いが入り混じって、とけあって、わたしはけーくんに包み込まれる。
麻薬のように痺れさせてくる。狂った私が止まらなくなる、歯止めが利かずに狂っていく。
私が大きくなっていく。大きくなっていく私をさらに包み込ませるように私は貪欲にけーくんを求めた。
けーくんはそれに応える。私は求める。けーくんは応える。

―何てシアワセ。

そのシアワセを逃したくなくて、私はけーくんに鎖をかける。私から逃れられない為の、私という鎖。
がんじがらめに、きつく、血が出るくらいにきつく。何重にも何重にも。
私のことしか見られないように、私のことしか考えられないように、私の方に顔を向けさせたまま拘引して束縛する。
―けーくんの瞳から、光が失われた。





人間ならば誰にだって欲望がありますよね。お金が欲しい、恋人が欲しい、友達が欲しい、
安息が欲しい、自分の居場所が欲しい、アレが欲しい、コレが欲しい。不足を感じて満たそうとする心。
誰もが持っているんですよ。人によって形はさまざま、大きさも人それぞれ。

じゃあ人は自分のその欲望を止めることは出来るでしょうか?
…ふつうは、やはり誰もが持っている理性というものが働いて、その理性に欲望は大体の場合止められますね。
他のもので我慢したりしますよね。それを頑張って成就させて満足させますよね。

…じゃあ誰かを愛したり、愛そうとすることを止められるでしょうか?
止めることは出来ませんよね…これは人間なら誰にだって持っている気持ちなんですから。
それはとても強い気持ちなんですから。何よりも強い気持ちなんですから。
それは他のものでは代用できないものなんですから。それは成就しないと我慢できないものなんですから。

そして愛と欲望は紙一重だと誰かが言ったことがあります。
じゃあわたしがやっていることは愛なんでしょうか?
それとも欲望でしょうか?

わたしは…
愛だと思うのですけどね♪




もう幾度も押されているチャイムを、私は今回もその指で押す。
ピンポーン、と鳴らしたチャイムは部屋に響く。家の主は少し慌てたようにバタバタと玄関に向かってきた。
「どなたですか?」と扉を開けて私を見る。驚愕の表情、青ざめた表情、部屋の主は呆然と立ち尽くす。
…………ほんの僅かに、よろこびの色。…ふふ……

「こんにちは♪」

「むつみさ……うっぷ…………」

 
わたしはなにかを言おうとするけーくんの口を無理やり自分の口でふさぎました。何も言えないように、何も聞こえないように。
今日もけーくんの鎖を増やす。


「むつみさん…」

「……………なぁに?けーくん。」

「むつみさん…もう…やめにしませんか?」


けーくんは衣服の乱れを直しながら私に哀願するように話し掛ける。


「あら?どうして?」

「こんなこと…ダメです。
 むつみさんが…むつみさんが傷ついていくだけです…。
 だから…もうやめにしましょう。」

けーくんは下を向いて、私から目を逸らして一語一語噛まないように言い切る。
ゴクン、とその哀願の応じを待つようにけーくんは唾を飲み込んだ。

「けーくん?
 私のことは気にしなくていいんですよ。私はけーくんに付けられる傷なら…
…けーくんに刻み付けられる痛みなら喜んで受け入れますから。」

私はけーくんの頭をぎゅっと抱きしめ、自分の胸の中へ埋める。
けーくんは少し苦しそうに、酸素を求めてもごもごと悶える。

「けーくん、本当に優しいのね♪
 むつみの為にこんなにも悩んでくれるなんて。こんなにも想ってくれるなんて。
 うふふ…ますます好きになっちゃいました♪」

そしてけーくんの顔を持ち上げて、その唇にありったけの想いを込めた接吻。
接吻というよりは一方的な私の口虐。けーくんの身体から力の抜けたのをいいことに、私はけーくんを陵辱するように愛していく。
―けーくんの瞳から、また光が失われた。

わたしは服を着るとニコっと笑顔を見せたあと、けーくんの家を後にしました。
それは了解の笑みではありません、「また来ますよ」という笑みです。

あとからわかったことなんですが、けーくんはなるさんのことを抱いていないらしいです。
きっと抱けないのでしょうね。
おそらくわたしとの行為が後ろめたくて、私との行為の罪悪感に苦しんで。
結婚してもなるさんのことを抱けないのだと思います。

けーくんらしいですね
わたしはそれを予測済みでしたのに…

それがきっかけでわたしとけーくんの関係がバレたり
なるさんとけーくんのが破局してもまったくもって構わないんです♪

確信的にやっていますからね
むしろそれが狙いなんです♪

罪悪感はありません
もともと『本当』のわたしとなるさんは友達でも何でもありませんし。
もしなるさんとけーくんが離婚したら、けーくんはわたしのところに来てくれるかもしれませんからね。
そうすれば本当の意味で、けーくんは私のもの。
わたしにはけーくんさえいてくれれば良いんです。
もう『仮面』をかぶって人に好かれようなんて思いません。もっともかぶる仮面はもう無いですけどね。






…けーくんがわたしのことだけ見ていれば…

…けーくんがわたしの傍にいてくれれば…


 








もうそれだけでいいんです


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