第22話「ナボコフ・シンドローム」
「へー、これがカジノか」
アルフレッドが感心したように言った。エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは物珍しそうにきょろきょろしている。
カジノというだけあって、どこぞの賭場とはわけが違う。シルクハットに葉巻やパイプをくわえたお大尽が、ルーレットやスロットに興じている。
「とりあえず俺スロットやるわ。北斗あるみたいだし」
確かに『愛をとりもどせ』が薄く流れてる。
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンはルーレットを見ることにした。一時間ほどかけて流れを読むのだ。
一時間後
「よう、エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョン」
アルフレッドは声をかけながら、札びらを見せた。二十二万ゼニーあった。
「これをルーレットに賭けよう」
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが言った。
「当たるんだろうな」
アルフレッドは半信半疑だ。
「大丈夫。次は赤だ!」
アルフレッドは迷ったが、二万ゼニーを残して赤にかけることにした。
「よし!」
「よろしいですか?」
ディーラーはそう言うとルーレットを回した。
「・・・」
球が転がる音がゆっくりと聞こえた。
かたん。
「赤です。おめでとうございます」
ディーラーはにこやかに言った。これで持ち金は一気に四十万ゼニーになった。エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは喜ぶアルフ
レッドを横目に、またも赤に札束を放った。アルフレッドはエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンの顔色を窺っている。
「アルフレッド、心配するな。次も赤だ」
「よろしいですか?」
ディーラーが言った。
ルーレットを回す。
「・・・」
「赤です。おめでとうございます」
これで八十万ゼニーになった。
「次も赤だ」
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは強気だ。八十万ゼニー全額をルーレット台に放った。もはやアルフレッドには止められない。
「よろしいですか?」
ディーラーが言った。
ディーラーはルーレットを回しながら、テーブルの裏のボタンを押した。客の警戒ボタンである。数十秒で客を装った屈強のボーイがアルフレッド
たちを取り囲むはずである。アルフレッドたちはいかさまの疑いをかけられていた。
「赤です。おめでとうございます」
こんな時でもディーラーは冷静だ。
百六十万ゼニーになった。隣にいるアルフレッドはエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンの耳元で囁いた。
「おい・・・」
「分かってるよ、やり過ぎたかな」
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンも気付いていたようだ。
屈強なボーイ数人が二人に近付いてきた。
「お客様、オーナーがお呼びでございます」
そう言うなり、アルフレッドとエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンの両脇と背後に立った。これでは逃げることはできない。仕方なく
二人はボーイに従った。宿屋の最上階にオーナーはいた。
「失礼します」
ボーイの一人がそう言って、ドアを開けた。そこには豪勢な椅子にくつろぐ、はげ上がった中年が座っていた。葉巻をふかし、グラスの赤ワインを
時折すすっている。膝の上には白いペルシャ猫が気持よさそうに眠っている。
「いかさまじゃないそうだな」
アルフレッドとエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンはただ立っている。
「私は前置きが嫌いでね。短刀直入に言おう」
オーナーは葉巻を吸った。
「ここから歩いて五分ほどの交差点にカジノがある。知っているかね」
「いや、知らん」
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンがぶっきらぼうに答えた。
「そこのカジノを潰してほしい」
アルフレッドは呆けている。エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが聞いた。
「要するに、稼げばいいのか?」
「そういうことだ」
オーナーは葉巻を吸った。煙を口から出しながら言った。
「報酬は出す。前金で二百五十万だ。仕事の後で残りの二百五十万出そう。ルーレットで勝った百六十万も持って行け。もちろん、向こうのカジ
ノで儲けた金もお前たちのものだ」
「いいよ、契約成立だな」
「うむ」
アルフレッドはエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンと共にホテルを出た。エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは小踊り
しそうなほど喜んでいる。アルフレッドは危ない仕事はしない主義だ。元を辿れば本屋である。
〈麻雀ならできるけど、ルーレットは専門外だ。ここは任せよう〉
アルフレッドはエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンのサポートに徹することにした。
客を装ったボーイと共に、二人はカジノに入った。逃げようとすれば即座に殺されるだろう。ボーイが短刀を懐に入れるのをアルフレッドは見てい
た。もっとも、エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは返り打ちにするかもしれない。
こちらのカジノはさっきほど高級感はないが、活気があった。ルーレットやスロット、パチンコがあるが、やはり麻雀はやっていない。新海物語が
最も人気があるようだ。
手近にいた着流しの男にエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが尋ねた。
「一番稼げるのはどれだ?」
着流しの男は椅子にも座らずにスロットをしている。勝っている様だが、楽しそうには見えない。スロットに千ゼニー札を投入しながら、着流しの
男がようやく答えた。
「ラビット・ナボコフって知ってるか?」
「ラビット・・・?」
「アレキサンドル・ナボコフという男が考案したカードゲームがラビット・ナボコフだ。世界的に、カジノでブームになるかと思われたが、あっという
間に消え失せた」
「なんで?」
アルフレッドが聞いた。
「ギャンブル性が高すぎた。一発で大勝ちする。その額が桁はずれだった。逆に大負けで、自殺者の数は異常に膨れ上がった。そしてあともう
一つ・・・」
スロットをやりながら話していた着流しの男は、くるりとこちらを向いた。
「いかさまがしやすかったのさ」
「あのドアの向こうで、そのラビット・ナボコフをやってる」
店の奥まった所にドアがあった。
「そういう恐ろしい世界もあるんだ。一発で儲けようなんで考えはやめとくんだな」
「やり方教えて」
着流しの男の警告を無視するかのように、エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは言った。
「親一人、子四人でやる。親のカードと自分のカードの数が、引いて二になればラビットだ。キングにはジャック、クイーンには十だけだ。柄が同
じならハラショーで倍づけだ。エースにはエースだけ、これがピロシキで十倍。親のカードが二の時は、勝てるのはジョーカーだけだ。ミーシャで
五十倍になる。ところが、親が二の時、二を出してしまったら、カチューシャで賭け金の十倍没収だ」
「じゅ、十倍・・・!」
アルフレッドが声を上げた。
「逆に、親のカードがジョーカーの時は、ハートの二だけが百倍の勝ちになる・・・これがラビット・ナボコフだ」
「分かった、ありがと!」
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは元気よく言った。
「アルフレッド、行こうぜ」
二人はドアを目指して歩き始めた。