第30話「マル暴さん」
個室を出ると、カウンターがある。カウンターの客が撃たれたようだ。腕を押さえてうめいている。取り巻き連中が撃たれた年配の男を囲んでいた。カウンターの向こうが厨房になっている。厨房とカウンターは暖簾で分けられていて、その奥から男たちの声が聞こえてきた。
「おい、急げ!」
「分かってるよ」
ここでがしゃんと音がした。男たちの誰かがバケツか何かをひっくり返したのだろう。
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが暖簾をくぐり、厨房へと入っていったが、既に時遅い。
「アルフレッド、白いクルマだ!表通りに行ったぞ!」
アルフレッドが店の戸を開けて、外に飛び出した。アルフレッドの視野に白い車は四台あった。どれも渋滞に巻き込まれて、立ち往生している。アルフレッドは一番近くの車のドアを思いっきり蹴った。
「開けろ!」
運転手は怯えた目をしている。
気づくと、撃たれた男の仲間たちがアルフレッドの後ろにいた。その中にエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンも混じっている。その車はタクシーで、中には運転手しか乗っていなかった。
「こいつか?」
アルフレッドが皆に聞いた。エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンはともかく、撃たれた男の仲間は顔を見ているはずだ。
「いや、違う」
撃たれた男の仲間の一人が言った。他の仲間数人は、その言葉を聞くやいなや走り出している。残りの三台を検分するのだ。
「てめぇか!」
撃たれた男の仲間の一人は、車のドアをひっぺがして、中の男二人を問答無用にひきずり出した。二人の犯人をよってたかって、殴りに殴っている。遅れてかけつけたエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが言った。
「そのへんにしとけよ」
「そうだな」
男の一人が言った。
「おい、ピラフ!こいつらを事務所に連れてけ!」
ピラフと呼ばれた男が「はいっ」と元気に返事をし、犯人が乗っていた車にゴボゴボになった二人を放り込み、自分は運転席に乗った。
「あんたらには礼をしよう。事務所までご足労願う」
そう言うと、仲間の若い男がアルフレッドたちを寿司へぇの駐車場まで連れていき、有無を言わさず車内へと押し込んだ。
十分ほどのドライブで事務所に着いた。建物の中へ案内され、『社長室』と書かれたドアの前で、アルフレッドたちの案内役の男が大きな声を上げた。
「親分!連れてきました!」
すると、ドアが開いた。中でドアを開けた男がいた。
「おお、お前たちか。助太刀をしてくれたそうだな。礼を言おう。わしは熊田薫だ」
部下の一人が分厚い封筒を差し出した。三百万イェンはあるだろうか。
「ところで・・・お前たちはどこの者だ?」
二人にとって、最も嫌な質問である。
「どこのって言われても・・・」
「組には属してないのか?」
「ぞ、属してない」
しどろもどろになっているアルフレッドにかわって、エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが答えた。
「ふむ、フリーか。うちの仕事をやってみんか?心配するな。殺しじゃない。梅ヶ崎一家の親分をここに連れてきて欲しいんだ。明日、二代目真中瞳組の継承式があるでな。媒酌人が急に入院してしまって、代役が必要なんだ。さっきの礼金とは別に三百万やろう」
「や、やる!」
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが即答した。後段の三百万が効いたようだ。
「おい、エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョン・・・」
「大丈夫だって」
動揺するアルフレッドを尻目に、エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは商談をまとめてしまった。
「で、梅ヶ崎一家の親分ってのはどこにいるんだ?」
「彩玉だ。若いのを一人付けよう。詳しくはそいつに聞いてくれ」
親分はそう言うと、ピラフを紹介してくれた。顔は青く、背は異様に低い。耳はとんがり、趣味の悪い服装だ。いじりどころ満載だが、組員は何も言わないのでアルフレッドたちも触れるのは止めた。
ピラフによると、梅ヶ崎親分はのんだくれのろくでなしだが、男の中の男だそうだ。二人は相反する説明に、何故か納得してしまった。
二人とピラフは黒塗りのハイヤーに乗り込んだ。