第48話「鬼、出没す」
「おいアルフレッド!いい加減起きろ!」
「・・・ん?もう朝?」
「朝?じゃないよ!もう昼になっちゃうぞ」
「あと五分・・・」
「起きろって言ってんの」
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンはアルフレッドを揺すった。まだ起きない。布団をひっぺがした。
「寒いよ〜」
「飯食ったら出発だよ」
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは言いながら窓を開けた。暖かい風が部屋を通り抜けていく。
アルフレッドがむくりと起き上がった。
「朝飯は何?」
返答はない。エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンはとっくに部屋を出ていた。
アルフレッドは着替をし、食堂へと赴いた。エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンのあの態度から察するに、もう皆起きているのだろう。
「おはよう」
食堂へと入ると、アルフレッドに視線が集中した。
「おはようございます、閣下」
「遅いんだよ。いつまで寝てる気だよ」
「のう、アルよ。早朝に出発と言ったのは誰じゃったかのう」
相変わらず陰湿だ。
「すみません、村長。昨晩は調べものをしていたので・・・」
「調べもの?それを証明できる人物はおるのか?」
村長の目つきが鋭くなる。
「証明なんて・・・」
「それみたことか。おかしいと思っとったんじゃ」
「何言ってんだよ、じじい。アルフレッド、早く食え。さっさと出発しよう」
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが二人の押し問答を強制的に終わらせた。しかし、村長のいぶかしげな表情は変わらない。ねちねちと姑のようだ。
朝食を終え、一行はポクワーツ魔法学校の門までやって来た。
「ポリー、こっちの世界には馬はないのか?街にはいないみたいだけど」
アルフレッドがポリーに聞いた。
「馬はいることはいますが、向こうの世界のように使役には使いません。移動にはあれを使います」
ポリーは駐輪場を指さした。
「何あれ。見たことないな」
好奇心旺盛のエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが駆け寄って行った。
「こんなのわしらに乗れるかのう。魔法は使えんのじゃぞ」
「これに魔法は必要ありません。多少練習しなくてはなりませんが」
ポリーは自転車に乗ってみせた。
「このように乗ります」
「車輪が二つしかないのにどうやって乗るんだ?」
「バランスですよ、閣下」
〈こういうの苦手なんだよな〉
アルフレッドは自分に運動神経というものがないことを自覚していた。村長も同じことを思っていた。この歳になって運動なぞしたくはない。幼少の頃から運動は苦手だった。
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは早くも自転車を乗りこなしている。
「おーい、アルフレッド!おもしろいぞ!」
「村長、乗ってみましょうか」
「うむ」
二人は恐る恐るサドルに腰をかけ、見よう見まねでペダルをこいだ。
二人とも、予想通り転んだ。
「アハハハハ!アルフレッド、村長!いいざまだな!」
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは豪快に笑っている。
「閣下、バランスです。後ろで私が支えていますから、こいでみて下さい」
アルフレッドはもう一度挑戦したが、結果は同じだった。
三十分経っても状況は変わらない。エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは自転車に飽きたのか、昼寝を始めている。
「村長、乗れませんよね・・・こんなの」
「うむ」
二人の腕や膝にはすり傷の後が生々しかった。
「仕方ありませんね。これを使いましょう」
ポリーは小さな車輪を見せた。全部で四つある。
「何に使うんじゃ?」
「後ろの車輪に付けるんです。これで転ばなくなりますよ」
ポリーは補助輪を付けた。
「さあ、乗ってみて下さい」
アルフレッドは疑いを持ちながらも、自転車に乗ってみた。
「乗れた!乗れた!」
子供のようにはしゃいでいる。
「村長も乗ってみて下さい」
「うむ」
村長も乗ることができた。
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンを起こして、やっと出発だ。
ポリー・ハッターを先頭に、ぞろぞろと郊外に出ていった。
三十分もすると、広い麦畑に入った。爽やかな風が駆け抜けていく。アルフレッドは久々に煙草を吸った。自転車を村長に横付けにすると、村長にも勧めた。
「村長、どうですか」
アルフレッドは箱ごと煙草を渡した。
「こりゃありがたい」
村長は一本抜くと、アルフレッドに返した。続いて、アルフレッドがマッチで火を付け、村長の顔に近付けた。
村長は煙をふぅーっと吐いた。
「いい風じゃ」
「ですね」
アルフレッドと村長はどこか、時が止まるような感じを覚えた。
遠くに家が見えた。
「閣下、あれです!見えましたよ!」
「やっと着いたか。もう疲れたよ」
エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが独り呟いた。
集落に住む人々は皆にこやかだ。レイモンド王国に迫害されているとは思えない。背格好や服装も王国とほとんど変わらない。ポリーが住民の一人に話しかけた。
「すみません、族長はどちらに?」
「族長はあそこに住んでますよ」
住民が指した方向には、今にも崩れそうなぼろ小屋があった。
小屋に入ると好々爺がちょこんと座っていた。
「初めまして、私ポクワーツ魔法学校の校長をしておりますポリー・ハッターと申します」
「僕はアルフレッド。こっちは村長。外にいるのがエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョン」
「ほう、レイモンド王国のお客とは珍しい。何のご用かな?」
「簡潔に申し上げます。こちらのアルフレッド様は故陛下のご落胤でして、我々は将軍の政権打倒を目指しております」
「やっと反乱軍ができたか。俺はずっと待ってたよ。王国の民が悪いわけじゃねぇってことは分かっていた。全てはゴスローリの野郎が原因さ。ゴスローリが内政に目を向かせないためにやったことだ。能のない権力者がよくやる手だ。もっとも、純粋なレイモンド人だけの国にもしたいらしいがな」
「そこまでお見通しとは・・・ならば話は早い。我々に協力して頂きたい」
「頼むのはお前だけか?」
族長はちらりとアルフレッドを見た。
「国民を代表してお願いする。共に平和な国を作ろう」
「いいだろう」
族長は手を差し出した。アルフレッドと族長はがっちりと握手をした。
「ところで族長、名は?」
「名は捨てた。だが皆こう呼ぶ。『太田黒』と」
「そうか、よろしく。僕のフルネームはアルフレッド・ボンバーヘッド・レイモンドだ」
二人は再び固い握手をした。
「来い」
立ち上がると、太田黒は意外にも背が高かった。胸板も厚く、鋼のような体だ。よほど鍛えたのだろう。
太田黒は、一行を小屋から五百ジングほど離れた牧場に案内した。
「ここに鬼が?」
「ああ、お前ら見たとこレイモンドの者じゃない。かといってうちの者でもない。鬼を見たことないだろう」
「閣下、見ない方がいいですよ」
ポリーの足が震えだした。
「二、三匹連れてこよう」
太田黒が連れてきたと思ったら、エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが走って鬼を抱き上げた。
「かわいい〜」
頬擦りまでしている。
「見ろよ、すげぇかわいいぞ!」
ポリーは泣きそうになっている。
「うわぁ!鬼だ!殺される!」
村長とアルフレッドは何が何だか分からない。
族長が連れてきた鬼は、明らかに猫だった。