第58話「はよ転送しろよ!!」

案の定、六百五十五階には何もなかった。そこからは、黙々と階段を上る作業である。七百三階に着いたところでエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが口を開いた。

「今日はここまでにしよう。もう疲れた」

「そうじゃな、休もう」

待ってましたとばかりに、村長は答えた。エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンはコンクリートの破片の散乱している床に寝転んだ。

「これ、五千階まであるんじゃろう」

「そうらしいな」

 

「・・・」

 

「わしはもう止めたくなったきたわい」

「何言ってんだよ、アルフレッドを生き返らせるためだろ」

説得するエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンの言葉にも精気はない。

「そうじゃが、あと四千二百九十七階もあるんじゃぞ」

「言うなよ、それ・・・」

二人は同時に溜め息をついた。このやりとりで、一気にやる気がなくなっていった。

「二人とも何言ってるんですか!頑張らないと駄目ですよ!」

第三者の声に驚いて、二人が振り向く。そこにはポリー・ハッターがふわふわ揺れながら立っていた。相変わらず汗をかいている。右手にはお決まりの手拭いである。

「何だよポリー!いたのかよ!」

エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンはにわかに元気が出てきた。毎日この老人の相手に飽々していた。汗っかきのデブだろうがなんだろうが、誰か違う人間と話したかった。

「私はいつもお二人の側にいますよ」

「じゃあ、ずっと見えるようにしとけよ」

「いえ、この姿でいられるのは三十分と決まってますから。それより、早く上を目指しましょう。アルフレッド様を生き返らせるんです!」

ポリー・ハッターの出現でエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは活力を取り戻した。が、村長は既に眠りこけている。

「でもまぁ、今日は寝ようよ。村長寝ちゃったしさ。明日また来てよ」

「それでは明日の朝に参ります」

ポリーがいなくなってから、エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンはフリスクを一粒口に入れ、ウォッカで流し込んだ。

 

翌朝、早く起きたのは村長だった。基本的には村長も老人である。遅くまで寝ている体力はないのだろう。例外と言えば、酒を呑んだ時だろうか。

エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンを揺すって起こすと、ラジオ体操を始めた。どこからか音楽が流れてくる。

「何だよ、朝っぱらからうるさいな」

眠い目を擦っているエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンには騒音にしか聞こえない。村長は元気よく体を動かしている。その横には足の無いポリーが同じように体操をしていた。

「あ、エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンさん、おはようございます」

ポリーがエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが起きたのに気付いて挨拶をした。これに対してエリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンはあごをしゃくっただけである。体操を続けていろという意味だ。ラジオ体操を終え、一行は最上階を目指して上り始めた。五千階までの道のりは遠い。

七百十階に達したところで、ポリーがある提案をした。

「どうせなら、私がテレポーテーションでお二人を送りましょうか?三十階くらいでしたら、何とかなりますが」

「テレポーテーションって何だよ」

エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンが聞いた。

「いわゆる瞬間移動です」

「瞬間移動って何だよ」

「一瞬で物体を遠くに移動させる術です」

「こんちきしょー!」

エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは憤怒のあまり、思わず手が出た。鋭い左ジャブがポリーの咽喉を貫いた。

「全く、そんな魔法が使えるなら、さっさと言えばよいものを」

村長は溜め息混じりに呟いた。

ポリーは死んでもおかしくないほどの重傷を負ったにもかかわらず、意外と元気だ。十秒もしないで傷口は塞がった。

「ほう、さすがに魔法使いじゃな」

村長が感心したように言う。エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンは未だ立腹の様子だ。

「おい、ポリー。そんなことができるなら、どうして早く言わないんだよ。七百階まで来ちゃったじゃないか」

「七百十階じゃよ」

村長が揚げ足を取る。

「すみません。ですが、この魔法は一日一回が限度なのです。体力の消耗が激しいもので・・・」

「分かったよ、早くやってくれ」

「それでは、私に触れてください」

エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンと村長はポリーの肩に手を置いた。ポリーは右手の小指を自分の額に当てた。指切りげんまんのような格好である。

「ポコペンポコペンダーレガツツイタポコペンポコペンダーレガツツイタポコペンポコペンダーレガツツイタ」

ポリーが呪文を唱え終わる。気が付くと三人は七百四十二階にいた。

「やるじゃないか、ポリー!」

エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンがポリーの背中を思い切り叩いた。村長も感謝の笑顔をしている。

「これで少しは楽じゃわい」

当のポリーは息を切らし、死にそうな顔をしている。汗は拭っても拭っても、絶え間なく流れてくる。ポリーの足許には(と言ってもポリーに足はないが)大きな水溜まりができている。いつもの異臭がたちこめた。

エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョンはポリーを置いて歩き始めた。村長もそれに続いた。ポリーは三十分経って消えるまで七百四十二階にいた。

「のう、エリザベータ・アンゲルトリューテン・ウォンチョン、高いところに来ると思い出さんか?」

二人は階段を上りながら会話を楽しんでいた。

「思い出すって、何を?」

村長は『ナニを』と言いたくなったのを必死に堪えた。いつだったか、アルフレッドとこの手の下ネタで盛り上がったのを思い出した。

「癌微糖のことじゃよ」

「ガンビトウ?何だそれ」

「昔そういう輩がおったろう。いや、名が違うかもしれん。ガンビトウじゃなくて・・・えーと、何じゃったかのう」

「ああ、もしかして一緒に旅をしてた奴か?変な喋り方する奴だろ?」

「そうじゃそうじゃ。何て名前だったか・・・カラビトゥじゃったか。いや、カピラバストゥかな」

「違うよ、モーリタニアだよ。いや、イラン・イスラム共和国かな」

「ほうじゃったか。最近、物忘れが激しゅうてな」

「うーん、違うかも。とにかく、あのメガネだろ?」

「メガネなんかかけとったか?」

「かけてたよ。みんなメガネメガネって呼んでたじゃないか。それにメガネって呼び出したの、村長じゃん」

「わしが?お主、よく覚えとるのう。わしの記憶では鼻の横に大きなホクロがあった」

「ああ、あったあった。んで、そのホクロから十センチくらいの毛が生えてたね」

「そうじゃそうじゃ、そして目が三つあって髪は青々と剃っておった。懐かしいのう」

「それにしても、名前が思い出せないね。まぁいいか、『アゴ』で」

「そうじゃな、アゴでよかろう」

二人が笑っていると、背後から声がした。

「ふっふっふ、あなた方の言う人物・・・リボルバー・ギャンビットではないですか?」「何奴!」

村長は絶叫とともに振り向いた。声の主は誰なのか。ギャンビットを知る人物とは一体誰なのか!リボルバー・ギャンビットを知る人物とは一体誰なのか!そして、リボルバー・ギャンビットとは一体誰なのか!

 

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