武蔵野日記 第5回
「ラグチュ−仲間の思い出」 99.07.21

JG3HAT 小田 真



 「あれから10年ぶりか。次に皆で会うときは子供の進学が話題になって、さらに次に会うときには、俺もまだ3年あるねんけど、今年度で辞めといたら退職金の条件がええねんけど、とか、そんな話題になるんとちゃうか?」(私)

 「あのなあ、今頃からそんな年寄りじみた話してどないすんねん!」(元ローカル局)  

 これは今から8年前の1991年に開催した、高校生の頃のラグチュ−仲間「21.383グループ」の同窓会での一コマである。その同窓会から10年前の1980〜81年頃、当時私が高校時代に21.383MHzで、同年代また、少し年上、年下のロ−カル局と土曜の夜、さらに夏休み中は毎晩のようにラグチューをしていた。このグループは、西宮市立瓦木中学校の現役および同校卒の高校生のハム仲間の集まりを中心に、尼崎、西宮両市のいくつかのティーンエージャーの21MHzラグチュ−グループが寄り集まった自然発生的なグループであった。10代のアマチュア無線家達の、いわばサロンのようなものだった。最盛期は30人近くを数え、私にとっては忘れ得ぬ仲間である。

 他にこの周波数を使っている局がいないのをいいことに、バカ話に興じたり、仲間が私の芸能オンチぶりをからかったりしたものだ。また、遊びに行く計画を誰かがこの周波数で提案して、次の休日には早速仲間数人で出かけるということも度々あった。同い年のロ−カル局4人(私も含む)と3歳年下の中学生(年下とはいえかなりのマセガキで我々と話は噛み合った)が、ポートアイランドで開催された博覧会「ポートピア'81」に行き、立体画像が楽しめる話題のパビリオン、ダイエ−館に入場するため2時間並んだのも懐かしい思い出である。また、21.383グループのアイドル、瓦木中3年生で同校随一の秀才だったNさんという女の子の家に数人で押し掛け、奇襲に驚いたNさんに「ウッソー」などと言われたこともあった。また、マセガキ氏を含む4人が西宮市地蔵山(甲山の麓の神呪寺の南側の山門から高級住宅地目神山に抜ける細い道沿いにある見晴しの良い広場、数年前にYSTでバーベキューをしたことがある)で移動運用をしたのは1981年のことだっただろうか。私も彼等を地蔵山に、差し入れを持って訪ねた。

 先日関西に帰った際、その地蔵山に行ってみた。そこから、西宮と尼崎の中心部は大体見渡すことができる。21.383グループの各局の当時の自宅のある地域を目で辿ってみた。西宮市新甲陽、伏原町、松並町、神垣町、柳本町、日野町、松山町、尼崎市東難波町、武庫豊町、水堂町(これは私の実家のあるところ)。。。かつてはこれらの地域の間を、電波が我々の声を乗せて賑やかに飛び交っていたのだ。

 同窓会の際にも、そして個別に当時の仲間と会うときにも、互いに申し合わせたように、「皆あの頃と変わらんな」と言う。確かに皆30代に達したが、あの頃から気持ちはまるで変わっていない。だが、あれ程空をにぎわした21.383グループは、今は影も形も存在しない。尼崎の実家でHFのリグのスイッチを入れ、周波数を21.383MHzに合わせても「シャー」というノイズが空しく響くのみである。20年近くがたってしまった今、グループを再結成することは不可能だろうし、仮にできたとしても、話が合わず長続きするはずもない。

 しかし、眼下に当時と変わらぬ景色が拡がっている地蔵山に立つと、大人になろうとしてまだなりきれないあの時期を共に歩んだ21.383グループ各局の電波が未だに、あの頃のノリそのままに、目の前の空を漂っている気がして仕方がない。

JG3HAT/1 小田 真(東京都国分寺市在住)