しばし和くんの泣き声が響き渡った高遠幼稚園(の、居住階)。
「よしよし。驚かして悪かったな」
「…ふぇ…っぅ…」
「もう付けねえから。な?」
「………」
牙まで付けた吸血鬼の恰好が似合いすぎて逆に怖がられてしまった磯前先生は、大慌てでそれを外してからぎゅっと抱き締めてなんとか和くんを宥めることに成功していました。
そして和くんといえば、大好きな磯前先生が怖くて泣いてしまったものの、なんだか物凄く困らせてしまったと子供ながらに後悔していました。
「ごめん、な、さい」
ちょっと身体を離してぐしぐしと目を擦りながら謝る和くんに、磯前先生は苦笑を隠さずにただ黙って頭を撫でてくれます。
「せんせい、なご、おこってる?」
「怒る?なんで」
「なご、ただひこせんせいが、こわいっていっちゃった……」
「そんな事で怒ってなんかねえよ。逆に怖がらせちまったのはこっちだろう?」
まさか泣かれると思っていなかった磯前先生は内心大層傷ついていましたが、言い換えればそれだけ吸血鬼の似合っていたということになると無理やり自分を納得させてました。
それに正直なところ、和くんを驚かせてみようという悪戯心が湧いたことは否定できず、それが原因で泣かせた責任があるという自覚があるのです。
「ほんとう…?」
そんな心の内など伝わるわけもなく(それに伝わったら伝わったで別の意味で問題です)、かと言ってそのままにしておけるわけもなく。
磯前先生はまだちょっと不安そうに自分を見つめている和くんの涙を唇で掬い取ってやりながら、改めて和くんを抱きなおして悪かったと謝ります。
「ちょっとずれちまったがな。…吸血鬼ってのは、あの牙で血を吸うんだよ」
「…こわいおばけ?」
「うーん…紫色の人形の例もあるし、怖いヤツばっかりじゃねえと思う」
涙を掬い取りながらその合間にも頬や額、そして鼻の頭などにちゅっと軽く唇を落としてそう語りかける磯前先生に対し、漸く落ち着いた和くんはとろんとした様子で自分なりに吸血鬼を思い描いているようですが。
「でも、いたそう」
「ん?」
「あれでかぷってされたら、おいしゃさんみたいにいたそう…」
「…………」
どうやら和くんは、吸血鬼の牙をお医者さんの持つ注射の針と同系列で考えているようです。
「せんせいも、なごのち、すうの?」
「……は?」
「なご、ただひこせんせいにならかぷってされてもがまんするけど。…でも、いたいのはちょっとこわい」
「………………」
いやいや仮装してるだけでそんな真似でも血を吸ったりしないから!っていうかちょっと待った誤解を受けるようなことを言うな如月辺りにバレたら殺される!…と磯前先生の内側は盛大にツッコミが起きているのですが。
「…痛くはないと思うぞ?」
「え」
「吸われたことがないんで推測だがな」
仮装姿を見た和くんに泣かれたことが思った以上に堪えていた磯前先生は、「これくらいは勘弁して欲しいやな」と誰に出なくそう呟いてから、和くんの頬などに落としていた唇を細く頼りない首に滑らせると。
「うひゃ…」
「多分、これくらいだ」
そのままほんの少しだけ強めにちゅっと吸い上げる(ここに如月先生がいたら絶対命はなかったであろう)行為に、和くんはただくすぐったくて肩を竦めて身を捩ります。
「痛くねえだろ」
「いたくないけど、くすぐったい」
「そうか?」
「せんせいのおひげもちくちくしてくすぐったい」
「……そいつぁ悪かったな」
泣いたカラスが…という例えも変ですが、先ほどまで大泣きしていたとは思えないくらいの和くんの全開笑顔に、自分がやったこととはいえ後ろめたさ全開の磯前先生はただ曖昧な笑顔を返すだけでした。
…磯前先生、どうか犯罪者にならないで下さい。
【ようちえんものがたり・08ハロウィン・完】