許すとか、許さないとか。
怒るとか、怒らないとか。
災難に遭ったのは僕じゃなくて、大事な大事なあの子なわけで。
それになにより、あの子がとても真剣な眼で僕に頼むから。
「…光…じゃない、帽子屋さんじゃねえですか」
「やあお帰り日織くん。なんだか大変だったみたいだね」
光谷がとあるテレビ局にてドラマの打ち合わせに出向いてみれば、そこで久しく逢わなかった高遠日織とすれ違った。
「……すみませんでした」
「?何がだい?」
が、お互い立ち止まって挨拶を交わしたところで日織から早々に謝られてしまった光谷は、謝罪される意味が判らずきょとんとした顔で首を傾げるばかり。
「和さんを、巻き込んじまって…」
「ああ。そのことか」
場所を憚り小声で年末の旅行のことを示せば、光谷はすぐに合点がいったと頷いてみせるのに。
「うん。二人とも無事だったんだし、もういいんじゃない?」
他の反応がそうだったため、日織が光谷からも罵声を浴びせられるか怒鳴られるか最悪殴られる覚悟をしていたのに、当の光谷はその素振りすらなく。
「日織くんはちゃんと僕に和くんを返してくれたから」
と、日織が拍子抜けするほどあっさりと笑顔を見せた。
「…和さんは、どうしてますか」
「和くん?そうだなあ…帰ってきたばっかりの頃はちょっと元気なかったけど、今は前と変わりないよ。
随分痩せて帰って来たから心配したけど、今はちゃんと体重も元に戻ったしね」
「………」
和の近況を聞かれたから光谷が素直に報告すると、日織は何かを言いかけてから…結局口をつぐんでしまい。
そして少しの間の後、それならいいんですとだけ言って微苦笑してみせた。
「帽子屋さんも同じなんですね」
「何が?」
「アンタも和さんと同じで、俺を怒らないんですね」
「……怒る?」
しかし日織がそう呟いたところで光谷の眉宇が顰められ。
「どうして僕が日織くんを怒らなきゃいけないんだい?」
「…………」
それが酷く冷めた固い声だったため、日織はすっと表情を変えて光谷を見返した。
「アンタはその…和さんの…」
「うん、恋人だね。どれだけ仲が良くたって、和くんは日織くんじゃなく僕のものだよ」
それを受ける光谷は、日織が言い澱む言葉をあっさりと引継いで。
言い澱む理由がなんであるかを知った上でのその切り替えしに、日織の瞳に剣呑な光が灯るのも真正面から受け止める。
「……なのに、なんで俺を責めねえんですか」
「さっき言ったじゃないか。怒る理由はないって」
「恋人なのに、なんで怒らねえんですか。
自分の恋人が他の男とほいほい旅行に出かけた挙句死にそうな目に遭って、何も心配しなかったんですかい?
アンタの大事な和さんをとんでもないことに巻き込んじまった俺を、それでも怒ろうとしねえんですか」
もし、逆上するくらいなら鼻であしらってやるくらいは出来るのに。
もし、挑発に乗って罵るなら、そこからいくらでも言葉を返してやれるのに。
「だから。僕は日織くんを怒る理由は一切ないんだよ」
光谷は一切日織の思惑通りにはならず、ただ肩を竦めてそれを軽く受け流す。
「…和さんのお人好しが移ったんですかい」
「まさか!僕の言ってることは和くんの優しさとは真逆の事だよ?」
「…………」
「僕はさっきから言ってるよ。怒る理由はないんだって。僕は日織くんを怒る理由がない…というかね、和くんが無事なんだからもういいんだ。
和くんがちゃんと無事に帰ってきて、全部話せる限りで包み隠さず僕に話してくれたから。
君の思惑がどうであろうが結果どうなってしまおうが、そんなの一切関係ないんだ」
激昂するわけでなく、淡々と「通じてる?」と確認さえして説明してくる光谷に、日織は否定も肯定もできず。
「………」
「和くんが友人の君と『一緒に行きたいと言った』から、僕は君との旅行を許した。
とても怖い思いをさせられた和くんが、それでも君を『怒らないで』って言うから、僕はその願いを叶えてあげているだけ」
和が望むから、日織との旅行を許し。
和が願うから、日織の所業に怒ることをせず。
それらは全ては和のために。
つまりのところ、日織のことなど気にも留めないということと同意語。
「僕は叱られて楽になりたがってる人間を叱ってやるほど、優しくないんだ」
何も言い返せずに立ち尽くす日織に、光谷はにっこりと笑顔を見せ「じゃあね」と言って肩を叩いて去ってゆく。
「……俺なんかより、アンタの方がよっぽど策士じゃねえですか」
責められるでなく。
殴られるでなく。
…立ち尽くす日織に残されたのは、取り払えぬ痛みを伴い突き刺さった言葉だけ。
【刺さる言葉・完】