ぱちん。
(ちらり)
ぱちん、ぱちん。
(ちらり、ちらり)
……ぱちん。
(ちら、ちらり)
揃っての夕飯を終えて、一息ついて。
ついでにそれぞれ風呂も済ませ、あとは頃合いに床に就くだけのそんな時間。
「…和さん。何さっきからこっちを盗み見てんです?」
ちらちらとおかしな具合に自分を窺い見ている和の視線に、彼の爪を切っていた日織が居心地が悪そうに片眉を潜めて口を開くと。
「あ、ごめん」
「いえ、別に謝らねえでくれていいんですが…」
どうやら和のそれは無意識下だったらしく、指摘されて初めて自分が日織を窺い見ている事に気が付いた。
「何か俺に聞きてえ事でも?」
「…あ…うん」
心底申し訳なさそうに目を伏せる和に、日織はいつもと変わらぬふうわりとした柔らかな笑みを浮かべて。
「和さん?」
「うん…。…ね、日織」
「はい、なんです?」
「あのさ」
そのまま遠慮せずにどうぞと促すと、和は素直に応じて口を開く。
が、しかし。
ぱちり。
「…これ」
ぱち、ぱちん。
「これなんだってば」
ぱちん、ぱちり。
「だからこれなんだって言ってるだろ、日織ってば聞いてるッ?」
「ああ和さん、深爪になっちまうし危ねえから動かねえで…って、はい?」
促しながらもすぐに和の爪切りを再開してしまった上に、日織は自分のしている事に何か言われるとは思っていなかったらしく。
和が掴まれ爪を切られている右手を引きかけたところで、漸くそれに気が付いた。
「あのさ、子どもじゃないんだから、自分の爪くらい自分で切る」
「まあまあ、別にいいじゃねえですか」
「良くないよッ」
自分が求め日織に乞われ一緒に暮らすようになった時から、朝の起床に始まり夜の就寝時まで散々世話を焼かれ続けている和としては、流石に爪切りまで日織任せというのはかなり居心地が悪いというのに。
なのにこうして和の世話が出来る事にこそ、この上ない至福を感じているらしい日織は頑として譲らず、また自他共に押しに弱い事を認める和は案の定流されて、結局現在のように爪切りまで世話になる始末。
「もう、なんでだよ…」
「まあまあ、そんな事は気にしねえで、もうちょいとばかりおとなしくしといて下さいな」
ぷくりと頬を膨らませてすねつつも素直におとなしくなる和に、日織は苦笑と共に「すぐに済みますよ」と宥めてから爪切りを再開して、確かに言葉通り大した時間もかけずに終わったのだけれど。
「さ、これで終りですぜ」
「ッ!」
綺麗にヤスリで整えられた爪先に、ちゅっと軽く唇を押し当てながら終りを告げられ、これも毎度の事なのに一向に慣れない和は慌てふためき赤くなる。
「…全くアンタときたら、毎回可愛い反応してくれますねぇ」
「笑うなバカッ!…もー…、爪切りはまだしも、なんで最後にこんな事するんだよ…」
「何でって…まあ確認みてえなですかねぇ」
「確認?」
「ええ」
そんな和を容易に押さえ込みいとも簡単に押し倒すと、また指先に唇を落とす日織は至って真面目な面持ちで。
「以前、ちょいとばかし湯が沁みたんですよ」
「お湯…?」
爪先から指、手の甲、また掌から手首へと徐々に唇を落としながら訳を話すも、和にはそれがどうして自分の爪を切りたがる理由になるのか解らない。
解らないから押し倒されても無抵抗で、しかも日織の首にしがみつくように腕を取られてもやっぱりされるがまま。
「いえね、何時だったか切っりっぱなし状態の爪を渾身の力で背中に立てられた際、何とも立派なひっかき傷になりまして…」
が、息が触れ合う程の距離で囁くようにそう告げられて、そこで漸く和は日織の言わんとしている事に気が付いた。
「い、いやあの、あれは不可抗力で…ッ!」
「ええ、アンタが俺の背中に爪を立てちまうのはそうなんですが。でも、切りっぱなしは感心できねえんで」
日織が言う傷とは、事の最中、和がしがみついた際につけてしまったもの。
…が、微妙にずれていると評判の日織の気遣いはここでもしっかり健在で。
日織が和の爪を切りたがるのは己の背中に傷を作ることが理由ではなく、切りっぱなしでは何かの拍子に欠けたりしてしまう事があるからだという。
「え、と。やっぱりこの場合、僕はごめんって謝るべき?」
「いやいや、元を正せばしがみつかせる事をしてる俺のせいとも言えなくねえし。
なんでアンタの爪の手入れは全部俺に任せて下せえや」
「……う、うん……」
内容の割には胡散臭いまでに爽やか過ぎる日織の笑顔に気後れしつつ、それでも和はきちんと頷いた。
…日織が和の世話を焼きすぎるのか、和が日織の好きにさせすぎているのか、さてはてどっち?
【爪切り・完】