今日も今日とて雨は止まず。
閉じ込められた館で、打ち付ける雨の音と姿なき殺人者の凶行が、互いを疑わせ恐怖が恐怖を生みだし、そうしてじわりじわりと皆の精神を蝕んで行く、そんな中。
でも、たった一人。
人一倍恐怖を感じながら、それ以上の懸命さでもって三つ目からの凶行を阻止し続ける、酷く童顔な珍入者は。
「…こ、今夜は、暗石さん、だと、思うんです」
そう言って、到底信じきれぬ推理でもって忠告をしてきただけでなく、当の暗石にも気付かれないようにと、寝静まった中わざわざ護衛に出向いて来たから。
「…ったく、余計な気遣いしやがって。そんなところに居て、代わりにお前が殺されたら俺の目覚めが悪いだろうが」
そう言いながらも、正直猜疑心よりも信頼が勝ったことに安堵を覚えた自分に苦笑しつつ、引きずり込むように部屋の中に和を招き入れて。
「いいいいいらないです止めてお願いですから止めて怖い話はヤだーッ!」
退屈凌ぎと、ちょっとした腹いせ代わりに自慢の怪談話を聞かせてやれば。
和の(それはそれは)見事な恐れ慄きっぷりに、暗石の中で僅かに残っていた猜疑心の欠片まで霧霰した。
「うう、殺人も怖いけど、暗石さんの怪談話も怖い…」
「怖いって半泣きになっても、お前はこの部屋を出て行かないんだな」
「え、だって僕暗石さんを守りにきたわけですし。…も、もしかしてやっぱり迷惑だったんじゃ…」
「待て、そうじゃねえよ」
やっぱり外で見張っていますと腰を上げようとした和を、暗石はちょいちょいっと指先の仕草で招いて。
「なんですか?」
暗石に対しては警戒心の欠片もないのか、はたまた疑う余地もないほどに信頼しきっているのか、新たな殺人を警戒し、館内を隈無く調べ回っているにも関わらず、和はドアに向かわず招かれるままに暗石へと近付いた。
「うわっ!」
すると暗石は無防備な和の手を掴み己の方へ引き寄せ、そして倒れ込んできた細い身体を自分の胸で抱き止めるように受け入れて。
「なななななんですかッ?!」
「………」
「あ、の?」
そのまま何も言わず、間近にある和の頭をそっと静かに撫で始めた。
「痛まねえか」
「え?」
「殴られた頭だ。…まだ瘤になったままみてえだな」
「……」
迷い込んだその日に殴られた頭を気遣われているのだと気付くも、和は突然過ぎてただ為すがまま頭を撫でられている。
「……」
「……」
しかし連日の緊張と寝不足が祟っていたのか、そのまま頭を撫で続けられ引き寄せられて、必然胸に頭を押し付ける形に密着した状態で耳に伝わる鼓動に次第に和の瞼が重くなり始める。
「…なんだ、眠いのか」
「ぅ、え?」
それでも必死に暗石にもたれかかるまいとしていた和の体から次第に力が抜け始め、程なくして沈みかける意識に抗いがたくなってきたところで、暗石は和の限界に気が付いたらしい。
「…う…すみません…何をしに来たのかわかんないですよね…」
「謝るな。…お前は何も悪くねえだろう」
「でも」
「……いいから謝るなって言ってんだろうが」
もぞりと身じろぐ身体をより一層引き寄せれば、成人男性としてはあまりのも細いそれに改めて気付かされて暗石の眉間の皺が深くなる。
「護衛とかそういう意味では確かに頼りないのは否定できねえが。それでもお前は、お前だけは犯人じゃねえと判ったからな。少なくともこうして一緒にいる分には危険は減るだろうよ」
生を受けてから自分の半分も経っていないこの子供の細い肩に、館に集められた人間全ての命が預けられ。
重すぎるそれに潰されそうになりながらも、人を疑うよりもまず信じ護りたいのだと、その直向さが居た堪れなくなる程に愛(かな)しくて。
「くらいしさん…」
なのにどうしてやることも出来ないからこそ、せめてもの想いで信頼すると伝えれば、和はそれが何より嬉しいと破顔する。
「くくっ、久しぶりにいい気分だ」
「わ…?!」
寝不足と疲労にお世辞にもいいとは言い難い顔色でも、その和の笑顔に暗石の緊張も解されて。
睡魔と闘う和のそれが移ってきたのか、久しぶりに暗石も眠気を覚え、それがおかしくて込み上げる笑みを隠さず和ごとベッドに倒れこんだ。
「くらいし、さん?!」
「どうせだからこのまま一緒に眠れ。大人の男二人が一つのベッドじゃ狭いが、お前は細いし何とかなる」
「で、でも」
「いいからおとなしくしろ。…それにお前が守ろうとしてるのは、俺だけじゃねえだろう?」
「………」
護衛に来た意味がないと身を起こそうとする和に、暗石はあえてまだ終わりではないと告げ、だからこそ今夜くらいは眠るべきだと諭して再度和を引き寄せてベッドの上に横たわる。
「……いいんです、か?」
「ガキが変に遠慮するんじゃねえよ。…俺が言った事が納得できなくとも、その意味が判ったんなら眠れ」
「ありがとうございます……」
それでも何処か遠慮して離れようとするのを腕の力で押さえ込み、それに観念したのか呟くように確認を取ってくる和に駄目押しのように言い切って。
あとは完全に和の身体から力が抜けて寝息を立て始めるまで、暗石は何も言わず静かに頭を撫で続けた。
ぴたりと寄り添うその温かさが、恐怖に蝕まれていた大切な感情を呼び戻して。
その僅かな変化が、疎ましく聞こえていた雨音を心地よい音に変える。
「………感謝してんだよ、これでもな」
そんな暗石の和に伝えるつもりのない囁きは、部屋に響く睡眠を誘う雨音に掻き消えた。
【胸にしなだれかかる・完】