大まかに言うと、三笠尉之の機嫌が良い時は少ない。
…否。
正確に言うと、三笠尉之の機嫌が良いように見える時は少ない。
それを指摘すれば本人はさも心外だと言いたげに眉間を寄せて見せるが、彼を知る者からすれば、それはほぼ間違いのない事実。
「…何故見つからん」
本来の眼光の鋭さに加え、お世辞にも愛想が良いとは言い難い難儀な性格、そして人を試すような口調。
加えて少々(少々?)人の話を聞かない節もあるせいで、元から巻き込まれ流され体質な一柳和が、欧州旅行の一件の後なし崩しで彼の勤める探偵事務所にアルバイトとして借り出されるようになって暫くしてのこと。
「お帰りなさ」
「一柳くん。何故チーちゃんは見つからんのだ」
「…………い」
仕事…というよりも明らかに趣味で請け負っている猫探しの成果が得られないらしく、三笠が何時もの渋面を更に深くして事務所に戻ってきた。
が、その途端に出迎えの言葉を遮りいきなり詰め寄ってきたものだから、和としては反射的に腰が引けてしまうのは無理もない。
ところが和がアルバイトとして働き出した期間こそ短いのに、ほぼ毎日のように繰り返されるこのやり取りに他の仲間が取り立てて反応を示すことはなく。
あまつさえ巻き込まれてはたまらないといった雰囲気を隠しもせず、皆後は宜しくと言わんばかりに和に声をかけ外に出て行ってしまう。
「………すまん。お前に言っても仕方がないことだった」
他に助けを得られなくなった和がどうにも出来ず硬直していると、それが自分のせいであると気付いた三笠は舌打ちと共に離れ自分の席に戻るのだが。
そのまま着ていた上着を無雑作に放り出せば、何時もはあたふたとした動きながらそれを拾いハンガーにかけようとする和が、何故かこちらを見たまま惚けっとした様子で立ち尽くしていた。
「なんだ」
「え」
「え、じゃない。人を見て何を惚けっとしているんだと聞いている」
睨みつけるように三笠が問いかければ、和は惚けていた自覚がないのかきょとんと首を傾げるだけで。
ただ素直になんだろうと自分の行動を思い返して…直ぐにその理由に思い当たる。
「袖を」
「袖?」
「いつも思ってたんですけど。シャツの袖を捲くってる三笠さんって、恰好いいなと思って」
「………っ!?」
何の含みもなく、勿論特別な意味などもなく。
和が三笠の行動を目にして感じたことをそのまま伝えれば、当の三笠は明らか様に驚いた様子で両目を見開き言葉を失った。
「お前は…」
「はい?」
「………いや、なんでもない」
「?」
特別な意味はないからこそ照れくさい事を平然と言ってのける和に対し、言われた三笠はその意味を捉えかねて言葉を上手く紡げない。
「…その、何だ。あまりじろじろ見るな。気が散る」
「あ、そうですよねごめんなさい!」
「………」
事務所に戻り己の席につくといつもの癖で袖を捲くっていた三笠は、その行動が和の関心を惹いていたということに思わず悪態をついてしまうが、本音を言えば全くそんなことはなく。
叱られたと思い慌てて謝ると、そのまま手にした三笠の上着をハンガーにかけようとしていた和の腕を掴んで引き止め、怒っている訳ではないと弁解する代わりにただぐしぐしと乱暴な手付きで頭を撫でる。
「一柳くん」
「はい」
「チーちゃんなんだが、一度探したところを再度探しなおしてみようと思う。一息ついたら一緒に来てくれ」
「はい。判りました」
それにほっとして肩の力を抜く和に対し、三笠は相変わらずの仏頂面だったが。
「……あ、三笠の機嫌が直ってる」
「やっぱり一柳くんに任せて正解だったな」
そろりと中の様子を伺うように戻ってきた同僚からすれば、明らかに三笠の機嫌が持ち直しているのが伺えた。
三笠尉之の機嫌が良いように見える時は少ないけれど。
表情はそのままでも、最近では機嫌が良くなる時には必ず猫か一柳和が絡んでいるのだということは、少なくとも探偵事務所の中では暗黙の了解。
…君が居てくれないとここの平穏はありえないと事務所の面々に泣きつかれ、断りきれず和がそのまま籍を置くことになるのもそう遠くない未来。
【Yシャツの袖をまくる・完】