たった一つの(アルとティーロ(+和))





それは、たった一つの名前。
傍らにあることが、当たり前のそれ。





「伯爵。そろそろお休みになられた方がよろしいのでは」

アルノルトが先ほど退出した和と歓談中、飲み物を用意する時以外は隣室に控えていたディートリヒがそう声をかけたところで、アルノルトは漸く夜も遅いことに気が付いた。

「…ああ、そうだね」

しかしそのアルノルトは何か考え込んだ様子で生返事を返すだけで、自室に戻る気配を見せる事はなかった。

「伯爵?」
「うーん…」
「我が君?」
「さすが日織があれだけ手放しで褒めるだけあるよね…」

主の様子が気になったディートリヒが気遣わしげに声をかけてみるも、アルノルトは反応を示すことはなく。
傍らにしゃがみこみ声をかけるディートリヒに、主文の抜けた呟きも洩らすだけ。

「ねえディーター」
「はい」

しかしどうしたものかとディートヒリが逡巡する間もなく、アルノルトはくるっと向きを変えて視線を合わせ。

「和はすごいよ」
「………すごい、とは」
「凄いんだ。だって和はね、直ぐに気付いたんだよ」
「…………」

またしても主文のない、しかし今度は滅多に聞くことの出来ない純粋な感嘆の色に染まった呟きを洩らした。

「一柳様は一体何にお気づきになられたのですか?」

だがそこは長年アルノルトに使えている事は伊達ではないディートリヒのこと。
己の主人が何を言いたいのか、というよりも、自分をも感嘆させたいがための言い回しであることを直ぐに汲み取り。
それ故に続きを求めれば、アルノルトはまるで褒められた子供のように綺麗に微笑んだ。

「ディーター」
「はい」
「ディーター、だよ」
「…はい?」
「だから、【ディーター】なんだ」
「………?」

ただ名前を連呼されただけで意味が通じていないのか、ディートリヒの癖である右手を軽く顎に当てて考え込む仕草にアルノルトはくすくすと笑い。

「皆、ディーターが訂正しないと直さないのに」
「……ああ、私の名前、ですか」
「そうだよ」
「成る程…それは流石ですね」

そこまで言ったところで漸くアルノルトの言いたいことが理解できたディートリヒは、理解出来たと同時に感嘆しアルノルトが思ったとおりの反応を示した。

「さっきね、話をしながら何気なく『何時までも【執事】じゃなく【ディーター】って呼んでいいんだよ』って言ったら、和は『それはアルだけが呼んでいい名前な気がするから遠慮する』って言ったんだ。
本人は【執事さん】が一番呼びやすいからなんて言ってるけど、それでも僕がいいと言ったのにそんな断り方をしたのって和くらいだよ」
「そうですね…皆伯爵からそう許しを得、しかし実際そう呼んだところで結局私が【ティーロ】と御呼び下さいと敢えて訂正している訳ですから。
唯一日織様が違う答え方をしていらしゃいますが、あの方はどちらかと言えば最初から答えを求めておられましたし」
「うん。日織は最初から何て呼べばいいのかをディーターに聞いてたしね。
まさかあれに『いや、呼び方はもうティーロさんに聞いてるんで』って言われるとは思わなかったなあ」

声は残念そうでも、その言葉を紡ぐアルノルトの表情はとても嬉しそうで。
許してもいないのにディートリヒをアルノルトと同じように【ディーター】と呼んでいたなら、きっと心の底から歓迎してやることなど出来ないと、そう思われていたことなど気付きもしないだろうけれど。



「……ねえ、ディーター」
「はい」



和と逢って話をして、そして彼の人となりに紛れもない好感を持ってしまえば、この城に招いた本当の理由の為に利用してしまったことに今更ながら罪悪感を感じる二人は。






「こんな状況じゃなく、ただの休暇の時に和を呼びたかったね」
「……はい、我が君」






引き返すことなど出来はしないのだと、それだけを確認しあうことしか出来なかった。








…たった一つの当たり前のそれが、数日後には消えてしまうことをこの時の二人は知る由もない。



【一つだけの・完】


いつもいつもありがとうございますの感謝の意を込めて、
ひよさんに捧げさせていただきますの奈落の城主従SSです。
…本当は掛け算にしたかったんですが、なかなかどうして
足し算にしか…つか奈落の城自体二次創作し辛かった…。
(否が応にも和さんが出てくるのは大目に見て下さい(汗))。
書き上げたら予想に反して主が黒くなりました。
…お礼なのに本当にこんなんで良かったんでしょうか…。
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