家族になった日




大学が休みのある日。

いつものように磯前さんの家を訪ねていた僕は、磯前さんと灯さんと3人で、最近見つけた美味しい甘味屋さんの話で盛り上がっていた。――とはいっても、磯前さんは黙って聞いているだけだけど。でも、口元が笑っているからきっと楽しんでるんだと思う。
最近ではこうして3人でいることが当たり前になってきた。いつの間にか、ふたりの間に僕がいることが当たり前になっているのが嬉しい。
僕は自分が笑っているのを感じながら、灯さんの入れてくれたお茶に手をのばした。
……うーん、美味しい。
喉を通るあたたかさをしみじみと感じていると、灯さんが「あら」と声を上げるのが聞こえた。何だろう?
「お父さん。ボタン、取れかけてるわよ」
「ん? ……ああ、そういやこの間から直そうと思って忘れてたな」
のんびりとした磯前さんの返答に、灯さんが呆れたようにため息をついた。
「いやだ、それでずっとほったらかし? ……もう、これだから男の一人暮らしは……」
「ほっとけ」
「ほっとけるならほっとくわよまったく。いいから、上着脱いで。繕ってあげるから」
灯さんは自分の鞄からソーイングセットを取り出しながら磯前さんを促したけど、磯前さんは軽く手を振っただけだった。
「別に構わん。あとで自分でやる」
「どうせ忘れるわよ。いいから脱いで」
「いいっていってるだろうが……しつこい奴だな」
「しつこくて結構。自分の父親がそんなみっともない格好でいるなんて嫌なのよ、私。さあ、さっさと脱いで」
「めんどくせえ」
「あのね……!」
……ふたりの口喧嘩を眺めながら、これはもしかしたらチャンスかもしれない、と思った。
今日ここを訪ねたのは、磯前さんに会いたかったからだけじゃない。実はもうひとつ、大事な目的があったんだ。
僕はこほん、とひとつ咳払いをして――

「……あのー」

『ん?』

おそるおそる声をかけると、ふたりが同時に振り向いた。
……口喧嘩のテンポもそうだけど、変なところ息が合うふたりだなぁと何だか感心しつつ、僕は言葉を続けた。
「あの、僕、やってみたいんですけど」
「やってみたいって、何をだよ」
磯前さんの問いに、僕は迷わずボタンを指差した。
「ボタンつけです」
灯さんがきょとん、とした表情で僕を見る。
「……ボタンつけしたいの? 和さん」
「うん」
こっくり頷いてみせる。
「最近、自分で自分のボタンぐらいはつけられるようになりたいなぁと思っててひとりで修行中なんだけど、教えてくれる人がいないからなかなか上手くならなくて。灯さんなら上手そうだから、教えてもらおうと思ってたんだ。でもなかなか言い出すきっかけが掴めなくて――」
「それで、ちょうどいい機会だと思ったわけね」
「そう」
もう一度頷いて、それから磯前さんに向き直った。――磯前さんは苦笑を浮かべて僕を見ている。
「あの、頑張りますから。僕にやらせてもらえませんか?」
頭を下げると、すぐに髪をかき混ぜられた。……くすぐったい。
「馬鹿、頭下げるようなことか」
「いやでも僕、ほんっとに不器用ですし……。もしかしたらボタンが崩壊するかも」
「崩壊ってお前な。……ま、構わねえよ。ボタンのひとつくらい」
ぽんぽん、と優しく頭を叩かれ、誘われるように顔を上げてみた。
見上げた視線の先では、磯前さんが柔らかく微笑んでいる。その優しい眼差しに、何だか顔が熱くなって、僕は思わずまた頭を下げていた。
「――ま、頑張れ」
「は、はい」
俯いたまま答える。な、何か恥ずかしいな……。
「あら、私の時とは随分態度が違うのね、お父さん?」
「……うるさいぞ」
そんな言葉のあと、衣擦れの音が聞こえた。磯前さんが上着を脱いでくれたらしい。
「ほら、和」
「あ、はい」
手渡された上着をしっかりと受け取る。当たり前だけど、あたたかくて磯前さんの匂いがした。
「はい、和さん」
次いで針と糸を渡される。
念のため、僕は眼鏡をかけ直した。
「ボタンつけるのなんて簡単よ。まずここに針を通して……」

――灯さんの指導を頼りに、丁寧に一針一針縫っていく。

灯さんの言うとおり、ボタンつけの作業はそんなに複雑ではなく、何とかボタンは崩壊せずにすみそうだった。
やっぱり実践の方が身に付くなぁ……。
――そんなことを思いながら、ボタンがしっかりとついたことを確認して、僕は糸を切った。
「……うん、いいと思うわ」
仕上がりを見て、灯さんが満足げなため息をついた。
「何よ和さん、上手じゃない」
「ううん、灯さんの教え方が上手なんだよ」
「やだ、もう。褒めても何も出ないわよ」
ばしばし、と肩を叩かれる。……照れ隠しかな?
可愛いなぁとほのぼのしながら、僕は磯前さんに上着を持って行った。
「……磯前さん、できました」
「おう」
頷いて、磯前さんは上着を受け取ると、僕がつけたボタンを査定するようにじっくりと見つめた。
「……どうですか?」
怖々尋ねると、磯前さんはふっと笑って、ぽん、と上着をひとつ叩いた。
「初めてにしちゃ上出来だ。ありがとよ、和」
「い、いえ!」
上手く行って良かった……と胸を撫で下ろしていると、灯さんが笑っているのに気付いた。
「何笑ってるの? 灯さん」
尋ねると、灯さんは磯前さんと僕を交互に見て、
「――何だか、新婚夫婦の会話みたいだなぁと思って」
イタズラっぽい笑みを浮かべて、そう言った。

「……し、新婚夫婦!?」

 驚いて、思わず妙な声が出てしまった。だけど灯さんはそんな僕の驚きなど気にもせず言葉を続ける。
「うふふ。どこの馬の骨とも分からない女だったら嫌だけど、和さんならいいわ、お父さんを任せても」
「え、あの」
「ふつつかな父ですけど、よろしくお願いします」
「え、こちらこそ、……って、え」
まさか、本気?
「……灯、冗談が過ぎるぞ」
磯前さんがやれやれ、といった感じでようやく口を挟んでくれた。けど、灯さんはやけに自信満々な表情で笑っている。
「冗談じゃないわよ? それに、お父さんだってまんざらでもないでしょ?」
「………………」
磯前さんは何も言わなかった。
灯さんは、続いて僕に視線を向けた。……さっきまでの口調とは裏腹に、灯さんがとても真剣な目をしていることに気付く。
「……私最近、お父さんと和さんと3人でいることがすごく楽しいのよ。何だか、家族みたいだな、って思う時もあったりして。だから、それがずっと当たり前になったらいいなって思うの」
「……灯さん……」
灯さんも、僕と同じようなことを思っていたのか……。
――僕も、こんな楽しい毎日が当たり前になればいいって思ってた。
「だから、ね、和さん。……新婚夫婦がどうとかっていうのは、まあ冗談としても、ちょっと本気で考えてみてくれない? ここで、お父さんと一緒に住むってこと」
「……でも」
僕は言葉につまった。
灯さんの真剣な気持ちは分かった。でも、磯前さんは? 磯前さんはさっき、何も言わなかった。それって、僕がここに住むのは反対ってことじゃないのかな……。
思わず磯前さんに視線を向ける。――磯前さんも僕を見ていた。
「……あの、磯前さん」
「……俺も、灯と同じ気持ちだって言ったら、お前は笑うか」
「え……」
磯前さんはつい、と視線をそらすと、煙草に手をのばした。
「……こんなこと言う資格ねえってことは、まあ分かってるつもりだ。それでも――お前が嫌じゃなけりゃ、一緒にいて欲しいと思ってる」
「磯前さん……」
――まっすぐな言葉に、何だか胸が痛くなった。
磯前さんは煙草の煙を吐き出しながら、もう一度僕を見据えた。
「逃げるなら、今だぞ。一度手に入っちまったらもう手放す気はねえからな。だから、逃げるなら今だ、和」
そう言う磯前さんの表情は、おどろくほど真剣だった。
きっとすごく――悩んでくれていたんだろう。


――でも、僕の答えはもう決まっていた。


「逃げたりなんかしません」
言ってから、僕はにっこりと笑ってみせた。
「だって僕も、磯前さんと灯さんと同じ気持ちなんですから」
そう。ずっと、もうずっと前から思っていたことだ。磯前さんと、灯さんとずっと一緒にいたい。家族になりたいって。
――だから。
「僕を、ふたりの家族にして下さい」


――その時のふたりの表情を、僕は一生忘れないだろう。





その後。
僕は今まで一人暮らしをしていたアパートを引き払って、磯前家へ移り住んだ。
たまに喧嘩したりもするけど、それだってすごく楽しい。
新しくできた家族と一緒に、僕は幸せな毎日を送っている。

――ちなみに、僕はボタンをつけるのがとても上手くなったことを追記しておく。




藤花さまより、またしもて悶え死にそうな素敵磯×和SSを頂きました!
…拝見した瞬間無言でPCの机をばしばし叩きました。素敵過ぎます…。
更に灯さんがまた素敵でどうにもこうにも。色んな意味で彼女が羨ましい。
磯×和って、娘さんにも祝福されてナンボだと思っているので、こんな
三人して幸せなSSは理想の極地です。←滅茶苦茶見習いたい。
(それに比べてうちのおっさんは…ちったあ枯れろとマジ突っ込みが必要)。
藤花さま、本っっっっ当にありがとうございました!!
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