「動けねえ…」
自然と物事を順序だてて効率良く行う術を身につけていた高遠日織の、朝目が覚めて開口一番がこれだった。
「いや、動こうと思えば動けますが、これは、ねえ」
誰に聞かせる訳でなく、自分ひとりの呟きなのは分かっていても、苦笑とともに口から零れてしまうのは止められなくて。
冷静に考えれば後々のリスクの方が高いのに、目覚めた時、いやそれ以前から得ていただろう幸福に日織は床を離れることが出来ない。
「さて、どうしやしょうか…」
己の腕と胸にかかる温かさと重さに眦を下げつつ、それでも今日の予定を考えると、自分はもう床を離れて行動に移らなければならないのに。
それでも、分かっていても動き難い、その訳は。
「アンタら、寝てるうちにこんな可愛いコトをしねえで下せえよ」
日織の布団に潜り込み、その上右の腕を枕代わりに奪取して安らかな寝息を立てている和と、さらにその隙間に潜り込んで同じように熟睡している飼い猫の存在。
一人と一匹の寝顔があまりにも無防備な上幸せそうで、起きなければと思いはしても、どうしても日織は自分の腕を動かすことが出来ないのだ。
「そういや夕べちょいと肌寒かったからなあ…」
夜、床に入ったのは同じ時間なのだから、和が最初自分の隣に敷いた布団に寝ていたのは間違いない。
だが夜更けか明け方か、日織自身も何となく肌寒さを感じてうっすらと意識が戻りかけたのを覚えていて、それに程なくして正反対な心地よい温もりを感じたような、そんな記憶もあるのだが。
「……あのまま寝ちまったのは、アンタが俺の布団に潜り込んできてたからなんですねえ」
その温もりの正体は、こうして自分の腕を枕に奪い熟睡している和本人。
日織が感じたように和もまた肌寒さを覚えたらしく、温もりを求めて自分の布団を転がっているうちにこちら側へと辿り着き、そして今の状態に至る…のを、布団の乱れが教えてくれた。
そう、和が選んだのは日織を起して毛布を強請ることでなく、隣の布団へ潜りこむこと。
無意識下だからこそこうも密着してきた和を、これまた無意識下で受け入れ抱き寄せていた自分の行動に思うことは唯一つ。
「勿体無ねえなあ」
あの館で出会って以降、時間が合えば頻繁にこの家を訪れるようになった和は、こうして日織の隣に布団を並べ泊まってゆくまでにはなってはいても。
友情よりは近すぎて、けれど恋人と呼ぶにはまだ距離がある、自分達の関係がそんな微妙なものだからこそ、こうして和がなんの臆面もなく甘えてくることは貴重なのに。
「起すなんて野暮な真似、出来ませんや」
今日の予定がどんなものであれ、今のこの至福を手放してまでのものはないと、そう日織は早々に判断して。
未だ目覚める気配のない腕の中の温もりにそっと顔を近づけ寝息を確かめると、くすりと小さく笑みを浮かべてそのまま瞼を閉じた。
心地よい温もりに守られて十分な睡眠を満喫した和が目を覚ますのは、太陽が真上に行きかけた日織が当初予定していた時間よりも大幅に過ぎた頃。
…目覚めた時、息も触れ合う距離に日織の端整な寝顔があることに、和が驚愕のあまり驚愕に叫んでしまうのは無理もなく。
自分が何をやったのか把握し切れていないものの、それでも騒々しさを嫌い不機嫌そうに猫が逃げ出したことへ律儀に謝りながら大慌てで離れようとする和を、日織は左手で捕まえ赤く染まった耳元へ挨拶以外の言葉を囁いたから。
和は日織に抱き締められたまま、今この状態を把握するよりもまず、先ほど囁かれた言葉を理解しようと寝起きの頭で必死になって考えようとしたのだけれど。
自分の身体を捉え抱き締めこれでもかと撫でてくる左腕とは対称的に、自分の下に伸ばしたまま一向に動かす気配のない右腕の様子に、何があったのかを敏い和が気付かぬ筈もなく。
「ひおりの、ばか!!」
囁かれた言葉へ答えを返すより先に、どうして右腕が痺れ動かなくなる前に自分を起して腕を引き抜かなかったのかと、目一杯の怒声でもって日織を叱り付ける事となる。
……折角の告白に照れる以前に、痺れて動かない腕に怒ってしまった可愛い想い人を宥める青年の「どうにもすんなりと甘い恋人関係には進めないらしい」とはその胸のうち。
【告白・完】