観客は、幾数多。
しかもその観客に、決して見抜かれてはならない芝居。
それが、役者達の暗黙の了解。
「皆に会いたいって思うのは、僕のわがままかな…」
あの夏の日以来、命の恩人といって語弊のない一柳和とこまめに文を交し、他者より一層親睦を含めていた高遠日織がそんな彼の呟きを聞き逃すはずもなく。
「和さんがそう思ってる以上に、向こうの方がアンタに会いたがってますからね。和さんが声をかけりゃ、皆無理に時間を作ってでも会いに来まさぁ」
「え?」
「何驚いてんです」
相変わらずまるで自分の価値を分かっていない和に苦笑いを浮かべ、日織は「俺は和さんにこんな嘘はつきません」と、やんわりと否定して微笑んでみせる。
「会いたいなら、遠慮なんかしねえで皆さんに直接言って下せえよ。 …全員、本当に待ってますぜ?」
「うん…そう、かな。そうだといいな」
えへへ、と照れ臭そうに笑う和は、日織の言葉の真の意味に気付く事もなく、ただその通りに捉えている。
「日織にそう言ってもらえるなら、大丈夫かなって思えるよ」
「和さん?」
「んーと…。あの後さ、事件についてワイドショーなんかに頻繁に引っ張り出された忠彦さんを筆頭に、皆色々大変そうだったし。それにあやめちゃん達は、なんだか急にずいぶん有名になっちゃったろ?
だから手紙やメールは頻繁にもらえても、僕が皆と会いたいなんて我儘は言えないな、って思ってたから…」
「……」
月並みな例えだが、テレビや雑誌で話題になる彼等はあくまでも【芸能人】なのだと、自分とは違う世界の住人なのだと、和は知らずそう思い知らされていたのだ。
だが。本当は。
あの事件の直後、和を除く全員の間で交された約束があることを、この酷く怖がりな名探偵が知るはずもなく。
『坊主の存在をマスコミから隠せ』
全員が漠然とだけ思っていたことを、きちんとした形にしたのは年長者である磯前の言葉。
館で起きた事は、非日常を好み他人の痛みを娯楽のように求める、無躾で無遠慮なマスコミの格好の話題になることは明白で、常に話題を求めるマスコミが放っておくはずもなく。
好奇の目に晒される事が明白でも、事務所という盾がある自分達と異なり、和だけはここを出れば一番危うい存在になってしまうからこそ。
『俺達はあの坊主に命を救われた。なら、今度は俺達の番だろう。坊主を守るぞ』
救助が来たのと同時に、マスコミが事件性を嗅ぎ付けやってきた事に気付いた磯前が、館へ取りに戻った荷物をそれぞれへ渡す際にこれから自分達が何をすべきか説いて回れば、彼等から返ってきたのは全て同意の言葉。
『面倒臭い場所は俺が引き受ける。若い連中はボロが出そうだからな』
野次馬やマスコミは年長者として磯前が引き受け、和と同年代であるあやめや成瀬には、適当な理由をつけて一切取材には応じるなと説いて回り。
『代わりに嬢ちゃんたちは、役者としての力で話題をかっ拐え。事件のせいで注目されているうちに、自分達の演技の方を世間に認めさせてやれ。
最初は嫌でも事件と帽子屋の名前が邪魔をするかも知れんが、そんなものを忘れさせるくらいに、役者として名前を知らしめろ』
自分達にも和を守るために何かすると抗議の声をあげれば、磯前はにやりと笑って「出来ないとは言わせねえからな」と、挑発するようにそう言って黙らせた。
『筋肉、お前はこの際だから正体を明かせ。マスコミが好む話題性で言えば、見知らぬあやふやな存在なんかよりも帽子屋の正体の方が遥かに高い。坊主の存在を誤魔化すには一番いいだろう』
代わりに光谷が実は【帽子屋】であるという話題を与え、余計な詮索をされないように伏線を張ることも忘れない。
そんな風にひとりひとり、己の力で成し得る形で。
それぞれどんな難しいものであっても、磯前がはっきりと形づけた分全員がそれは自信へと繋がると笑って話に乗った。
ずっとずっと、やがて雨格子の館で起きた惨劇が話題としては風化してしまっても、それを決して忘れることなど出来ないたった一人の観客がある限り。
自分達は永遠に題目のない芝居を演じ続けるのだと、雨格子の館の前でそう誓いあった。
…ただし【日織】と言う名の役者を除いては。
「好きですよ、和さん」
「ぅ…え、お…あッ?!」
「…何珍妙な声出してんです」
「いいいい、いきなり、変なこというからだろッ!」
「恋人に好きだと囁くのは変なことですかい。全くつれねえなあ、和さんは…」
「つ、つれない、とかじゃなく!まだ慣れないから恥ずかしいんだよ!!」
「おや、照れてるだけでしたか。そいつぁ失礼」
「真昼間から耳元で囁くなってば!!」
「じゃあ夜なら、気の済むまで囁いても構わねえんで?」
「そういうことじゃなく…」
「ぷっ」
「……って、人の反応見て面白がるなーッ!!」
茶化す声音とは裏腹に、好きだと囁いたときに酷く真面目な面持ちだった日織が手に入れたのは、信頼以上の大切なもの。
日織以外得ることの望めなかった、和のたった一つの特別な感情。
『着流し、お前だけは何もするな。いや、『そのまま』のお前にしか出来ねえ守り方があるだろ。まあ…玉砕覚悟でなきゃ出来ない方法だがなあ』
意地の悪い笑みを浮かべながらそう言う磯前の言葉通り、本当に玉砕覚悟だったが。
それを乗り越えた日織だからこそ、彼以外成し得ない、他の誰にも出来ない立場で。
磯前達のように【役者】としてではなく、只の【高遠日織】一個人にしか出来ない方法で和を守り続けている。
好きでもないワイドショーに出演しては、何度も説明していた磯前も。
僻みに近いやっかみを受けながらも、それを跳ね返す勢いで役者をしての力を示し始めた成瀬たちも。
自分が帽子屋であることをあっさりと世間に告白した光谷も。
全ては和を守るために、役者としてそれぞれが出来る立場で和の盾となりその存在を隠し通す。
それぞれが、それぞれの方法で。
自分達の命を救ってくれた存在を守り続けるために、日織以外の役者達は幾数多の【世間の目】を相手に大芝居を打ち続ける。
「全部、アンタの為にですよ」
…それらは全て、守るべき存在のために。
【終わりのない舞台・完】