『愛しいお題5より なまえよびたい(名前呼びたい)』(ティーロ×和)
その方は、我が君の、決して多くはない心許せるご友人である日織様の大切なご友人。
我が君の心痛を取り除くべく、勝手を知りつつ招きよせてしまった噂の名探偵。
「あの、執事さん」
「はい、何かご用でしょうか?」
「ええと、ちょっと…」
日織様への信頼がそのまま私達への信頼へも繋がっているらしく、控えめに、けれど向けられる眼差しに疑いの色など見られなくて。
「時間、大丈夫ですか?お仕事の邪魔になりませんか?」
使用人でしかない私にそのような気遣いは不要ですといいかけて、その言い方ではこの方はきっと却って遠慮してしまうと思い当たった私は、たった一言「大丈夫です」とだけ答えた。
「お茶をどうぞ」
「………」
「一柳様?」
「……え、あ……、はい、ありがとうございます!」
ソファに腰を下ろしたままぼんやりと遠くを見つめているこの方が、たった数日で目に見えて憔悴しているのがわかるのに、そして私にはその原因を取り除くことが出来るのに。
…我が君のために、それについて私は決して自ら口を開くことはない。
「お疲れなのではありませんか?」
私が出来るのは、こうして何も知らぬ振りをして気遣うだけ。
「僕は、大丈夫です。…参ってなんか、いられないんです」
「一柳様」
「いくら身体がきつくても、何もしないよりはずっといいんです。それにじっとしてても、日織は見つけられないから…」
弱々しく微笑みながら紅茶を口に運ぶこの方が、いずれ知ってしまうであろうこの城に招かれた本当の理由を知った時、この方は私達に何というのだろう。
強く憤激するのだろうか。
悲嘆に暮れて拒絶するのだろうか。
それとも厳しく糾弾するのだろうか。
…そこまで考えて、どれも当てはまりそうにないと私は一人心の中で首を振る。
「僕よりも、執事さんの方が大変なんじゃないですか?」
「はい?」
「だって、執事さんは朝早くから夜遅くまで色々と仕事があるじゃないですか。アルだけじゃなく、僕らの食事まで作ってくれているし。それに今だって、僕に付き合ってもらって…」
「一柳様、それは」
私は私の為すべきことをしているに過ぎないというのに。ましてやこの方がいらぬ心労で押しつぶされそうになっている、その原因を担っている一人なのに。
それを説明出来ないことが、こんなにも酷く辛い。
「執事さんがこれ以上大変な事にならないように、僕、頑張りますから」
「………」
そう言って私に見せた、力なく弱々しい微笑みは。
我が君に対するものとはまるで違うとしか例えようのない、己で理解しきれない強い想いが湧き上がる自分を自覚させる。
「…執事さん?」
不安げに私を見上げてくるその大きな瞳に吸い寄せられるように、私は無意識下に彼の側に膝をつき。
そのまま何の前置もなく手を取り恭しく唇を落とす。
「一柳様」
「…は、はいっ?!」
「お許しいただけますか」
「許すって…何をですか?」
困惑に顔を赤らめてはいるものの、私の手を振り払うことなどせず。
ただどうしたら良いのか判らないといったそのもので私を見つめ返してくる。
私は貴方に許されない嘘を吐いています。
貴方を騙しているのです。
そう吐露してしまいたくなる自分を叱咤して、私は新たな代わりの嘘ではなく自分の願いを口にする。
「お名前でお呼びしてもよろしいでしょうか?」
一柳様ではなく和様と。私がそうお呼びすることをお許しいただけますか。
こうして二人きりの時だけで構わない。自分勝手と思われてもそれでも。
…私は貴方を名前でお呼びしたいと、そう強く望んでしまったのです。
【なまえよびたい・完】