自分のことはとことん鈍いが人の感情の機微には敏い一柳和は、自分の膝に乗る柔らかな温かさを満喫しながら、先程からずっと落ち着かなかった。
「……」
落ち着かない原因は、和の目の前に居る男のせいであることは間違いなくて。
その男はなし崩しで勤めることになってしまった探偵事務所の先輩探偵で、今ではそれ以上の深い仲というかつまりは世間で言う恋人関係にある三笠尉之といい、先程から何やら険しい表情で考え込んでいるからだ。
しかも考え込んでいるだけならまだしも、何故か時折和を見ては更に眉間の皺を深くして、そしてまた視線を逸らしては考え込んで。
一体どうしたのかと声をかけようにもそんな雰囲気ではなく、しかし今本当ならばそんな表情になっているはずがないからこそ気になって。
…結局何も聞けず声をかけられず、和は自分の膝の上で上機嫌で喉を鳴らす生き物を撫でているしかなかった。
「……」
和の膝の上に乗っているのは、隣の部屋の住民から数日間預かって欲しいと頼まれた、成猫になる手前の若い三毛猫。
飼い主から人懐こいとは聞いていたが、それに輪をかけてもともと猫に好かれる体質である和にすぐ懐き、僅かな時間であっさりと警戒を解いて挙句膝で寝るようになってしまった。
一方の三笠といえば、預かるとなった時点で今日の仕事を熨斗をつける勢いで所長に押し付け、面倒を見る気十分で休みをもぎ取っていたというのに、何故か先程から険しい表情で何か考え込んでいるのだ。
「………」
そして猫といえばそんな三笠に近寄ろうとはせず、それどころかどうしたものかと困惑げな和にだけひたすら甘えて寛ぎまくっていた。
「………」
「……………」
「………」
「………………あふ」
だがずっと同じ状況であれば、いくら和といえどもいつまでも緊張感が持つわけはなく。
むしろ自分に非がなく三笠が別の理由で考え込んでいるのだと気づけば、猫から伝わる温かさや柔らかさに眠気を誘われ盛大にあくびをしてしまう。
「……………眠いのか」
「あ、すみません」
「……何故謝るんだ馬鹿者」
「え、えーと…なんとなく」
しかし、和があくびをしたため三笠が思考を中断されたためか、良好とは言い難い幾分低めのトーンで声をかけてきたことに、反射的に謝罪の言葉を口にして首をすくめてしまった。
「眠いなら眠ればいい。…その、猫も寝ているし」
「はあ…でも三笠さんはこの子を抱きたいんじゃないんですか?」
「………嫌がるかも知れんだろう」
けれど続く会話に三笠が険しい表情で考え込んでいた理由に思い当たり、素直でないくせに変に気遣いだけはしっかりしていて、あまつさえ可愛がりたい以上に嫌われたくない一心だったことが知れて。
一回り以上も年上の恋人につける形容詞ではないけれど、その真剣さが可愛いとそう思った和は何も言わずに猫を起こしてそっと立ち上がり、驚いて目を剥く三笠に改めて猫を抱いたまま近寄った。
「大丈夫ですよ。この子本当に人懐こいですから」
「うん、それはお前とこの子を見ていたらわかる」
「だったら」
「言っておくが、俺は別に抱くのを怖がっているわけじゃないぞ」
「…………」
そして和が猫を撫でてあげてくださいと言えば、三笠は全く躊躇なく撫でてくるのに抱こうとはしなくて。
その上別に聞いてもいない事を答えられ、さてどう返すべきかと和が逡巡していると。
「俺はただ、お前と猫を効率良く一緒に愛でるにはどうしたらいいのか考えていただけだ」
「……………」
などと、余計返答に困ることを平然と言ってのけた。
「………」
「何故そこで絶句するんだ」
「……ま、まさか、さっきからずっと考え込んでいた理由って、それ…?」
「そう言ってるじゃないか」
「…………」
そんなくだらないことを考えるのに、あんな怖い顔になってたんですか!?…という和の(危うく口に出そうになった)悲鳴はごもっとも。
「最初は俺が猫を抱いたお前に膝枕をしつつ、一緒に愛でればいいかと思ったが…どうせなら俺はお前に膝枕をするよりもされた方がいい」
「………」
「ならば猫を抱いたお前を俺が背後から抱きこんでみるのはどうかと思ったが、お前の表情が見えないのはいただけない」
「……………」
「そうでなければこう、横になるように腹を枕に…と思ったが、人間の頭というのは結構重くてな。短時間ならともかく流石に長時間は辛そうだと思った」
「……………………」
だが当の三笠といえば全く下らない事ではなく、むしろ真剣の考慮すべきことだと言いたげに(彼なりに)考え付いていたことを口にし出したから、和にしたら正直恥ずかしい以外のなんでもなくて。
「そして悩みに悩んだ結果がこれだ」
気を利かせて近寄るんじゃなかったと後悔しても時すでに遅く、三笠は自分に猫を押し付け離れようとした和ごと抱きしめ、そのままそばにあったクッションを枕に横になってしまった。
「うわ…!」
「大きな声を出すな。猫が嫌がるだろう」
「なななななな…」
「うん、丁度いい」
突然だったせいで横になるというよりは倒れこんだ和が上げた悲鳴に、猫が流石に少々嫌そうに泣き声を上げたために三笠が注意すればそれはすぐに治まるが。
丁度いいと満足げに呟かれたその体勢が俗に言う『腕枕』だったため、和は驚愕以上の羞恥により三笠の腕に頭を預け至近距離で顔を覗き込まれ固まってしまった。
「よし、悩んだ甲斐があったな」
と自信満々にそう宣言する三笠の表情といえば、和がぽかんとしてしまうくらい実に満足そうなのだが。
和の頭を乗せている方の手を折り曲げるようにして髪を撫で、空いたほうの手では二人の間に寝床を確保しようとしている猫を撫でているその様は、全く以って三笠が悩んだ結果の代物。
「この体勢だと、愛でるには丁度いいが写真は撮りにくいな。さてどうすべきか…」
これ以上ナニをする気ですかお願いですから勘弁してください!と、そう思うことは思った和だったけれど。
自分の頭を撫でてくれる手が優しくて気持ちが良くて、そして先程とはまた違う位置で感じる温かさに去った眠気が押し寄せてきて。
…とりあえず眠いし言うのは起きてからでいいかと、和はそんななんとも暢気な答えに落ち着き、そのまま三笠の腕に頭を預け猫と一緒に大人しく睡魔に身を委ねることにした。
それは猫と探偵と名探偵の、なんとも幸せな時間。
【幸せの時間・完】