日頃の不摂生の賜物か。
新年早々、安積は風邪に見舞われ寝込んでいた。
しかし、幸いというか何というか。
酷いのは風邪というよりも不摂生による免疫力の低下と激務による疲労の方で、十分な睡眠を取ると薬の効力も相まって2日程で回復していたが…。
「どうした」
「……」
事ある毎に(それはもう床に臥せる前から)甲斐甲斐しく安積の世話を焼く速水が作ってくれた食事を前に、どう反応すべきか迷いつい無言になっていた。
「本当にどうした。食わないのか。まさかまだ具合が悪いとか…」
「…いや…そういう訳じゃないんだが」
いつも以上に色々と面倒を見てもらったくせに、いざ回復すると相変わらず照れが先行してしまう安積は、速水が訝しげに額に手を伸ばそうとするのを慌ててて止めて否定するのだが。
お前、俺の風邪はもう大丈夫だろうと言ったよな、とか。
そろそろ食欲はあるかと聞いてきたよな、とか。
とにかく「治った」事を確認していたよな?と諸々の意味を込めてちらりと速水を窺うと、当の相手は箸を手に不思議そうな顔をしていた。
「安積?」
「そ…その、速水。これは何だ?」
「ん?」
これ、と言って安積が指差したのは、いつも使っているお椀より大きい、どちらかといえば小ぶりな丼のような器で。
その中には、基本的に細かな賽の目切りされた具材がコレでもかと盛られ、ほかほかの湯気を立てて一際存在感を露わに食卓に鎮座していた。
「ああ、これか。お前が粥に厭きたみたいだったからな。それならこれでいいかと思って用意してみた」
「何で粥じゃなく味噌汁になるんだと、そう聞いているんだが」
「お前、粥が良かったのか?」
「そうじゃなく…」
どうにも噛みあわない会話に、どう伝えるべきか思案しつついつもの癖で顎に手をやれば、そこで速水は安積が何を言いたいのか判ったらしい。
「おいハンチョウ、今日は何日だ?」
「…何?」
「カレンダーを見てみろよ。今日は七日だろう?」
「そうだったか…?」
速水促され、つられてカレンダーを見てみれば、床に臥せっている間に正月が明けていることは判った。
しかし安積にしてみれば、それがなんだ?と首をかしげるばかり。
「おいおい、本気で分かってないのか?」
「は…?」
「本当なら、一年の無病息災を願って1月7日には春の七草を使って作る七草粥を食うもんだろう。厄払いと健康を祈りつつ、今年も元気で過ごせますように…ってな。
だがお前さん、流石に粥に厭きているみたいだったし、七草粥の代わりに雪国の七草にしてみたってわけだ」
「……それで、これなのか」
「雪国じゃ春の七草なんて採れるわけがないからな。代わりにこういう具沢山な味噌汁を食べて冬を乗り切ったらしいぜ」
「………」
大根、人参、里芋、蒟蒻、芋がら、豆腐、油揚げ、そして納豆。
普通の味噌汁の比べ、手間といえばせいぜい納豆をすり潰す程度で、具は多いが作り方自体は簡単なんだとさらりと答えながら、軽めにご飯をよそい手渡してやるこの男は。
単純に粥に厭きたと答えただけでこんなものを用意する程、速水は安積の事となると本当に驚くほど甲斐甲斐しい。
ずいっと差し出された茶碗を反射的に受け取る安積は、自分が知っている納豆汁と比べ随分と具沢山な椀を前に、速水なりの心遣いに嬉しさよりもこそばゆさを感じ、礼を言わなければと思いながら照れも相まっていつもの仏頂面になってしまう。
「その、…」
「食えるならしっかり食えよ、安積」
「あ?ああ」
「お前の世話を焼くのは俺の特権だが、寝込まれるような病気を看病するのは、流石に堪える」
「…あ…」
胃にもたれるようなモノは作ってないからな、と、普段と違いどこかずれた気遣いを見せながら苦笑いを見せる速水に、安積はどれだけ心配をかけてしまったのかを理解した。
「……その。以後、気をつける」
「ああ、そうしてくれ」
結局口から零れたのは、礼とは程遠い言葉だったけれど。
それでもしっかりと頷く速水の顔は、苦笑いではなく、同意の中に珍しくも安堵を見せる笑み。
「お前さんの世話は、俺が好きでやってることだからな」
思わずその笑みに見惚れた安積に、速水は「迷惑をかけたという礼なんかよりも、その約束の方が何倍も嬉しい」と続けるものだから。
更に照れが来てしまった安積は、結局それ以上は何も言うことが出来ず。
それを誤魔化すように椀を持ち、初めて口にした七草の味噌汁の味に、ありきたりだと分かっていても素直に「美味いな」とごにょごにょと呟いて。
「胃が驚くからな。ゆっくり食えよ、ハンチョウ」
「わかってるっ」
速水がこちらを見つめているのがわかっていても、それを止めさせる理由も思いつかなくて、久々に口にする食事らしい食事を胃に収めることに集中するのだった。
【愛が満腹・完】