その日、安積係長は困っていました。
正確には、自分の机の下を丸い物体に占拠され、椅子に座っても机に向かうことが出来ず、結果書類が片付けられず困っていました。
「…いい加減に出てきなさい」
机の下を占拠されて仕事が出来ないという前代未聞の出来事に、大層困惑しているも。
その占拠している丸い物体…つまりは生きたぬいぐるみの神南くんたちの気持ちを慮ると、引きこもりたくなる気持ちも判らなくもないと(ついうっかり)同情してしまい、宥めすかして自主的に出てくるように呼びかけることしかできませんでした。
それに…。
「おいハンチョウ、やっぱりここは俺が、全員まとめてドライブにでも連れて行ってやろうか?」
「お前は黙ってろ」
それをずっとにやにやと人の悪い笑みを浮かべて眺めている速水ヘッドに対し、ぶつけようのない怒りを感じていたからです。
(出来もしないことを出来ると大法螺吹くもの大概にしろ。この子たちが本気にしたらどうするんだ)
(何言ってるんだ、俺はいつでも本気だぜ?)
(馬鹿なことを…)
(お前こそいい加減俺のことを素直に信じろよ。お前が望むなら火星でも土星でも、勿論月にだってドライブに連れて行ってやるとこれだけ言ってるのに?)
「そうやって人をからかいながら言う事が馬鹿だと言ってるんだ、この馬鹿が!」
喧嘩はよくないと、常々言って聞かせている手前。
机の下に潜り込んだ神南くんズたちに聴こえないように、安積係長は小声で速水ヘッドをしかりつけますが、当の相手は全く意に介した様子もなくて。
それどころか冗談としか思えない提案をしてくるものですから、そろそろ係長の我慢も限界に近づいていたせいで、ついうっかり声を荒らげて怒鳴りつけてしまいました。
---ハンチョウ、おこってるの?
---やっぱりほくら、わるいこだから?
---だから、おほしさまはおねがいきいてくれないの?
---おねがいきいてくれないから、あめをふらせちゃったの?
---それでハンチョウ、おこったの?
安積係長の怒声というのは、部下たちでさえ滅多に聞く機会がないせいもあって、耐性自体あまりないせいもあり。
机の下を占拠していた神南くんたちは、それが引き金となったのか一斉にぐずぐずと鼻をすすり始めます。
なんとか神南くんたちを宥めていた、係長の今までの努力は見事水泡に帰してしまいました。
---うわああああん、ハンチョウがおこったぁぁぁぁ!
---やっぱりぼくらわるいこなんだぁぁぁぁぁ!
「ち、違…っ…!」
---うわぁぁぁぁぁん!
---うぇぇぇぇぇぇん!
「あーあ、とうとう泣かせちまったなハンチョウ」
「半分はお前のせいだろう!」
刑事課一帯に響き渡る大音量の泣き声に狼狽えつつ、しっかりと速水ヘッドの耳をぎっときつく掴み厳しくお叱りになってから、安積係長は自分も机の下に潜り込みました。
「まったく…」
そして大号泣の神南くんたちをまとめて抱きかかえると、揃って渾身の力でしがみ付かれてよたついてしまい。
お陰で少々格好がつかないながらも、よっこらしょといった具合で全員を机の上に並べます。
「いいかお前たち。今日は折角の七夕だというのに雨が降ってしまったのは仕方がないことで、誰かが悪いなんてことはないんだ」
まるで小さな子供をあやすように、おいおいと泣き続ける神南くんたちを安積係長が一体一体抱きしめては頭を撫でて、そして窓の外を見遣ってはそう宥めているのは、今日は年に一度の七夕だから。
そしてお祭が大好きな神南くんたちは、この日のために皆のお願いを短冊に書いてもらっては集めて回り、一つ一つ丁寧に笹竹につるしては、責任を持ってお星様に聞いてもらうと張り切っていたのに。
その当日に雨が降ってしまったため、揃って気落ちして安積係長の机の下に引きこもってしまっていたのです。
---だれもわるくない?
---ハンチョウおこってない?
「私は別に怒って居ない。…ただ、皆が出て来ないから心配はしたな」
大泣きしたせいなのか、ぐっしょりと濡れて妙に重くなっている神南くんたちは、とりあえず安積係長が怒っていないということにほっとしたのでしょう。
ハモるように「ハンチョウごめんねえ」と机の下を占拠したことを謝ると、改めて刑事課を見渡して。
安積班のメンバーを筆頭に、大勢の署員たちが心配そうにこちらを見ている姿に気付き、今度は全員に向かって「しんぱいかけてごめんねえ」繰り返します。
---ほら、かえろ。
---かかりちょうが、こまってるぞ。
「さあお前ら。いつまでもハンチョウの手を煩わせていないで、いい加減自分らのねぐらに戻るんだ」
---………はあい。
---………しょうがないよね。
---………そうだよね、しょうがないよね。
「待ちなさい」
まだちょっと濡れている目をぐしぐしと擦っている神南くんたちを、(オリジナルたちの机の方から)伺い見ていたすだくんやむらさめくんたちが迎えにきて、そこに速水ヘッドの一声でようやく諦めがついたのでしょうか。
こっくりと頷きながらも、どうにもしょんぼり具合を隠さず机から飛び降りようとした神南くんたちを、安積係長が苦笑しつつ机の引き出しを開けながら引き止めました。
「今夜はあいにくの雨で空に星は見えないが…これで代わりにするといい」
---あ。
---おほしさま。
---おほしさま、いっぱい!
---きれい、きれい!
安積係長が差し出したのは、口を綺麗なリボンで結んで留めている、透明な袋に入った色とりどりの甘い金平糖。
雨のせいでお空はどんよりとした雲に覆われ、そのせいで星が見えるはずもありませんが、ここ臨海署には小さいながらも間違いなくお星様がありました。
「手の届かないところにある星が見えなくとも、願い事をするのには、甘くて食べられる星というのも悪くはないんじゃないかと私は思うんだが…どうだろうか」
めざしが大好物ですが、甘いものだって大好きな神南くんたちは、大喜びで安積係長が差し出した金平糖の袋を受け取って、それで納得してくれたのか、声を揃えて「ありがとう!」と元気一杯に机から飛び降りました。
そうしていつものように、にこにこと元気な笑顔で金平糖を署員たちに配り始めた神南くんたちに、安積係長は漸く署の平穏と自分の机を取り戻すことに成功したと安堵するのでした。
---ハンチョウ、いっしょにたべよ。
---ん。
速水ヘッドのそばで一部始終を見ていたヘッドくんが、神南くんたちから分けて貰った金平糖を手に、同じく金平糖を貰ったハンチョウくんを安積係長の机へと誘って。
そのまま安積係長の机の端に並んで腰掛けると、お星様代わりの金平糖を仲良くコリコリと音をたてて食べ始めました。
「随分と可愛い宥め方じゃないか、ハンチョウ」
「悪いか」
「いいや。…むしろ見事な手腕に惚れ直した」
その様を眺めつつ、いつの間にかすぐ後ろに移動していた速水ヘッドが、肩越しに耳元へ顔を寄せて安積係長にだけ聞こえるように囁けば、安積係長はむっと不機嫌そうに眉間に皺を寄せてから机に向かってしまいます。
それが安積係長の照れ隠しだと知ってるので、速水ヘッドは意味ありげに口の端を上げて笑みを浮かべるだけで、余計なことは何も言いません。
聞かなくとも判っていているからというのもありますが、それ以外にももちろん、二人きりになってからじっくりと、改めて聞く気満々だからです。
「さてはて、甘い星は俺の願い事も叶えてくれるかどうか。なあハンチョウ?」
「叶えて欲しかったらさっさと仕事をしろ。……でなきゃお前のマンションに行かないからな」
ヘッドくんから金平糖を数粒貰って口に放り込むヘッドのお願いは、ちゃんと仕事さえすれば安積係長が叶えてくれるので何ら心配はないのですが。
なかなか階下に戻ろうとはせず、自分の後ろでガリガリと豪快に噛み砕く音にそっと呆れに似たため息を零すと、安積係長は絶対条件だけ告げて、そしてハンチョウくんが口元に差し出してくれた金平糖を、書類をめくる手を止めずそのまま口に含んで食べ始めました。
……折角の七夕は雨で天の川も何も見えませんでしたが、安積係長のくれた甘くて小さなお星様が、きっと皆のお願いを聞いてくれたに違いありません。
【七夕ドタバタ・完】