だからと言って刑事たちが抱えている案件がゼロになったわけでなく、安積班の皆もいつも通り忙殺されていて。
それでも刑事たちにとっては「いつもの」事であったから、そういう観点からすれば久々に「ゆったりとした」時間を過ごしていた、そんな時のお話。
「どうした?」
安積が自分の部署に戻ってきたところで目に入ったのは、何故か意気消沈している部下達の姿。
もう少し詳細を語れば、どんよりと頭上に暗雲を乗せたかの様に肩を落としてパソコンに向かっている須田ら待機寮の三人と、彼らに対し一人何処か気の毒そうな視線を向けている村雨といった状況で。
普段の安積は極力部下たちが自発的に口を開くのを待ってから話を聞き出すことが多いが、今の彼らの醸し出す雰囲気は思わず声をかけずには居られないほど重苦しいのだから、あれこれ逡巡する間もなく声をかけていた。
「チョウさん…」
「係長…」
「安積係長…」
「………っ………、どうしたんだ?」
一斉に自分の方に向けられた待機寮組の視線を受けた安積は、それが揃いも揃って縋るような眼差しだったことに思わず腰が引けた。
だがそれでも何とか平常心を保って再度問いかけてやれば、何かの拍子に今にも泣き出しそうな三人の代わりに、一人様子の違っていた村雨が口を開く。
「その…そっとしておいていただければ良い、かと。担当の案件で何か面倒が起ったと、そういうことではない…ので」
「村雨?」
しかしその村雨の説明自体要領を得ない意味不明なもので、いつもの杓子定規な村雨らしからぬ説明のお陰で安積は却ってわけが判らなくなってしまう。
「須田達は何か問題を抱えているんじゃないのか?」
「…問題というか…ああ、いえ、問題ではない…んじゃない…いや違う…?」
「村雨、何を言っているんだ?」
「事件が起きた訳ではありません。…いや、須田達にとっては事件なのか…?」
「おい、どういうことだ」
村雨の教育のためか昔ほどではないにしろ、一番若いせいか安積班の中で一番喜怒哀楽がはっきりしている桜井がくすんと鼻を啜れば、それに呼応するかのように黒木がため息をつき、そして更に須田がパソコンの上に頭を沈める始末。
「お前たち、本当にどうしたんだ?」
これはいよいよ心配せずには居られない状況になってきたと、要領を得ない村雨ではなく須田に説明を求めれば、彼は緩慢な動きでパソコンから頭を上げて、まるでこの世の終わりとでも言いたげに暗い表情のままぽうぽつと語りだした。
「…人質を、とられたんです」
「人質!?」
刑事として「人質」となればそれは大事である。だから思わず身を乗り出して詳細を聞き出そうとした安積の反応は間違ってはいない。
しかし誰一人としてそんな「人質」が取られるような事件が起こったとは言っていないし、そもそも真っ先に安積に報告をしてくる筈の村雨が全く反応していない。
どういう事かと目線で村雨に訴えれば困惑気に首を左右に振るだけで、そうなればどうにもならない安積は須田に先を促すしかない訳なのだけれど。
「俺、こないだ懸賞に当たったんです。山形牛のすき焼きセットなんですよ」
「……それは良かったじゃないか」
「はい。だから、皆で一緒に食べようかって話してて」
「……村雨は」
「誘われしましたが、家族が待っているのでまたの機会にと断りました」
「…そうか」
人質から何故懸賞の話になるのか判らないが須田の事だから…と、とりあえず先を促すものの、早くも安積の中では引っかかるものがあって。
だからこそさし当りのない相槌を打てば、続く言葉もこれといって特におかしなところはないというのに、安積はその先を聞くのがどうにも遠慮したい気持ちに駆られていた。
「じゃあ三人で今夜は鍋でも、って話になった時、こう、いつの間にか俺の背後に速水さんが…」
「……………………………」
ああ、やっぱり聞くんじゃなかったと、そう安積が呻いたかどうかはこの際別として。
「大丈夫だ。あいつには俺がお前たちの邪魔をするなと、俺からそう言っておくから…」
昭和の旧き良き時代の子供達でもあるまいし、すき焼き一つでここまで意気消沈している部下が大層不憫になったが、それ以上に速水がいつもの調子で須田達をからかっているだけだと信じて疑わない安積は、大丈夫だからと須田の肩を叩いてから階下に行って来ると言い残して、階段を下りて行ってしまうのだけれど。
安積が速水に抗議をしにきた…筈が、いつに間にやら今夜一緒に鍋をつつく約束になったということは、全員の想像に難くない事だった。
「ブラボー、劇団安積班。やりゃあ出来るじゃねえか」
「なんか言ったか?」
…安積は知らない。
全てが速水が自分が安積と鍋をしたいが故に、わざと会話に乱入し懸賞で当たったすき焼きを以て須田達に脅しをかけていたことを。
そしてそのすき焼き鍋と己の上司を天秤にかけるような状況にこそ、須田達が意気消沈していたことを。
だからこそ、図らずも一人難を逃れていた村雨の歯切れが悪かっただけだということを。
全てが全て、如何に自分が安積と楽しい時間を過ごせるかに惜しみない能力を発揮する、ベイエリア分署きっての名物男の所業だったということを安積は知らない。
【その男、面倒につき…・完】