いつ止むとも知れぬ鬱陶しい梅雨のその日、速水は些細な意識の行き違いから安積と喧嘩をした。



…というのは大げさで。



実際のところ、安積の虫の居所が悪かったせいもあるのかいつもより刺のある会話になったくらいで、速水自身は諍い自体をあまり気にしていなかった。
ただ、恐らく安積が気まずい思いをしているだろうから、しばらく様子を見ようとしていたのと。
あとは純粋に、速水自身自由に動ける時間がなかったため二階に行かなかった。




…それがどう影響したのか判らないが、少しおかしなことになったらしい。




その証拠に車で送ってやった時、速水は考え事をしているふりをしてわざと沈黙していたのに、安積はその沈黙を良い意味ではない方向で捉えたらしく、平静を装いながら何処か所在なさに視線を彷徨わせていた。
しかも事件の時は大層役に立つ思慮深さも、自分についてはとことん悪い方向にしか働かないという欠点のまま、気まずさを隠そうともせずに後部座席で小さなため息ばかり吐いている。
しかし安積の焦燥を掻き立てると分かっていても、敢えて自分から口を開かずにいたのは速水の意思だが、何もこんな風に悩ませたかったわけでなくて。
逆に一言「気にしていない」と言葉にしてやれば、安積はきっと不機嫌そうに、そのくせ酷く安堵した表情を見せるはずなのは判っているのに、何故か今回に限って速水は何も言わなかった。



(そうやって、お前は俺の事だけを考えてろ。俺がお前の事だけを考えているのと同じようにな)



運転を部下に任せている以上、考え事をするのに何ら問題のない速水が心の中でらしからぬ暗さを伺わせていれば、いつにない沈黙に加え安積の強張りが伝わってきて。
それが事件ではなく自分に意識が向いているからだと悟って、速水は一人ほくそ笑みながらも更に自分を意識するようにと願う。
刑事としての安積を一番に想うからこそいつも自分を意識させるつもりはないが、その代わり、ふとした時に思いを馳せてがんじがらめにさせる事には躊躇がない。




…それがどれだけ安積に対する依存の強さを物語っているか判らない速水ではないが、だからこそ判るたった一つの結論がある。




同じ強さの想いなんか返してくる必要はない。
友情でも愛情でも嫌悪でも憎悪でも、向けてくるならば全て受け止める。
けれどただ一つ、速水が安積に対し何があっても絶対に許さないのは。
安積剛志という存在が、速水直樹という存在に全く意識を向けなくなるということ。





すなわちそれは『無関心』という名の、安積が恐れる『愛情』の対極にあるもの。
安積の中で、速水が絶対認めることがない唯一無二のもの。