先日彼に昔の約束を果たすべく押しかけたところ、見事あしらわれた御剣怜侍だったが。
「そうだ。成歩堂は私とあの約束もしていたのだった」
彼は懲りずにまた一つ(しょーもないことを)思い出していた。
「ふむ…改めて探してみると、なかなか良いものがそろっているものだな。
これだけあるならば、成歩堂もどれか一つは気にいるだろう」
これならば成歩堂とて私を邪険にすることなどないはず!…と意気込む御剣だったが、邪険以前に彼が「約束」とやらを覚えているかどうかすら怪しいのだが。
しかしそんなことは、このすこーし一般人とはかけ離れた感覚をお持ちである御剣にとっては、全く取るに足らないことだった。(←さりげなくこき下ろしてる発言)。
「ふっふっふ、今度こそ君の異議はことごとく却下してみせるぞ、成歩堂!
そしてあのイカサマ検事より、私の方が深い仲であることを証明するのだーッ!」
…と、声高らかに宣言しているこの場所は、とある旅行代理店。
彼の目の前に居るは(御剣の外見にだまされ我先にと接客を引き受けた)、唖然とした面持ちの美人店員。
そして周囲からは訝しげな(一種哀れみが篭っていなくもない)痛い視線。
「ママー…あのお兄ちゃん、何か変…」
「しっ!そう思うなら見ちゃいけません!!」
天才検事、御剣怜侍26歳。
…成歩堂狙いもいいが、ちったぁ人目を気にした方が良いと思われる。
「…で?今日は何しに来たわけ」
先日子供の頃の他愛も無い約束にかこつけて、どう考えても僕を馬鹿にしているんじゃないだろうかという理由で押しかけてきた御剣は。
「温泉に行くぞ、成歩堂」
事務所にいきなりやってきては開口一番、何の脈略もなく唐突にこう切り出した。
何の冗談だと突っ込む間など与えられずに、ずいっと沢山のパンフレットを差し出されて、御剣が冗談でもなんでもなく、本気でそう思っていることに正直困惑を隠せない。
でも「温泉」という二文字に心惹かれた僕は、ちょこっとだけ目を通して…。
「………………………」
血の気が引いた。
「どうした。気に入ったところがないのか?」
「あのさ、御剣」
「ム、なんだ」
「……百歩どころか、一万歩譲ってお前が僕にこれを持ってきたのはいいとして」
「なにやら引っかかる言い方だが…なんだ」
「お前な!こんなクソ馬鹿高い温泉旅館のパンフレットばっかり持ってこられて、はいそうですかなんて言えると思ってるのか!?」
こンの、所詮はお坊ちゃま検事が!!
仮にも友人を誘うなら、そして一緒に行きたいってんなら、まずは相手の懐具合を配慮しろーッ!!
「……高い?どれが」
「………………」
でも御剣は、さも心外だったと言わんばかりにパンフレットを見直す始末。
そうだった。御剣は感覚がずれてる他に、金銭感覚もおかしかったんだ…。
「…誰も彼もお前みたいに懐にゆとりがある訳じゃないんだよ?
頼むからもう少し庶民的な感覚を持ってくれないかな」
「……ふム……君がそういうなら善処しよう」
言っててちょっと悔しいというか情けない気もするけれど、こういう事はきちんと言っておかないと後々苦労する。
だから下手な見栄を張るより、この方が断然いいと僕は思ってるんだよね。
「どうしたんだ?」
でも結果温泉旅行を断った形になったせいか、酷く落ち込んでいる様子の御剣が気に掛かり、ちょっと下手に声をかけて……。
「ならば何処であの計画を実行すべきか…」
という、本当に小さな呟きに、なんだか得体の知れない身の危険を感じ、僕は瞬時にじりじりと変た…いや、友人(であったはずのモノ)から後ずさりした。
「何をしている?」
「……お前こそ、何を考えてる……?」
『計画』ってなんなんだよ、『計画』ってのは?!
それはもしかしなくても……。
「君とのお泊り計画以外何がある」
ああやっぱりぃー!!!!!
凡そ予想はしていたけれど、いざ改めて言われると頭を抱えてしまう。
「子供の時の約束なんてもういいって言ったはずだぞ?!」
「そうはいかん。約束は果たしてこそのモノだからな」
ええい、そんなモノは謹んでお断りいたしますっていうか突っ返してやるから!!
「誰が行くか!!」
「費用は全て私が持つといってもか」
「………………………」
この一言に、ぐらっと心が傾いた自分の庶民感覚が憎い…。
それでもぐっと堪えて自分の心を叱咤して、僕は奥の手とも言うべき切り札で対抗することにしたんだけど。
「ま、真宵ちゃんたちを置いていけな……」
「なるほど君!!此処がいい此処!!」
なんで真宵ちゃんがパンフレット片手に飛び込んでくるんだよ?!
「ええ??!!」
「ほらここ、絶景の見える露天風呂の他に、すっごい料理がおいしそうなんだよ!!」
「…だ、そうだ、成歩堂」
僕の(身の)危険を防いでくれるはずの真宵ちゃんは、決まってもいない旅行で買収されたらしく、僕の困惑を全く無視して「海の幸〜山の幸〜♪」と変な鼻歌を歌いながら実に嬉しそうに春美ちゃんに電話をかけている。
「はみちゃんも行くって!これで仲良く二人ずつ泊まれるね!!」
「うそぉ!?」
「…これでも君は渋るつもりなのか?
少女達の楽しみを無下にするなど、君はずいぶんと冷たい男なのだな」
「ぐっ!!」
まるで勝ち誇ったように(あの法廷でやられると滅茶苦茶腹の立つ)斜めに見下ろされ、でも何も言い返せない僕に残っているのは、己の身の危険を承知で旅行に行くしかない…………なんてイヤだよ!!
温泉は魅力的だし、喜ぶ真宵ちゃんを傷つけたくはないけど、こればっかりは僕は保身に走らせていただきたいッ。
「そ、そんなにいきたいなら、3人で行ってくれば?僕は留守番してるよ」
「…折角だが。私は君が行かないというのなら、誰とも行くつもりはない」
「ええー!!そんなのヤだあ!!折角のごちそうと温泉―ッ!!」
「ぐえ…ッ」
首を絞めそうな勢いで背後から真宵ちゃんに飛びつかれて、僕の腰が嫌な音を立てた…のは気のせいじゃないと思う。
これは痛いっ。そして重いぃッ!!
「まさか…私達を他所へ追いやっている間に、あのイカサマ検事とナニをするつもりなのか?!」
「やだッ!!なるほど君最低!!」
「そんなワケあるかーッ!!」
背後から真宵ちゃんに、そして今度は前から御剣に詰め寄られて、なんだか今まさに僕は命の危機なんじゃ…と心配になってきた。
でも。
『絶対、だよ?絶対、約束だよ?』
『…約束する』
半分意識を飛ばしかけた僕の脳裏に、夜空にぱっと花火が上がるように古い記憶が甦ってきた。
ああ、そうだった。最初約束していたお泊り会が御剣の家の都合でダメになった時、僕は滅茶苦茶泣いて泣いて困らせて。
困り果てた御剣に『あんまり泣くと目が溶けるぞ』なんて言われて、弱虫だった僕はそれが怖くてまた泣いて。
悲しいんだか、怖いんだかどっちだか判らない理由で泣き続ける僕の前に居たのは、眉間に皺を寄せながらもずっと付き添っていてくれた御剣と…。
『そんなに泣くなって。今度は絶対だ、俺も約束するからよ!』
あいつだった。
「い、行くから…行くから僕から離れろ苦しいぃぃぃぃぃぃっ!!」
「やったよ御剣検事!!」
「うム!!」
そう叫ぶと、二人はまるで申し合わせたかのようにぱっと僕から手を離し頷きあう。
「最初からそういえば良いのだ。まったく君は意地っ張りだな…」
そういいながら満足げに微笑む御剣だけど、そんな余裕を見せていられるのは今のうちだぞ…。
「5人」
「え?」
「温泉には、行く。でも、行くのは全員で5人だからな!!」
「待ちたまえ。我々だけなのだから、4人で良いはず…」
右手を開ききってビシっと突きつければ、まさかあのイカサマ検事を誘う気か?!と睨みつけられたけど、僕がそんな危険が二倍(むしろ三倍?)になりそうな人を誘うか馬鹿ッ!!
「誘うのはあの人じゃない。…矢張だよ」
「何ッ?!」
「なんで驚くのさ。お前は僕との『約束』があるから誘ってくれてるんだろ?」
「それはそうだが…」
「じゃあ尚更だろ。お前は自分の都合の良いところだけ覚えてるみたいだから、あえて言わせてもらうけどさ。
あの時約束をしたのは僕らだけじゃないんだよ。矢張だって居たんだからな」
そう。泣き止まない僕を宥めたのは御剣と矢張なんだ。
「待った!!そ、そのような記憶はない…」
「待った!!都合の悪い事を思い出したからって、今更ナシなんていうなよ?
温泉には行く。お前と一緒の部屋に泊まって、今更ながらのお泊り会だって構わない。でも」
完全に立場が逆転したことに(内心)ほっとしながらも、この隙を見逃さないとばかりに僕は御剣が何かを言いかけるのを遮って断言した。
「あいつが一緒じゃなきゃ僕は行かない。真宵ちゃん達がなんて言っても、これは譲らないからな」
「……御剣検事、なるほど君が一緒に行くんだもん、止めたなんて言わないよね?」
「ぐぐぐぐぐぐぐぐ……ッ!!」
「子供の時の約束通り、一緒の部屋に、しかもこんなにいい所にタダで泊まれるなんて夢にも思ってなかったよ。
さすが御剣、太っ腹だなぁ」
「き……君というヤツは……!!」
真宵ちゃんの訴えるような眼差しにギリギリと歯軋りしながらも、なかなか承諾の返事をしない御剣に、僕はこっそり彼の耳元へ一言こう囁いた。
「ダメだなんて言わないよね、御剣……いや、『怜侍』?」
「え…?」
「さぁて、矢張に連絡連絡っと。楽しみだな〜」
「待て、もう一度…」
それだけを囁くと、僕は御剣が反応する前にぱっと身体を離して真宵ちゃんを振り返った。
「真宵ちゃん、そろそろ春美ちゃんが来るころだよね。駅まで迎えに行こうか?」
「いいねぇ〜」
「矢張も呼んで、細かい日程の打ち合わせもしよう。鍋なんか突きながらさ」
「賛成!!」
「待て…!」
僕はわざと大げさにはしゃぎながら、肩を掴もうとする御剣の腕をかわす。
…とても卑怯だとは判っているけれど。
僕は、男と恋愛するつもりなんて更々ないし、それでも御剣を不必要に傷つけたくはないから。
だから僕は、あえて卑怯な手で逃げさせてもらう。
「御剣も一緒に春美ちゃん迎えに行くだろ?」
「……………」
「なるほど君、早くー!!」
「ほら、行こう」
そんな卑怯な思惑は、先に事務所を出ていた真宵ちゃんが僕らを呼ぶ声で誤魔化して。
誤魔化しついでに、僕は子供の時のように御剣の手を取って促した。
さてはて、どうなる僕らの温泉旅行。
【勝手気ままな温泉旅行?・完】