本当は。
ずっとずっと一緒に居たかった。
それがたとえ力ない子供の頃の願いだったとしても、本当は。
君とずっと一緒に居たかった。
「失礼する」
「あ、御剣いらっしゃい」
お互いに担当していた事件がちょうど片付いて、久しぶりに飲みにでも行こうという話になって。
以前成歩堂に誘われて行った居酒屋を気に入った御剣が、今回もそこに行きたいと伝えたところ、それならば事務所で待ち合わせようということになった為、約束よりも少し早い時間にやってきたのだったが。
「片付けてるから、ちょっと座って待ってて」
「…………?」
ファイルや何かの冊子を手に部屋をばたぱたと走り回っている成歩堂は、ドアを開けたまま入口で立ちすくんでいる御剣に声をかける。
だが御剣は何かいつもと違うものを感じて、そのまま怪訝そうに家主の姿を視線だけで追いかけていた。
「何?どうかした?」
「ム…何か、こう、君の声が…いつもと違うような気がして」
「声?」
その視線が気になったのか成歩堂は片づけを一端中断して、ファイルを手にしたままま中に入ろうとしない御剣の傍に近寄ってきた。
「風邪をひいているわけでは…なさそうだな」
「うん。くたびれてはいるけど、僕は元気」
「しかし…私の聞き間違いではないようだ」
御剣の問いをきょとんとしながらもすぐに否定する成歩堂だったが。
「もしかして…コレ?」
と、まるで子供のように舌をれろっと出してみせた。
「………飴?」
「そう。はみちゃんにもらった…というか、押し付けられちゃって。
今からの季節、早く消費しないと溶けちゃいそうでさ」
だからさっきから栄養補給代りに舐めてたんだ〜…と笑って応える成歩堂の舌の上には、大分小さくなった半透明の白い飴玉が一つ乗っていた。
どうやら飴を舐めながら返事をしたいたため、少々声が篭りがちになっていたらしい。
「……薄荷……」
その瞬間、彼の方からふわりと清涼感のある香りが御剣の鼻を掠め、それが何の味なのか自ずと教えることとなった。
「っていうと真宵ちゃんから『おじさんくさいなあ。これはミントって言わなきゃ若い子にもてないんだから!』…って言われるよ」
「言われたのは君だろう」
「………そうだよ」
間髪置かずに返された成歩堂は、少し不貞腐れたようにどっちで同じだよ…とぶつぶつ呟いて己の机に戻り、ファイルをそこに置いて引き出しの中から何かを取り出した。
「なんだ?」
また御剣の方に戻ってきた成歩堂は、不貞腐れ気味の表情のままそれをずいっと押し付ける。
「僕が片付けるまでコレ舐めてて。っていうか消費するのに協力して」
「は?君は甘いモノが好きだろう。
それに私は然程好ましいとは言い難いのだが…」
「甘いモノは好きだけど。コレはちょっと得意じゃない」
「……?」
成歩堂が差し出したのは、昔懐かしい缶に入ったドロップで。
御剣は子供の頃にもあまり縁のないお菓子だったが、確かこれはフルーツ味の甘い味だったはずでは…と蓋を開けて動きが止まった。
「……成歩堂?」
「なに?」
「白しか見当たらないのだが…」
ぱこんっと可愛らしくも何となく抜けた音を立てて蓋を開けてみれば、そこから見えるのは白いドロップばかり。
「……はみちゃんが、どうしてもは…じゃなくてミントは駄目らしくて。
でも真宵ちゃんもあんまり好きじゃないらしくて、これに二缶分のミントドロップだけ入ってるんだよね」
成歩堂はため息をつきながら御剣が持ったままの缶から一つドロップを取り出すと、また一つ自分の口に放り込んだ。
「君は」
「ん?」
「その、ミントなどの薄荷系のものは、君も好きではないと…記憶しているのだが」
得意じゃないといいながらも躊躇いなく口にそれを放り込む成歩堂の姿に、己の記憶との相違に気付いた御剣は訝しげに眉間に皺を寄せる。
「得意じゃないよ」
「しかし」
「得意じゃないけど、食べられるようになったんだよね」
「………何故」
「え?……何故って言われても、いつの間にか食べられるようになってたんだけど」
そう言って成歩堂は「大人になると味覚が変わるからねえ…」と苦笑する。
だが何故か御剣は表情を曇らせて、缶を持つ手とは逆の方で成歩堂の肩を掴んだ。
「私が知っている君は、とても甘いものが好きで。そして…この薄荷が嫌いで。
なのに今私の目の前にいる君は、その薄荷を口にする事ができるのだな」
「御剣?」
「矢張のようにずっと君と一緒に居られなかった私には、私の知らない君が居る。
……私がそれを望んだわけではないのに、私の知らない君がいるのだ……」
本当は。
ずっとずっと一緒に居たかった。
それが例え力ない子供の頃の願いだったとしても、本当は。
君とずっと一緒に居たかった。
それは嘘じゃない。ずっとそう思っていた。そして今も思っている。
でも。
それでも。
「しかもあれから君だけを恋焦がれてきたのに、再会してさえ私は君から離れてしまった。
しかも自分から、君の傍にいる事を放棄した」
「………」
「私の知らない君を知る度に、そんな己の愚かさを思い知らされる」
「御剣」
「それは傍からみれば些細な事だろう。しかし、私にとってはそれは大きな罪だ。
…君の事を知らない。それがとても大きな……」
「ストップ」
御剣の声が強張っていくと同時に肩を掴む力が強くなっていく事に気付いた成歩堂は、あえて突き放すように静止の声を上げた。
「なる……」
「…あのさ御剣。知らないのは君だけじゃないんだ」
「………?」
「僕が散々探して探して、やっと会えた…と思ったら、あっと言う間に居なくなった何処かの誰かさんが、成長して変わった僕を知らないのと同じで。
置いていかれた僕は、望んだ訳ではないのに一緒に居られなかった」
「………それは……」
一歩、成歩堂は御剣から後ずさって硬い声で問いかける。
「君が僕を知らない。それと同じで僕も知らないんだよ。
成長して変わったその何処かの誰かを僕は知らないんだよ」
その意味が判る?と、ほんの僅かな距離を置いてそう尋ねる成歩堂の瞳に浮かぶのは、拒絶でも嫌悪でもましてや侮蔑でもなく、そこに浮かぶのはたった一つ、怒りの色。
「なるほ…」
「うるさい」
たまらず御剣が声をかけようとすると成歩堂は今度はドロップの缶を取り上げて、素早く中身を取り出すと強引に彼の口に押し込める。
「…………」
「…………」
「……コレを消費するのに協力する。代わりに私の話を聞いてもらえるか」
「…弁護側は了承します」
「感謝する」
おどけているわけではないのだろうが、至極真面目な面持ちで片手を挙げてそう提案する御剣に、成歩堂は怒りの色はそのままにとりあえず頷いた。
「君の怒りはもっともで、私にはそれを受け入れなければならない。
それは私への罰だ」
「…………」
「しかし。私はその罰を受け入れるのと同時に、またこれからも君の傍にあることを許して貰ったと……そう思っていたのは間違いか?」
御剣は再度手を伸ばして成歩堂の肩を掴み、真剣な眼差しで彼を見ながらそう語りかける。
成歩堂の肩を掴む手がそのまま首筋へ、そして後頭部へと回されて。
「…………間違いじゃ、ないよ」
「ならば。これからの私は、私の知らない君を知ることを許して欲しい」
ふぃっと視線を泳がせながらもそう答える成歩堂を引き寄せて、空いている方の手は彼の身体へ回して抱き締めた。
「構わないか」
「構わないかって…それって事後承諾?」
これには納得がいかないとばかりに、成歩堂は泳がせていた視線を御剣の方へと戻して不満を露にする。
「ム……そういうコトになるかも知れない」
…惚れた弱みというのはこういうものなのか。
それに多少なりともたじろいでしまった御剣は、言葉に詰まりながらも己の非を認めて素直に謝罪の言葉を口にする。
「………まあ、いいか。僕も僕が知らない御剣が知りたいし」
そんな御剣の背中に成歩堂は自分から手を回し、不承不承と言った感じでそう小さく呟けば、御剣はそれでもいいと抱き締める腕に力を込めた。
「……随分と爽やかな味の口付けだな」
「こんな時にそういうことをいうか…?」
重なり時折離れる唇からは、清涼感のある薄荷の香りが互いの鼻をくすぐって。
至極真面目な面持ちでそう感心しきって呟く御剣に、成歩堂はどちらかといえば苦笑気味の笑みで答える。
本当は。
ずっとずっと一緒に居たかった。
それが例え力ない子供の頃の願いだったとしても、本当は。
君とずっと一緒に居たかった。
それは嘘じゃない。ずっとそう思っていた。そして今も思っている。
でも。
それでも。
「私は、これからは君を離すつもりはないからな」
今はこうして傍にあることを許されているから。
私は今度こそ間違えないと君に誓おう。
【小さな記憶と大きな罪・完】