成歩堂が怒っている。
もともととがった頭を更に尖らせて、まるで噴火しそうな程に肩を怒らせて私の前を歩く。
「成歩堂」
「………」
「成歩堂、待ちたまえ」
「………」
ずかずかと音がしそうな乱暴な歩き方で前を行くも、私が一言加えるだけで歩みを止めて。
しかし私が彼に追いつき、肩に手を添えようとしたところでまた乱暴に先にいってしまう。
それが何やら面白くなく、しかし成歩堂が怒っていることに心当たりがないわけでもないから。
もう少しだけ怒らせてしまうことを承知で、わざと気付かぬ振りをする。
「成歩堂。何をそんなに怒っているのだ」
「………………」
その一言で成歩堂はぴたりと歩みを止め、だがこちらを振り返ることはなく、まさに背中で私に対する怒りを露にする。
「あの店の料理が気に入らなかったのか?」
「………………」
「ふム…ならばまた何処か探しておこう。
私は君と食事が出来ることが楽しいから」
「……………料理は、おいしかった」
「料理に怒っているわけではない、と?ならば何にそのように怒っているのだ。
もしや料理は良くてもワインが気に入らなかったのでなはいか?」
「………お前ね、どこまですっ呆けるつもりだよ!」
「ようやくこちらを向いたな、成歩堂」
「…………」
わざと見当違いなことを言ってみせると、案の定成歩堂が自分から振り向いた。
怒っている。
それは弁護士として、あってはならない無実の罪に喘ぐ依頼人を救うべく、間違った裁判に、検事に、刑事に、己が信じる依頼人の敵となるもの全てに対するそれではなく。
今、成歩堂が見せている表情は。
「何をそんなに拗ねているのだ」
「拗ねてなんかいない!!」
真っ赤になって、恨みがましげにこちらを睨みつける、それでいて困惑した…それ。
子供の時から変わらない、成歩堂の拗ねた表情。
からかわれたと気付いて怒ってみても、私が手を離すのではないかという不安があって。
怒ってはいても、私が一歩引いて距離を置くだけで戸惑いを隠さない。
「では、何故そのように肩を怒らせているのだ。私は君の気に触るようなことをしたか?」
「した」
「…………」
即答された。
「お前、さっき僕になにをした?」
なにやらヤケクソ気味にそう呟くと、成歩堂は私からふいっ…と視線を逸らせた。
ム…これはいい加減折れるべき頃合なのだろうな。
「すまなかった」
「………」
「成歩堂、どうか機嫌を直してくれ」
「…………」
「私は君を怒らせたかったわけではない」
私が態度を改め近づいても、成歩堂は明後日の方に顔を向けたまま動かない。
そんな彼の身体を背後から静かに抱き締め、もう一度耳元で「すまなかった」と告げれば、成歩堂はむくれた表情はそのままでようやく私に視線を合わせる。
「驚いたのなら謝る。
…だが、私は冗談やからかう意味合いであのようなことをしたわけでは…」
「…違う」
「何?」
「お前、僕に謝るべきことについて間違えてる」
意味を問うべく背後から抱き込んでいた身体を反転させて、拗ねた面持ちから今度はむくれてしまったその顔を覗きこむと、成歩堂は私の頬を「むにっ」と音がしそうな具合に手でつまみ、痛みに顔をしかめる様を睨みつけて。
「僕にあんなことする前に、言うべき事があるんじゃないか、この口は!!」
「………ッ」
そう言って、重ねるというよりは噛み付くように私の唇に己のそれを押し当てた。
「……………これは、失礼をした」
そうか。そういうことか。
成歩堂が怒って、拗ねて、むくれていた訳は。
私が考えていた心当たり以前に、それが許されるべき最初の言葉を伝えていなかった、
そのことに。
先ほど店を出た後、タクシーを捕まえようとしていた私を成歩堂は引き止めて。
にっこり笑ってたった一言「綺麗な月夜だから歩いて帰ろう」。
ほろ酔い加減で気分も良くて、なんだかそんな気分なんだ…そう言って隣を歩く成歩堂に視線を向けた途端、私の中に湧き上がった悪戯心。
酔っているならば、許されるのではないかと。
…彼に対して自信などいくらあっても足りない私の、臆病な、逃げ道を確保した悪戯。
言葉より先に、身体が動いてしまった。
頭で理解するより先に、心が。
余裕の欠片もない、己の本能に突き動かされて。
無防備に笑いかける、その唇を。
月が薄い雲に隠れた、その瞬間。
私は何も言わずに奪っていた。
「私は君のことが好きなのだよ、『龍一』」
「……やっと言ったかこの馬鹿検事」
「ム、馬鹿とは聞き捨てならない…」
「馬鹿は馬鹿だろ。人の気持ちをお構いナシに、勝手にあんなことして」
「……それは」
最もなことを言われて私が言葉に窮していると、成歩堂は頬をつねったままの状態でにっと歯を見せて笑って。
「 」
言葉を、くれた。
「……私は自惚れても良いのだろうか?」
「さぁ?」
「なんだその言い草は」
先ほどとは違い、耳まで赤くして私の先を歩き出した成歩堂の腕を掴み、もう一度、と言葉を求めても彼はのらりくらりとはぐらかすばかり。
「『龍一』…」
「今度は和食がいいなぁ…」
「……………承知した」
私の前を歩く成歩堂はもう怒ってはいないけれど、今度は私を試しているようで。
だがそれは、先ほどの言葉に対する照れ隠しだということが判るから。
『僕もだよ、《怜侍》』
成歩堂の一言が、私の焦燥を余裕に変えたから。
もう焦る必要はない。
ゆっくりと、ゆっくりと、確実に。
私は彼を手に入れよう。
【回り道・完】