逆転裁判 ゴドナル(再録)




『まるほどう…?』




俺の目の前で、成歩堂が、倒れた。





その時最初俺は一体何が起こったのか理解できず、ただ床に倒れたまま身動きすらしない成歩堂に情け無いくらい弱々しく声をかけただけ。



『なるほど君、大丈夫ッ!?』
『しっかりしなさい、トゲ頭!』



意外な事にその場に居合わせたはずの真っ赤なボウヤも同じような状態になっていて、気丈にも倒れた成歩堂に駆け寄ったのはコネコちゃん達の方だった。


『な…何よこの馬鹿みたいな熱さ!馬鹿が馬鹿なりに馬鹿みたいな熱を出すなんて何事なの!』
『あ、あのね狩魔検事、こないだからなるほど君ずっと風邪ぎみだったから、裁判が終わって気が緩んだのかも』
『……お約束どおりなんて馬鹿らしい倒れ方だわ。ちょっとレイジ!ひとっ走りしてこの馬鹿を病院まで運びなさい!!』
『う、うム!』


俺と同じように呆けて立ち尽くす赤いボウヤに、キツいコネコちゃんは鞭を一振りして成歩堂を病院まで運ぶように言って。
それにつられて俺も成歩堂を運ぶのに手を貸そうとしたところで、その成歩堂が弱々しく身動ぎをした。


『ゴト…さ…』
『大丈夫か、バンビちゃん。アンタ見事にひっくり返った…』
『………』


うっすらと開かれた瞳が俺を捕らえると、成歩堂は気怠そうに腕を上げて弱々しいままに俺を押し返した。




…ただ、それだけのことだった。





「なるほどう…」

その後のコトは、正直良く覚えちゃいねぇ。気が付いたら俺は一人で、成歩堂の事務所でコーヒーすら淹れねぇでぼんやりとしていたんだ。

「これは…ちょいと痛いぜ」

他の面子の助けはそのまんま、なのに成歩堂は俺の手だけを拒んだんだ。

「おいおい…バンビちゃんが俺に牙を向けるってのか…?」

……俺が、俺だけが、アイツに拒まれた。これが意味するのは一体なんなんだ?
あれだけ身体を重ねて愛を囁きあっている成歩堂が、本当は未だに俺を許してしないと…神様とやらはそういうつもりなのか?
成歩堂がいない事務所は何処までも静かで、まるでそこに俺が居るコトが異質だとでもいうように落ち着かせることはない。コネコちゃん達がいればまだ違うのかも知れないが、この部屋の雰囲気は
さっき弱々しく俺の手を拒んだ主さながらに、俺そのものを受け入れようとはしていないと思えて。
…成歩堂が俺のためにと揃えた机や椅子までもが、その冷たさでもって今の俺を拒んでいるようで。

「龍一…」

あいつがそばにいないだけで、俺はこんなにも居場所をなくす。



もし、俺が普通の身体だったら。
もし、最初の出会いがあんなモノじゃなかったら。



このガラクタ同然の身体がいつ壊れるかといった、そんな漠然とした不安を年がら年中成歩堂に抱かせることなんざなかった。
結果千尋の妹を守る為だったとはいえ、『検事と弁護士』として対立する度に、その存在を何処までも否定して追い詰めちまったことが、本人すら気付いていない恐怖を与えることになんざならなかった。
今更詫びて済むハナシなんかじゃねぇと判っていても、身体が限界を訴えてこんな倒れるまで誰にも助けを求めない、そんな頑な性分にしちまったのは俺のせいなんだと。
そう、思い知らされて。
今こうして成歩堂から望まれて隣にいることそのものが、信じられなくなる。
全てを明らかにしたあの事件で、俺はこの身体を抱えてまで生きる意味を失って。
もう本当は死んでもいいと思っていた時に、無理やりとしかいいようのない直向きさで、死を望んだ俺を生きる事に執着を持たせたのが成歩堂。



『僕が、アナタを必要としているんです』


『例えアナタがまだ僕を憎んでいても、僕にはアナタを憎む理由なんてない』


『詫びただけで自分だけが楽になるタメに死を望むなら。そんなのズルイです』


『だから謝るくらいなら。今から僕を、支えて下さい。隣で僕を支えて下さい。
…同じ『弁護士』としての僕と『成歩堂龍一』というただ一人の僕を、支えて…』


そう言って俺に居場所と存在意義を与えておきながら、どうして肝心な時に俺を拒むんだ。
こんなにも、俺はあのバンビに依存しちまってるのかと気付いて、自分でも愕然とする。
支えて下さいと言われて支えているつもりでになっていた、そんなアイツの言葉に傲っていた自分にもまた愕然とする。

「役にたたねぇだけじゃなかったか…」

情けねぇくらいに支えられているのは、この俺の方だ。
そう、たった一言成歩堂が俺の名前を呼ぶだけで、その度に俺は存在していてもいいんだと安堵させられて。


…許されて、頼られて、それを支えていたつもりが逆に支えられていた。


「俺の身体よりまずテメェのことだろうが…」

気付いた途端に、無性に成歩堂に会いたくなった。
例えそばに来るなと拒まれようが、成歩堂なしじゃまともな生活すら出来なくなっちまったと、その責任を取れと脅すように押しかけて。

「今更どうにもならないくらいに、俺はバンビちゃんに惚れちまってるんだぜ…」

未だに信じてもらえずにいる俺の愛を、ずっとそばで囁き続けてやろうと。

「ヨシ。そうと決まれば…あとは押しかけるだけだよなぁ?」

一人になるとどうにも暗く考え込むいただけない思考を振り切るように、俺は成歩堂が運ばれて行った病院を聞き出すべく、コネコちゃんへ連絡を取ろうと携帯へ手を伸ばした…途端にその
携帯が鳴り始めて、着信番号が成歩堂のそれだということに、正直俺は驚いた。

「お、おう…」
『ゴドーさん!』
「その声は…コネコちゃんか?」
『そうです!…あ、ナルホドくんの携帯使ってるから、びっくりしちゃった?』
「…まぁな」

動揺を隠すために簡単に答えてみれば、電話の相手はすまなさそうに『ごめんなさい』と言ってきた。

『あ、ゴドーさん。ナルホドくんなら大丈夫ですからね』
「…本当に?」
『はい!えーと、確かに風邪をこじらせてはいますけど、倒れたのってそれが原因じゃないって、単なる寝不足のせいだそうです!!
…え、と、勿論それだけじゃなくて、ちょっとだけとはいえ過労も入ってるみたいですけど…。で、ついでなんで色々検査もしてもらったら、それ以外はなにも心配するコトないって』
だから安心して下さいね。
電話越しにとはいえ、矢継ぎ早に成歩堂のことを知らせてくれるコネコちゃんの勢いに飲まれて、俺はただ「そうか」としか返せないでいた。
…けれどそんなコネコちゃんは、ひどく恐ろしいくらいに勘が鋭かったりしやがるんだ。

『あ、ゴドーさんってば、やっぱり暗くなってる』
「おいおい、俺はいつでも明るいぜ?それに『やっぱり』ってのはどういう意味だ?」
『そのまんまの意味ですよー。でも、そう言ってたのはナルホドくんですけどね』
「…まるほどうが?」
『はい、ナルホドくんがです』
「…………」

てへ、と照れ隠しのような笑い声で言われた言葉に、俺はまた、反応が遅れた。

「なんで…バンビちゃんがそんな事を言うんだ?」
『なんでって、ナルホドくんがゴドーさんの心配しないわけないですよ』
「余計判らねえな。俺は…」
『もう、やっぱり暗くなってるじゃないですか!』

不意に成歩堂から払われた感触を思い出して声が低くなった俺を、コネコちゃんは咎めるように大きな声で嗜めた。

『信じる信じないは勝手ですけどッ。あたし達の中で、なるほどくん程ゴドーさんの心配してる人なんていないんだから』
「……」
『それにね、ゴドーさんくらいナルホドくんに頼られてる人だって居ないんだから』
「………」

何処か苛立ちを隠さずにそう言うコネコちゃんの言葉は、今の俺にはにわかには信じられなくて。

「……」
『あーもう!もうちょっとナルホドくんを信じてあげてよ!』

だからこそ黙っていたってのに、それがさらにコネコちゃんの怒りを煽ったらしい。

『あれだけナルホドくんがゴドーさんを気遣っても、肝心なゴドーさんが判ってないなんてっ』
「………」

言葉の紡げない俺にコネコちゃんはますます機嫌を損ねたらしく、プリプリと音がしそうな勢いで電話越しに叫んでいる。

「あいつは…俺の手を払ったんだぞ…?」
『そんなの当たり前じゃないですか』

よく判らない。
差しのべた手を払われて、あれでなんで気遣ったってハナシになるんだ?

『あの状況でナルホドくんがどれだけゴドーさんを気遣ったか判らないなんて。あんな状況で、ナルホドくんにどれだけ気遣われたか判らないなんて』

なんでか、コネコちゃんの言葉がキツイ。

『あれは、例え風邪でもゴドーさんにだけは移したくないからに決まってるじゃない』
「……………」

事も無げにそういわれて、今度こそ俺は絶句した。

『…んもう、しょーがないなあ…』

俺の沈黙が本当にわかっていなかった事への答えになってしまったせいか、電話越しのコネコちゃんは盛大にため息を一つついて、それからなにやらごそごそし始める。

『……も……しもし……』

そして暫くの沈黙の後、俺はコネコちゃんからさらに絶句させられるハメになった。

『ゴド、さん』

電話越しに聞こえるのは、掠れて聞き取りにくいけれど間違いなく成歩堂の声。
ごほごほと咳き込みながら、それでも精一杯俺を呼ぶ成歩堂の声。

「…大丈夫か、まるほどう」
『さっきは、すみません。風邪を、移したらと…』
「判ってたのか?」
『ええ…まずいなー…と思って…けほっ、いたんですけど』
「…………」
『はやくあの弁護を終わらせて、医者にいって…一緒にゆっくりしたいなあと…』
「…………………」
『そう思っていたんですけど、倒れちゃって。でもあなたが心配で、真宵ちゃんに連絡してもらったんですけど…、けほこほッ』

運び込まれた先が病院のせいか、隠れる為に上掛けの中に潜り込んでいるようで、掠れてくぐもって本当に聞き取りにくい声だったが。


『心配かけて、ごめんなさい』


コネコちゃんが言った通り、自分の事より俺を気遣って心配してくる成歩堂の声。

『けほけほっ、でも、きちんと治して帰りますから、こほ、ちゃんと留守番してて下さい』
「……俺に出来るのはそれくらいかい?」
『はい、申し訳ないですけど。…あなたに移したらと思うと、怖くて』

掠れた声で話すその声に、俺は不意に視界がぼやけたことに気づく。


相手を信じていなかったのは、俺の方。
どれだけ想われ気遣われていて、そしてそれに気づきながらも受け入れようとしなかったのは俺の方だ。


『だから、待ってて下さい、ね』
「待つなといわれても待つぜ」


何処までも俺のことを一番に気遣うその想いの深さに、さっきまでのドス黒い感情が取り払われて。

『ひょっとして…けほ、怒ってますね』
「当たり前だ」

そして後に残ったのは、俺ばかり気にして自分を省みないことへの純粋な怒り。

「お前が望むなら、にっこり笑ってイイコでお留守番でも何でもしてやるぜ」
『わあ、そういいながら目は怒ってるんでしょう…』
「とりあえず、3日は我慢してやる」
『3日?』
「そうだ。一応病人のバンビちゃんを気遣って3日までは大目にみてやる。ただしそこから一日ずづ退院が延びていったら…その時は退院後ヤらしいお仕置きが待ってるぜ」
『腐ってもそれですか!』

ぼやけた視界そのままに、それでもいつもの調子で返してやると、そこで漸く掠れている成歩堂の声も張りが出たのが判る。

「…待ってるから…ちゃんと俺のところへ帰ってきてくれ『龍一』…」

そういっている間に俺の手にぽとりと雫が落ちて、それが妙に俺の不安を煽るからつい本音を漏らせば。

『はい。ダメだといわれても帰りますから』

だから、泣かないで下さいね。
最初から判っていたらしい成歩堂にそっと諭される。




「どっちが病人なんだか判りゃしねえ…」




なんの躊躇いもなく俺を気に掛ける成歩堂に、一瞬たりとも疑いをもった自分に腹が立った。



全て、俺の為に。まずは、俺のことを。
いつかの言葉の通り、成歩堂にとって大切なのは全て俺のことだけだと改めて思い知らされ。



カミサマなんて信じられなくて結構だが、成歩堂龍一だけは死ぬまで信じないでどうする気だと自分を叱咤してから、俺はそんな自分のために珈琲を淹れる事にした。





【愛を恐れる愚か者・完】


サイトをぷち改装していたら、フォルダからひょっこり出てきたので再UP。
本当はナルホド君が風邪で倒れて、それを誰が看病するかって派生ネタ。
ゴドナルは見つかったんだけど、ミツナルがどっかに行って見つからず。
(書きかけは冥編だったかな…年単位で昔の話でファイルが見つからない)
昔過ぎて多分今ご来館くださってる方は知らないんじゃないかなー…
ってなことで今回リサイクル決定です(←所詮貧乏性だったりする)
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