もしかしたら始まり




いつものように膝に蓬の頭を乗せたまま、最近手に入れた貴重な妖怪本に嬉々として目を落としていた榊は、ふと妙な視線を感じて顔を上げた。
どこからだ? と視線を巡らせれば、やけに遠慮がちに部屋の中を覗き込んでいる柏と目が合った。柏は、どこか思いつめたような表情をしている。
(……また博覧亭の客の入りについての説教か?)
ここ何日か、博覧亭では閑古鳥がいつにも増して元気一杯だ。榊自身は特に気にもしていないのだが、番頭の柏にしてみれば説教のひとつも垂れたくなるジリ貧の状況である。
柏の気持ちが分かるだけに申し訳ないと思いつつ、しかし新しい興行ネタの思いつかない今の榊にできるのは、柏の愛の説教を甘んじて受けることぐらいであった。
粛々と本を閉じ、膝に蓬が眠っているので体はそのままに、榊は頭だけで柏の方に向き直った。
「……どうした、何か用かね、柏?」
とりあえずにっこり笑顔を作って訊ねてみる。しかし、柏はじっと榊を見つめるだけで何も言わない。
「? 柏?」
呼びかけてみるが、返事はない。首を傾げてちょいちょい、と手招きしても、中へ入って来ようとしなかった。
それどころか目を逸らすかのようにじわじわと顔を伏せてしまった。
「……どうかしたのか?」
表情を真顔に戻して、榊は訊ねた。
どうやら説教ではないらしいが、それならば何故あんなに思いつめた顔をしていたのか、目を逸らすのか、理由が分からない。何か面倒ごとが起きたのでなければいいが――
心配になって、もう一度訊ねてみる。
「柏。本当に、どうしたね?」
その声音で心配していることが伝わったのか、柏が慌てて顔を上げる。自然、ばちっ、と目が合って、すると柏は恥ずかしそうに顔を赤くして再び目を伏せてしまった。
(……どういう反応だ、こりゃ?)
それはまるで恋する乙女のような反応で、榊はますます混乱してしまった。
柏が恋をする、ということも―実は妖怪とはいえ―ありえないことではないだろうが、しかしその相手が自分であろうはずがない。そもそもそんな甘い関係ではないのだ。家族ではあるけれど。
けれど、今の柏の反応はまさしく恋する乙女そのもののように思える。不思議なことが起こりまくっているのが日常の博覧亭だ、そういうことがあってもおかしくはないのかもしれないが――。
榊とて、柏のことは嫌いではない。いや、むしろ可愛いと思っている。だがその可愛いとは、異性に向けるような「可愛い」ではなく、「弟」に対するような「可愛い」である。守銭奴なのと少々耳年増なところが欠点といえば欠点であるが、それ以上にしっかり働いてくれるし、一心に慕ってくれる様は愛しいとさえ思えるし――好きか嫌いかと聞かれればもちろん好きだし、柏が告白してきたりしたら受け入れてしまうかもしれない。男というよりは少年だし、想像してみても、抵抗感はあまりないように思える。ならば今ここで柏が告白してきたら、受け入れるべきなのだろうか。
「うーん……」
 ……混乱して、すっかり思考が逸れている榊だった。
「……あの、若旦那? 聞いてます?」
いつの間にか側まで来ていた柏が、ちょいちょい、と榊の着物の裾を引っ張った。
「へっ!? ……あ、あーわりぃ、ちょっと思考の迷路に迷い込んじまってた……」
「いえ、いいんですけど……。それで、あのー、ちょっとお願いしたいことが」
「お、お願い? 何だ?」
――とうとう来るべき時が来たか、と榊は腹をくくった。
榊は、もし柏が告白してきたら、受け入れてやろうと思っていた。男同士の付き合い方など分からないが、柏を傷付けるよりずっといい。
その結果ややこしいことになってしまったとしても、俺がちゃんと守ってやろう。
一人、そんな決意を固めながら、榊は柏を見つめた。柏もじっと榊を見つめている。
「若旦那……」
そして――意を決したように、柏が言った。


「僕も、膝枕してもらっていいですか?」


「………………………………へ?」







――蓬とは反対側の膝に頭を預けて、ご機嫌にニコニコしている柏を、榊はため息をつきたい気持ちで見下ろしていた。
柏いわく、榊に膝枕をしてもらっている蓬が、ずっと羨ましかったらしい。けれど膝枕して欲しいと頼むのは、まるで小さな子供のようで言い難かったようだ。
それが、あの誤解を生む仕草へと繋がったのだが――
(俺……すげぇ空回りじゃねぇか……)
勝手にその仕草を脳内で「恋する乙女」変換し、あまつさえ受け入れてやろうと思っていただなんて、まったく、恥ずかしいやらみっともないやら、である。
(…………しっかし、もし本当に告白だったならどうなってたんだろうな)
榊は柏の後頭部を見つめながら、ふと思った。
――こんな風に膝枕なんかではなく、抱きしめてやっていたんだろうか。ゆっくりと頭など撫でてやったりして。
自分より一回りは小さい体は、すっぽりと己の腕の中に納まっていたことだろう。まるであらかじめそこに納まることが決まっていたかのように。
ちらりと想像して、榊はすぐに首を振った。
馬鹿馬鹿しい、そんなことがあるわけねぇじゃねえか。ひとりごちて、置きっぱなしになっていた妖怪本に手を伸ばす。
ぺらぺらとめくっていると、ふと、寝息がふたつになっていることに気付いた。
見下ろすと、蓬と同じように安心しきった表情で、柏が眠っている。
妖怪絵と柏とを交互に眺め―― 一瞬ためらったあと、榊はゆっくりと柏の頭を撫でた。
安心しきったような表情が、ふにゃりと幸せそうな表情に変わっていく。
榊はとうとう観念したかのように、妖怪本を閉じ、傍らに置いた。





snow crystal の籐花さまより頂きましたーッ!!
しかも大好き(の割には知名度が著しく低くて泣ける)
怪異いかさま博覧亭ですよ、まさか二次作品が拝見かつ
いただけるなんて夢にも思いませんでしたよ目茶苦茶嬉しいっ!
籐花さま、本当にありがとうございます愛してるー!(歓喜)
戻る?