「そういえば、榊」
「ん?」
ぷんすかぷんと拗ねてしまった五徳猫が、メガネヘビと共に榊を置いて杉忠の店内の探検に行ってしまって数分後。
レンズを水晶にするか硝子にするかでひとしきり揉めている最中、話の流れをぶった切って杉忠が言った。
「さっき、耳大丈夫だったんか?」
「は? 耳?」
まったく脈絡のない質問に、榊はきょとんと首をかしげた。
「……なんかあったっけ?」
「お前なあ……あのメガネヘビに眼鏡持ってかれた時だよ。蔓が耳にひっかかったとか何とか言ってなかったか?」
「ああ」
言われてやっと思い出したのか、榊は自分の両耳に手を当てた。
「もう痛くないよ。ちょっとまだじーんとしてる気はするけど」
ためしにふにふにと耳を引っ張ってみるが、痛みはなかった。まだ少し熱を持っている感はあるが、それもじきになくなるだろう。
「……で、それがどうかしたのか?」
「いや、傷ができたんじゃねぇかと思ってな。大丈夫だろうとは思うが、一応診てやるからちょっとこっち来い」
ちょいちょいと手招きされ、榊は「えー?」とあからさまに眉をしかめた。
「何たくらんでんだよ?」
「何もたくらんでないヨ?」
にっこりと笑顔。そしてついでにきらりと光るハゲ頭。
「……笑顔が胡散臭ぇ……」
榊はげっそりと肩を落としたが、杉忠は気にした風もなく、はっはっは、と笑いながらもう一度手招きを繰り返す。
「いーから来いって。別に無理やり薬の実験台にしようとか思ってねぇからよ」
「余計安心できねぇ」
そう言いながらも、榊はほてほてと杉忠へ近寄った。
――何だかんだ言いつつも、榊は身内に甘い。杉忠はちょっと苦笑しながら、むくれ顔の榊を見上げた。
「ほんじゃ、後ろ向いてそこ座る」
「へいへい」
うながされるまま杉忠の前に腰を下ろした榊の耳は、やはりまだ少し赤い。痛くないようにとそっと触れてみると、榊の肩が大きく跳ねた。
「……ん? どした?」
分かっているくせにわざとらしく訊ねた杉忠を、ぐるりと首を後ろにまわして睨んだ榊は、
「あ、あのなぁっ、触るんなら触るって言え! びっくりするだろーがっ!」
と、赤かった耳をさらに赤くして叫んだ。
そのおおげさな反応に杉忠は気を良くしたようににんまりと目を細める。
「悪い悪い、そういや榊の性感帯は耳だったなぁ」
「せっ……! おま、付喪神たちばかりじゃなく俺の性感帯まで調べてやがんのかっ!?」
「ははははは、調べなくても知ってるって。伊達に幼馴染やってねぇよ」
気付けば杉忠の左腕が、がっちり榊の腹に回っていた。
「……というわけで、大人しく耳の手当てさせろ」
「て、手当てって何だ! 診るだけじゃねぇのかよー!」
じたばた暴れても、体力担当である杉忠の力に知識担当の榊が敵うわけもなく、ほんのささやかな抵抗にしかならない。
杉忠はそんな榊の涙ぐましい抵抗などものともせずに、べろりと榊の右耳を舐め上げた。
「ひやぁっ!」
いきなり耳を伝った生温い温度に、榊の背がざわりと粟立つ。思わず腹に回っている杉忠の腕を掴んだ。
その間にも耳を舐め回され、知らず力のこもった指先が杉忠の腕にかすかな爪の後を残す。
「〜〜〜〜な、何が手当てだ馬鹿杉忠っ……!」
「傷はねぇみてぇだが、ま、消毒ってことで」
「んっ!」
ついでとばかりに耳たぶまで甘噛みされてしまう。
それは消毒なんかじゃねぇー! と叫びたい衝動に駆られたが、口を開けば妙な声が出てしまいそうで、榊は必死で口をつぐんだ。
悔しいことに杉忠の言った通り、榊の性感帯は耳であるらしい。
「す、杉忠〜〜もういいだろ、いい加減離せっ……」
「んー」
ちょっと休憩とばかりに榊の肩口に顔を埋めた杉忠は、しかしどうやら離す気は毛頭ないらしい。
いつの間にか両腕でがっしりと榊の腹に手を回して、長期戦の構えだ。
「すーぎーたーだー」
「……悪い、榊」
「あん?」
「ちょっとした冗談のつもりだったんだけどなー。……我慢できなくなった」
「へっ!?」
言うが早いか、気付いた時には榊は天井を見上げる格好になっていた。背中も頭も痛くなかったのは杉忠がきっとさりげなくかばってくれたのだろう。
強引なくせに妙なところで優しい幼馴染の顔は、逆行のせいだろうか、いつもとは違う表情に見えて。
――強い力で抑えつけられているわけではないのに、榊は動けなくなった。
知らない表情なのに、ずっと前から知っていたような気がするのはなぜなのだろう。
いつも軽口ばかり叩く口がゆっくりと自分に向かって下りてくるのを見つめながら、榊は自然にまぶたを閉じて――――
「さっかきーー! お腹空いたヨー! そろそろかえろー!」
スターーンッ! と小気味いい音を響かせて部屋に飛び込んで来たのは、五徳猫とメガネヘビだった。
「……んーと。なにしてんの?」
ちょん、と首をかしげた五徳猫は、なぜ榊が真っ赤な顔でいるのか、なぜ杉忠がふすまを突き破ってひっくり返っているのかが分からない。
「な、何でもない何でもない! 腹減ったんだな、さ、帰るぞー!」
榊はあわてて五徳猫を抱き上げると、メガネヘビをともなって、杉忠の部屋を飛び出した。
「どしたのー、さかき?」
「……何でもねぇって」
そう、何でもない。大したことじゃないはずだ。あんなのは、杉忠のほんのいたずらで……。
そう思うのに、じゃあなぜあの時、自分は目を閉じてしまったんだろう、と榊は思う。雰囲気に流されかけたというにはあまりに自然過ぎた。
……もしかしたら自分は、心のどこかでこうなることを分かっていたのかもしれない。何もかも、知っていたのかもしれない。
杉忠が自分をどう思っているかなんて、自分が杉忠をどう思っているかなんて、本当は――
榊はふるりと首を振った。
今はまだ、気付かないふりをしていたかった。
気付かないふりで、逃げられるうちは、まだ。
■□■
――走り去っていく足音を聞きながら、杉忠はどっこいしょ、とふすまから起き上がった。
ぺしぺしと自分の頭を叩きながら、ちょいと強引すぎたかなー、と反省する。まあ、謝る気は毛頭ないのだが。
あの様子なら、もう2、3度押せば、榊は杉忠の手の中に転がり落ちてくるだろう。
そう、結局榊は身内に甘いのだ。榊には悪いが、それを最大限に利用させてもらおう。――我慢もそろそろ限界だ。
もう何年越しになるか分からない片思いが近いうちに成就するだろうことを感じながら、杉忠は笑う。
積もり積もった想いは、いつしか淵のように深く、深く。
気付かないふりをしているのは、分かっていたが。
悪いな、もう逃がしてやるつもりはねぇんだ。
大好き怪異いかさま博覧亭の、しかも杉忠×榊ですよ
拝見した際一人PCの前で万歳三唱してました(アホです)
そしてさりげなく光る杉忠のハゲ頭が素敵過ぎます(笑)
いかさま博覧亭は出てくるキャラは全部大好きなのですが、
管理人として大好き組み合わせがこの二人だったりするので
滅茶苦茶(本当に心の底から)嬉しい限り。やほーい♪
籐花さま、いつもいつも素敵な作品をありがとうございます〜!