そのことは、自分だけが知っていればいい。
自分だけが知っていればいいのであって、他の誰か、ましてや当の本人とてそのことは知らなくていい。
「邪魔なんですけど」
小さな行燈のほのかな明かりの中、身支度を邪魔され隠しもしない呆れを伴って左近が呟けば、それが向けられた相手はただ首を傾げ。
けれど背後から左近を抱きこむ腕の力を弱める事はなく、むしろ更に強めることで説明を促した。
「これ、緩めてもらえませんか」
「嫌だ、と言ったら?」
「まずはこの腕を抓って差し上げましょうか」
「それでも嫌だと言ったらどうするね」
「もう二度とこうする機会は差し上げあげませんと断言しますよ」
「………」
まずは戯れに付き合って、けれどきっぱりと過ぎた行動を拒絶してみせる左近に、窘められた相手はいかにも渋々と言った様相で腕の力を弱めてみせて。
それでも決して解かれる事のない腕にため息を零すと、左近は中断させられた身支度を諦め、自分を抱きこむ相手に思い切り体重をかけて寄りかかった。
「いつも思うんですけど」
「うん?」
「アンタ、そうやるの好きですねえ…」
「そりゃあそうさ」
左近が自分から寄りかかったことにより、相手がより一層好きなように抱きこむ事が出来るようになったためか。
肩口に顎を乗せ耳元に唇を寄せて、去ったばかりの熱を呼び戻すように囁くそれは。
「アンタを捕まえておくことも、さっきみたいに俺だけに溺れさせることも。こうしていれば思うままじゃないか」
「……本気でこれが最後にして欲しいんですか」
「はっはっは、本気なんだがもう一つ。…これだとなんだかんだ言いながらも、アンタが俺を甘えさせてくれるから止められないのさ」
「……………いつもの事ながらアンタは本当にアホですよね、慶次さん」
抱きこんだまま肩口に顎を乗せて、耳元へ息を吹き込むようにくつくつと笑う慶次の頭を、左近が背後に向かっての窮屈な態勢でペシリと叩けば。
慶次はその仕草にすら笑いが込み上げてくるのか、緩めていた腕の力を元に戻してしまう。
「慶次さん?」
けれど。
戯れに肌を重ねるだけの相手だったなら、特に感じる事はなかっただろうそれは。
強引ともいえる押しの中にうっかり乗ってしまったとはいえ、気付いている相手がはたしてどれだけいるのか判らない彼の深淵を感じ取っていた左近にしたら、異変ともいえる何かを読みとってしまう。
「……」
「え、ちょ、っと、慶次さん?」
多忙を極める左近の疲れを見計るかの如く、松風に乗った慶次が攫うように逢瀬に連れ出すことも。
そして逢瀬の後に、散々乱れた事など微塵も見せずに左近がすっと一線を引くことは、今に始まった事では無くて。
名残惜しさを隠そうともせず、けれど邪魔をせずに左近を見送る事が常だったはずなのに、今回に限っていつまでも離れようとはしないから。
「どうしたね?」
「え、どうしたって…こっちの台詞ですが…まあ、いいですけど」
不穏な空気が、至るところを覆い尽くしているこのご時世。
何処でどんな事が起きてもおかしくないからこそ、己の主の為に左近が命の危険を承知で方々から得ている以外の何かを、奔放を具現化したような慶次が得ていてもおかしくはなくて。
けれど慶次が得ているらしい確証すらないモノに対して、左近の何かが知るべきではないと暗に自分の口を戒めれば、慶次は直ぐにそれを悟り、耳元へ寄せていた唇でそのまま耳朶を食み始めた。
「ちょっと、何やってんです」
「何って、続きだろ?」
「あれだけやっといてまだ足りないっていうんですか、俺はもうたくさんですよっ」
「あっはっは、まあ、たまには俺に付き合いなって」
「自分の体力を基準に考えるなってんです…うあ!」
「大丈夫大丈夫、アンタなら十分付き合えるさ」
「こうなるからアンタを甘やかすのは嫌なんですよ、全くッ!」
肩越しに自分の頭を叩いていた手を掴み、逆に身動きを取れないように封じて背後から顎を掬ってしまえば。
流されるしかない現状を理解はしても、納得はできない左近の口から抗議の言葉が飛び出すのは道理。
「アンタはもう少し、自分そのものを省みちゃくれないかねえ…」
「は…あ?」
「いいやこっちの話だよ。それより今ここに居るのは俺とアンタだけで、他にはなぁんにもありはしないだろう?だから、好きなだけ啼いて叫んで日頃の鬱憤やら何やら全部置いていきな」
「俺が何…う、あっ…!」
言葉にしない慶次の何かを悟ってしまった左近が、抗議はしても抵抗をせずに好きにさせてしまえば、それは続きを促す事以外何にもなくなってしまって。
そのまま呼び戻される熱に溺れる直前に、慶次が囁いた言葉の意味を掴みかけても捉えきれずに直ぐにそこに堕ちてゆく。
「殿さんの為に命を懸けてる、それは全然構いやしないんだけどねえ」
主の為にであれば、自分を餌にすることすら厭わない姿にではなく。
そう遠くない未来に起こるであろう戦で、この島左近という存在の意味を一番理解しているのが、敵方のかの人物であるだろうと知れば考え付くことは一つしかなくて。
その中心にいない慶次だからこそ、廻り廻って必要なく知ってしまった左近の危険を伝えるべきか否か。
「…だからって、探りを入れる相手は誰でも良い訳じゃないし、俺としては出来る限り選んで欲しいのさ」
ただ、その相手を選んでほしいのだと。
行燈の小さな明かりの中再び左近を組み敷く慶次が、その実とてつもない焦燥感を抱えていた事を知っているのは、宵闇の中全てに等しく穏やかな光を注ぐその月だけ。
【月だけが知ってる・完】
…これの根底にあるのが戦国クロニクル2ndの柳生イベントですって
わざわざ説明しないと意味が通じないよなー…というか、多分
説明しても通じてないかも感がまたしても否めません。大反省。
UPまでが久々過ぎて最早タグすら打ち方忘れてて四苦八苦しました。