扇、遙かなる君 幸村編





今日という日は、主を失ったこの方にとってとても大切な日。
真の天下泰平がなされ混乱が治まりを見せ始めていたある日、ぽつりとそう呟いて、すぐ側に自分が居た事に気付いて、すまんな、と笑いながら何気ない様を装っていたけれど。
失った日ではなく、あの方を得た日を大切にしているこの人が、自分にはいつになく酷く儚く見えた。


何を謝られるのですか。
あなたは、一体何を私に詫びる必要があるのですか。


珍しく流されず誤魔化されずに言葉を紡ぐ私に驚いたのか、少しだけ目を瞬くその姿が自分の目には眩しくて、何故か赤くなる自分の頬に戸惑いつつ、私は尚もこの方へ言い募る。


聞かせて下さい。
あなたと、あの方のお話を。
どんなことでも良い、どんな些細なことでもいいのです。
理由なんてない。
私はあなたの口から、友であったあの方の話を伺いたいだけですから。


強く言い切る私の口調に驚いたのか、心持ち及び腰で頷いて、それでも何処か視線を泳がせるこの人にとって、本当はいまだ癒えぬ大きな傷のままだと判ってはいたけれど。


私が知らないあの方の話を沢山聞かせて欲しい。
あの方は、あなたのことを一番に案じておられた。
だから、あなたが穏やかに健やかに暮らせなければ、あの方は決して喜ばない。
一人で抱え込むから辛いのです。
こういう時は目を逸らさず、あの方を知る者と思い切り語らうのが良いのです。


乗り越えた、なんてそんな自信はないけれど。
一度同じ痛みを『受け入れた』自分の言葉は、相手にはきちんと意味なして伝わったようで。
暫しの逡巡の後、香の煙にでも言葉を乗せたら殿のところに届きますかね、と苦笑して見せるから、自分は精一杯、これでもかと力強く頷いて見せた。




「まさかお前さんに諭されるとはねえ」




懐から正直この方には不似合いな扇を取り出し、あの方の好んだ香を焚き染め、上る白い煙をじっと見つめ。
俺を置いて一人で逝きやがってこの野郎、それもこれも全部アンタのせいですよ、と、少々物騒な言葉を呟いて。




「なあ、幸村」
「はい?」
「お前さんの中にちゃんと信玄公は生きてるんだな。…俺の中で殿が生きているように」




諭し方がそっくりだったぜ、なんて不意打ちで笑って見せるから。
そんな褒め方をして。
器用なはずのあなたが不器用に確かめるなんて。
あなたの中にだって、お館さまもあの方も『想い』という名で生きていらっしゃるではありませんか。



ああ、もう。
密かに励ますつもりが、うっかり私の方が励まされてしまったのは多分気のせいじゃない。



【扇、遙かなる君 幸村編・完】


繰り返しますが、みつさこ前提。間違ってもさこみつじゃない第二弾。
そして突っ込まれる前に言うけどこれはゆきさこ。幸+左でもいいけど。
しっとりと〆るはずが、最後にお館さまを出したらうっかり続きそうに…。
武田時代の左近をあれこれ想像するのが好き過ぎるせいですかそうですか。
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