結局何も変わらない


にっこにっこにっこ。


そんな効果音が背後で鳴っていそうな様子で自分の前に居る大男に、島左近はそれはそれは大きなため息をついていた。

「何だい左近、随分と辛気臭いじゃないか」
「……誰のせいだと思ってるんですかねえ」

辛気臭い、と言われた左近は顰め面を隠そうとはせず、それでもその場から動く事はなくて。
むしろ動きたくても動けない状態にまた大きなため息をついて、この状況を打破してくれる人物が居やしないかと(内心で)懇願中だった。

「これが左近限定の眼鏡ねえ、面白いもんだ」
「面白いって…これを作って頂いたのは俺だけじゃないでしょうに。片倉殿なんぞ元々掛けていらっしゃるし、特に面白いものでもないと思いますがねぇ、慶次さん?」
「何変なこと言ってんだ、俺はお前さんが掛けてるのが面白いんじゃないか」
「……さいですか」

目の前に居る大男が天下の傾奇者である前田慶次である以上、そんじょそこらの相手と違い適当な駆け引きが通じるはずもなく。
大きな体躯に似合った太く長い指が己の眼鏡に掛かっても、それを少しずらして目を覗き込んできたり、そのまま縁の柄や色をまじまじと眺めているものだから、自分が動いたことで壊れる可能性があると判っているから動くに動けないのである。
しかしいくら(主に己の主のお陰で助長された)懐が広く深い左近としてみても、何が悲しくて大男が二人、超がつく至近距離で顔を突き合わせている(見ようによっては物悲しい)この状況に、そうやすやすと甘んじる事が出来るはずもなかった。

「ほら慶次さん、いい加減退いちゃくれませんか。こんなところで油を売れる程俺は暇じゃないんですよ」
「まあまあ、殿さん同様、お前さんはちょっとは息抜きをした方がいいんじゃないかい?」
「俺は殿と違ってちゃんと息抜きをすることが出来ますんでご心配なく。それに…」
「それに?」
「今は自分のご心配をなさった方がいいかと、左近は思いますけどねえ」
「はあ?」

眼鏡にかかったままだった慶次の手をぺちりと叩き、無言で元の位置に戻すよう促す左近は、内心こっそり懇願していたことが天に届いたと安堵して。
しかし慶次はこの状況で左近の態度が理解できず、眼鏡から手をどけても左近との身長差の為少し身を屈めた至近距離のまま、まるで子供のように「ん?」と首を傾げたところで身を持って左近の言葉の意味を知る事になる。

「こンの馬鹿!!」
「あだっ!!って、お、叔父御…」
「テメェ、慶次!お前また左近に悪戯してやがンのかっ!!」
「い、いやあ…珍しい左近を見てたら、つい」
「つい!じゃねえ!!」

左近に気を取られていた分、珍しくも背後に隙を見せていた慶次は、背後からいきなり脳天に一発きつい拳を食らって息を詰めて振り返れば。
その慶次の背後からがしっと両肩を懇親の力で鷲掴みにし、間髪置かずにぎりぎりと指を食いこませて唸っているのは、慶次が頭が上がらない(でも悪戯はする)数少ない相手の前田利家。
怒鳴られるだけなら馬耳東風な慶次でも、その悪戯が過ぎて今では対面すればまず問答無用で一発叩かれるのが恒例となっているからか、珍しくも少し慌てた様子でこの状況を誤魔化そうと半笑いになっている。

「お、叔父御、肩の指、ちょっと痛いんだがね?」
「テメェにゃいい仕置きだっ」
「あだ、あだだだ、ちょ、叔父御本当に痛…っ」

慶次越しに見える利家の米神には青筋が浮かんでいて、しかも慶次が呻くくらいだから常人ならば肩が外れるか骨が砕けるかするんじゃなかろうか。
超至近距離で前田家の力関係を見せられている左近は、これまた珍しくも痛みに顔を歪めている慶次をみて本当に痛そうだとは思うものの。
これに巻き込まれてはたまらないし、そもそも自分に非は微塵もないのであえて無言で経過を見守っている。
…というか、ぶっちゃけ良い薬だと笑顔になっているのは気のせいではないだろう。

「いっつもうちの馬鹿甥っ子が迷惑掛けて済まねェな、左近」
「あ、いえ、ははは…」
「今日はキッツく仕置きしとくからよ、勘弁してくれな」

そして何処までこのやり取りが続くのかと、いい加減傍観するのもな…と左近が思っていたところで利家が動いた。

「うお!?何すんだい叔父御っ」
「やかましい!デケェお前を引き摺っていくにゃ骨が折れるが、幸いこれが一番だ」
「……………お気をつけて」

慶次の肩に食い込んでいた利家の指が漸く外された…と、そう思った瞬間。
今更ながらに左近に詫びるその利家が、慶次そのものと同様に存在を主張している仁王襷にいつの間にやら二本槍を通し、大荷物よろしくずるずると慶次を引き摺り始めたのた。

「叔父御、流石にこれは…っ」
「黙れ慶次、今日はまつからも説教してもらうからな、覚悟しとけ!!」
「えええー…」

逃げたいのならばその引き摺られている原因である仁王襷を外せばいいのでは?と一瞬思うが、考えたらあれは結んであるのではなく、結ばれているものを嵌めて着ているんだったかな…と、目の前の騒動から逃避するように思考も視線も逸らす左近は。
この騒動の中、いつの間にか傍に来ていた己の主に気付き、ああ、天に声が届いたのではなく、この人に助けられたのかと瞬時に納得してしまった。

「殿、助かりました」

感謝の意を込めて左近が破顔すると、相手である石田三成は遠方に去っても(元の大きさが大きさなだけに)未だに視界に捉えられる慶次に一瞥をくれて左近に向き直る。

「ふん、前田殿がすぐに見つけられたから良かったものの、お前はいつもいつもあれに対して隙が多すぎると何度言わせるのだ」

あの慶次相手に隙がどうこう言われても困るというか、正直あんたも似たようなモンでしょうが。
…と思いはしても、聡い左近が笑顔のまま無言を貫いたのは、勿論この主が慶次に対抗して暴走し始めるのを防ぐためである。

「ところで左近」
「はい、何ですかな殿」
「…………は、どうだ」
「はい?」
「だから!俺の眼鏡はどうかと、そう聞いている!」
「いきなり何を仰るのかと思えば……似合ってるに決まってるじゃないですが」
「俺が似合わぬはずがない……ではない!お前から見て、俺の眼鏡はどうかと聞いているのだっ」
「…………えー。えーと………ははは」
「似合わぬか」

左近としては似合っていると思ってはいるのだけれど、真っ向から聞かれると照れが勝って流石に答えにくく。
しかし笑って誤魔化そうとしたらまさか主が項垂れしゅんとするとはついぞ思わず、どうしたものかと一瞬だけ固まったのが悪かった…としか思えない。
でも機嫌が急降下した主を前にそのままにも出来ないのは、その志にとはいえ先に惚れた方が負けなのか。

「いや、その…似合っていると、思います、よ?」
「何故疑問形なのだ」
「うわ、いきなり顔を上げないでくださいっていうか、こっち見んでください!」
「だから何故だ」

先ほどどれだけ慶次に超至近距離で覗きこまれようと動じなかった左近が、三成相手に覗きこまれないように顔を背けて答えるものだから、三成としては当然気にいるはずもなく。
主従関係もあって、自分が(余程の無理強いをしない限り)こちらを向けと命じれば、左近は顔に手を当てたまま、それこそ渋々振り返るのだけれど。

「……左近?」
「だから見んでくださいって…」

眼鏡が邪魔をして完全に顔を隠しきれないその表情が、普段あまり表に出す事のない赤く染まった照れの表情だっただけに、急降下していた三成の機嫌が急上昇したことは瞬時に知れた。
「そうか、それほど似合っているか」
「俺はそんな事言ってませんけど」
「お前の顔を見れば判る」
「〜〜〜〜っ!!」

普段言いくるめられるばかりで、このように口で自分が優位に立てる事が少ない三成は、こちらも滅多に見せない歓喜の表情でここぞとばかりに左近を覗き込んで自分の眼鏡姿を納めさせ続ける。



「と、殿、お似合いなのは左近も認めますし、それに元が良いんですからもういいでしょうっ」
「馬鹿者、俺が美しくて眼鏡が似合うのは当たり前だ。むしろそんな俺を見て照れるお前をもっと見せろ」
「何でそうなるんです?!」



慶次がらみの災難が去ったと思いきや、まさかこんな事になるとは思っていなかった左近は、珍しくも狼狽えて逃げようとするもやはり三成に捕まって。
このままだとどう転んでも身の危険が迫っていると感じた左近は、なりふり構って居られるか!と脱兎のごとく逃げ出すものの、余計(いつもの左近構いたい病が)発症した三成が追いかけてくるのは必至。




「……ああ、また左近殿が三成殿に追いかけられている……」
「なんじゃ幸村、島を助けるならば手を貸すぞ」
「はあ…でも今回はちょっと…」
「……そうじゃな」




戦よりも必死な形相で三成から逃げる左近を見かけた幸村と、その傍らで(こちらも幸村の眼鏡姿に満足そうに)佇む政宗だったが。
いつもと違い、左近の表情が心底嫌がっているというよりも、滅多にない赤く染まった顔を見られないようにしている姿をも認めてしまったから。
下手に巻き込まれて面倒な事になるくらいならばと、二人を見かけて唖然と見送る他の人間同様、余程の事がない限り傍観を決め込もうとどちらからともなく頷き合うのだった。



【結局何も変わらない・完】


いつもお世話になっております夕月夜の夕月様へ、お誕生日のお祝いにお贈りしました。
左近の右側は勿論基本的な好みが一緒なので、書いてて楽しかったです。
むしろ景勝様を詰め込めなかったのが心残りというか…!
とにかくお誕生日おめでとうございますー(ぱちぱち)
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