堕ちる前に 

自分の城も、土地もない。

私が求める義の心を慕い集った者達も、今の私からは失われてしまって。





この惨めな私にあるのは、ただの私を助けてくれる義弟達だけ。





それもかの人の下へ身を寄せるようになって、自由に逢えなくなってしまった。




「玄徳。碁でも打たぬか?」
「曹操殿」

何も出来ぬまま無駄に日々を過ごしている私に、この人は何故かこうして暇を見つけては会いに来る。
多忙を極めている日々でも、こうして、私だけに会いに来る。

「また夏侯惇殿の目を盗んで此処にいらしてのではございませぬか?」
「そうじゃ。それが如何した?」
「……お戻りくだされ。夏侯惇殿がまた怒鳴り込んで……」
「大丈夫じゃ。あれはしばらく帰って来ぬ」
「は…?」
「そなたの義弟、関羽と手合わせをいたしておる。他にも武将達がおったからな、暫くはあそこから動けぬぞ」
「……………そそのかしたのですか」
「人聞きの悪いことを申すな。日頃の鬱憤が溜まっておったようなのでな、良い汗でも流してみよと言ったまでよ。
………関羽ほどの猛将との手合わせなら、本気を出さざるを得まい、とも申したがのぅ」

声は、笑っているのに。
その、私を真っ直ぐに見つめる、鷹のように鋭い双眸は冷酷無比の名の通り冷たく光っている。

「だから玄徳よ、儂らは静かに碁でも打とうではないか」
「……は」

有無を言わせぬその口調。
私はただ、従うしか、ない。

「大丈夫じゃ、取って食おうなどとは思うてはおらぬ」
「…………約束して、下さいまするか」
「そのようなことをして何の得がある。
そなたは儂の輝石にはならぬ男よ」

そういって嬉々として石を置き、私は仕方なしに自分の石を置いてゆく。


ぱちり、ぱちりと。


不規則な音を立てて、碁盤に石が増えてゆく。


「……玄徳よ、そのようなところへ置くつもりか?」
「……あ………い、いえ、失礼いたしました」

どうしても身が入らず、上の空で打った手は見事なまでに負けの一手で。
心非ずな私の心を曝け出してしまった。

「随分と難しい顔をしておるな。儂と碁を打ちながら考え事か?」
「申し訳ございませぬ」
「まぁ良い。そちも今の境遇に嘆かざるを得ぬ日々であろうからな」
「……私は……」
「良いと申しておる。……いや待て、少し面白いことを思いついた」

急に何かを思いついたと言う彼に手を取られ、なす術もなく引き寄せられ顔を近づけさせられて。
その双眸に映る私は、情けないほどに怯え恐れている。

「すまぬと思うておるのなら、次の一局は儂と賭けぬか、玄徳よ」
「賭け…ですか」
「そう、賭けじゃ。
儂が勝てば、そなたの大事な関羽をこの儂に。そなたが勝てば、この儂はそなたのものに」
「なッ……!!」



何を言っているのだ、この方は。
何を、一体何を。
なんということを、言っているのだ!?



「ご冗談が過ぎまするぞ、曹操殿!!」
「冗談?儂はそのような戯言は好かぬわ」
「ならば余計にそのような事はおっしゃられてはなりませぬ!!」




手を取られ射すくめられながらも、そのあまりにも考えなしな提案に私はなけなしの抵抗を見せた。



冗談ではない。
義弟は…私の大切な雲長は『モノ』ではない。
そしてこの方も然り。
それを、この方は。それを、この人は!!
私が何故憂いているのかも気にも留めないこの方は、そのようなことを言うのか!?



「……その目だ」



私が睨みつけた一呼吸後、彼はふっと小さく笑みを浮かべて。



「………何を……言って……」
「その目がいい、玄徳よ。感情を押し殺して暗く澱んだ眼より、その怒りに染まった生気に満ちた目が良い。
慈愛と義に満ちた瞳以上にそなたにはその怒りの色が似合う」



………………呆気に取られる私の額に口付けた。



「また、私をからかっておいでなのですな…」
「違うと、言ってほしいのか?」
「……………」

何も出来ず、取られていない方の手を碁盤について身体を支えていると、この方の冷たかったはずの双眸は、今度は打って変わって想像できぬ程に優しい光を湛えている。




………息が、つまる。
見つめられて、息が。
とても、とても、息がつまる。




『何処だ孟徳!!また劉備のところか?!』
「……ちっ……予想以上に早く切り上げてきたな」




そんな私を救ってくれたのは、図らずもこの方が逃げてきた夏侯惇殿。
足音だけで怒りを露にしている彼がやってきたことを知ると、この方は何事もなかったように私の手を離し、寛いだ様子で碁盤の前に座りなおしてしまった。

「孟徳!!」
「やかましいぞ、元譲。儂らは真剣勝負の真っ最中なのだ、静かにせんか」
「おまえは!!」
「儂は真剣勝負を仕掛けておるのだ。せっかくのところを邪魔しおって、けしからん」
「………お戻り下さい、曹操殿」
「ふむ…嫌われてしまったか」

決して夏侯惇殿の肩をもった訳ではなく、これ以上この方に此処へ居られたら、私はどうにかなってしまいそうで、それが怖くてもう一度「お戻り下さい」とだけ口にした。



「…………う………ッ………」



そして彼が渋々此処を出て行った後、私は残された碁盤の上に突っ伏して込み上げる嗚咽を堪えた。



逃げなければ。

早く、逃げなければ。




読めぬ心のあの方の罠よりも、それよりも性質の悪いものから捕らえられてしまう前に。




早く、早く。

義弟達が気付いてしまう、その前に。

早く、早く、早く。







あの方に口付けられて、早鐘のように激しく鼓動を打つその想いが私の心を染めてしまうその前に。






【堕ちる前に・完】



無双4をやっているうちに、なんだかぽっと思いついたので
ひよさんとこんぺきさんに半ば押し付けるように進呈させて頂いた、
甘さの欠片もない曹操×劉備(そこはかとなく関劉風味)。
…夏侯惇と関羽を出さずに曹操×劉備書けんのか、私は(汗)。

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