金が日向の事務所にお泊りをした翌朝。
「皆さんに大変ご迷惑をかける、しまシタようで…」
金が(何ともあっさりと)元に戻っていた。
「良かったですね、金さん」
「元に戻ることが出来て何よりだ」
「…つまんねぇ」
元に戻ったとの連絡に駆けつけた小夜とロジャーは金が元に戻った事を純粋に喜んでいるが、光太朗といえば明らかににじみ出ている不満を隠し切れずにいた。
「コウ、いくらなんでもそれはないだろう」
「だってよぉ、せーっかく(近所のガキから)おもちゃ借りてきたのに、たった一晩所長のトコ泊まっただけで元通りになっちまってさ。何のために借りてきたのか判んねぇ」
と、光太朗は空の水鉄砲を撃つフリをしながらそう言うが、手を上げて撃たれるフリをしてみせるロジャーにはそうは見えない。
光太朗のその声音には出番のなくなった玩具を残念に思うより、金が元に戻ってしまったことに対する不満の色が強く出ているような感じがするのは気のせいではあるまい。
「でも金さん、なんだか体調が優れないように見受けられるのですが…」
「エっ?」
いつもなら来客に対してやれお茶だ何だと動いている金が、何故かソファに座ったままでいる。
「は…はは…」
「やはり何処か優れないのでは?」
大丈夫だとも言い切れずに金が言葉に詰まっていると、小夜はふみこに連絡を取るかと更に気遣ってきた。
「小夜ちゃん、金はまだ本調子じゃないだけだから心配ない」
「でも…」
「オゼットには連絡してあるんだし、その上で遅れてくると言うんだ。だから心配はいらんよ」
「わかりました」
「……」
「……」
符に落ちないながらもふみこには連絡済みだからと言われて引き下がるあたり、小夜にとっても彼女に対する信頼は厚いらしい。
「……」
「……」
なお、事情を察した残りの二人は賢明にも口を閉じている。
(おのれー…)
(おのれー…)
懸命に黙ってはいたのだが、日向をにらみ付ける眼差しは鋭かった。
「そういえば…精神が若返ってしまっていた時の事は、何も覚えてはいらっしゃらないのですか?」
静かに繰り広げられている攻防(?)に気付かず、金の代わりに全員に日本茶を煎れながら小夜が問うと、金は「スミマセン」と微苦笑で肯定の意を表してみせる。
「何一つ覚えてないみたいだぞ」
昨夜(文字通り)取り込み中のどさくさに紛れて日向が確認した時は、金はきれいさっぱりと忘れていた。
「私、皆サンに失礼なコト、しませんでしたカ?」
「いえ、取り立ててはなにも…」
「つまんねぇーっ!俺が散々遊んでやったのに、キンさん忘れたのかよ!!」
別段被害のなかった小夜が、何もなかったと言いかけるのを遮って光太朗が叫んだ。
「ス、スミマ…」
「NO!…俺達へのキスも忘れたのか、大正殿っ」
「へっ?キ、キ、キ、キスッ?!」
しかもロジャーからは(かなり要約してあるが)衝撃的な事を告げられて、金は日向に助けを求めるように裏返った声で問い返す。
「確かにしていたことはしていたけどな。子供が親にするみたいなモンだ、心配しなくてもいい」
「デモ…」
「それに」
「エ?」
「こういうことはしていない」
「!!」
細い瞳を目一杯見開きソファに座って自分を見上げている金の顎を掬い、警戒する隙も与えずに日向は薄く開かれていた金の唇を素早くかすめ取った。
「!?」
「貴様ッ!」
今まで子守(え?)をしつづけていた光太朗とロジャーは、反射的に日向を排除しようと飛びかかりかけて…。
「…典雅さが足りないわよ、あなたたち」
いつの間にか事務所の中にいたふみこの、呆れまくっている冷めた声音に、その動きを止めるのだった。
「あの、ふみこさん。何事かあったのでしょうか?」
しかもふみこがうまい具合に小夜の視界を塞いだお陰で、日向は彼女からの非難と制裁を食らわずに済んだ。
何せこの三人の中で最も容赦がないのが、この一番小さな小夜だからだ。
「ちょっとね。あなたまで感化されたら嫌だと思って」
「え?」
「なんでもないわ」
固まっている日向と光太朗とロジャーに無言で金から離れるように促してから、ふみこは小夜の視界を閉ざしていた帽子を外す。
「さてと。…とりあえず良かったわね」
そして座ったままカチカチに固まっている金に近づき、意外とも言える優しい仕草で彼の頬を撫でた。
これによりまた金は固くなり、今度は顔を真っ赤にしてされるがままになっている。
「ちょっと待てオゼット。とりあえずってのは何だ、とりあえずって言うのは」
だが日向は何かひっかかるものを感じ、警戒しながらその意味を問いた出す。
「そのうち判るわ」
「え?」
「どういうことだよ、ふみこたん」
「何事か?」
意味ありげに微笑むふみこの様子に、光太朗とロジャーも何やら薄ら寒いモノを感じたらしく、心持ち金を庇うように詰め寄った。
この時、三人は金に向けて背を向けていた。
そして逆に向かい合う形になっていたのは、その三人に詰め寄られていたふみこと、彼女から遮られていた視界が開けたばかりの小夜の二人。
「………っ!!」
だから、一番最初に『それ』に気付いたのは(ふみこを除けば)小夜だった。
「あ、あの、ふっ、ふみ、ふみこさん、」
「どうした、小夜ちゃん」
「小夜たん、どうしたんだよ?」
「巫女姫殿、如何なされた」
小夜が息を飲む程に驚いている様に、日向達は心配と同じ大きさの驚きをもって声をかける。
「ふみこさんっ!ふみこさん!?」
しかし小夜の方は彼らに返事を返す余裕すらなく、自分の隣で『それ』を目の当たりにしながらも、全く動じる気配のないふみこに説明を求めていた。
「おいおい、どうしたんだ」
「小夜たん、ホントにどうしたんだよ」
「魔女殿、これは一体何事か?」
「小夜サン、一体どうしたデスか?」
「っ?!」(×3)
だか、すぐに残りのメンツも小夜と同じように息を飲むはめになってしまった。
「やっぱりねぇ…」
もう言葉が続かなくなってしまったのか、酸欠の金魚の如く口をぱくぱくとさせている小夜を尻目に、悠然とした態度を崩さずに呟くふみこ。
「………」
「………」
「………」
「…エ…?」
日向等三人がおそるおそる背後の金を振り返れば、それにより小夜が一体何に驚いたのかをしっかり目の当たりにしてしまい、自分達も言葉をなくしてしまう。
そしてそれと同時に今しがた自分達の耳に入ってきたモノが、聞き間違いでも何でもなく現実であることを証明してしまった。
「…き…む?」
「ハイ、どうかしたデス…か…って、…エ…?」
それでも何とか日向が(絞り出すような声音で)口を開けば、呼ばれた方はすぐに返事を返す…のだが。
「エ?エ?エェッ!?」
何故か己が口を開くと同時に聞き慣れないカン高い声がこぼれてしまい、慌てて喉を押さえて金は何度も何度も声を出す。
一人焦る金に対して、(ふみこを除く)残りの面子はかける言葉も見つからずに、ただオロオロするばかり。
そして。
「………ひっ」
何度声を出しても聞き慣れた己の声音にならないばかりか、喉に当てていた手にも違和感を感じて息を飲む。
「………」
そしてその手の違和感が夢であることを願って、ゆっくりと恐る恐る、腕、足の方へと順に視線を移して行って…。
「アイゴー…」
見間違いでもなんでもない事を知った途端、魂が口から抜けるように力なく一言だけ呟くと、金は現実から逃れるように早々に意識を手放してしまった。
「金ッ!」
慌てて日向が手を差しのべると、金の身体は文字通り「すっぽり」その腕の中に収まってしまう。
「オゼット!!これはどういう…」
くたっとしている金の身体を抱き締め、日向はたった一人現状を把握しているであろうふみこに説明を求めたところ。
「今やっと効いてきたみたいね」
「は?」
いたって普通に言葉を返されて面食らう。
「ふみこたん、なんだって?」
このメンバーで一番適応能力に長けているであろう(推定)光太朗が、日向に助け船というよりは純粋に己の好奇心を満足させる為に加勢したのだか…。
「若返りの効果がやっと出てきたのよ」
「そんなん見れば判る!」
という、取って漬けたかのようにさらりと堪えられて、さしもの光太朗も堪忍袋の緒が切れた。
「…巫女姫殿、大丈夫でゴザルか?」
固まっている小夜を気遣うロジャーの視線の先には、着ていた道士服に埋もれるようにまで身体が縮んでしまった金の姿。
「………金さんが………金さんが……」
小夜はどうやら金が縮んでゆく様を目の当たりにしてしまったらしく、ロジャーの問いかけにも生返事をするばかり。
「巫女姫殿…」
これにはさしもの小夜も、驚きに茫然自失状態になっているのだろうと思っていたのだが。
「…………」
「巫女姫殿?」
だが、何かが違う。
「……」
「なんで所長がキンさんを抱えてんだよ!ガキの世話なら俺の方が得意だ!」
「これは俺のだッ」
「寝言は寝て言いなさい」
「そもそも金がこうなったのは、お前のせいだろうがーッ!」
気を失った金を抱えながら『見るな触るな!これはオレのだ!!』と、ふみこ(と光太朗)に向かって牙を剥いて威嚇しまくる日向の方へ、小夜はふらりと近づいて行く。
「巫女姫殿?」
小夜まで日向の威嚇の対象になっては不憫だと思ったロジャーが、彼女を引き戻そうとしたのだが。
「あのっ!」
日向の威嚇にうんざりしているふみこの隣に立って、彼と向かい合った小夜の眼差しは何故か異様にイキイキと輝いているように見えた(ロジャー談)。
「金さんは、わたくしがお預かりいたしますッ!」
言うが早いが、小夜はまさに「あっと言う間」に日向から金を奪い取ってしまった。
「へっ?」
「あら。それなら私にも好都合ね」
「ヨシ、じゃあ俺も手伝う!」
「勿論拙者も」
腕の中の存在を、思いもしなかった人物に奪い取られ唖然とする日向をよそに、残りの面子は小夜(と金)を囲むようにしながらゾロゾロとその場を後にした。
「なんで…?」
金を奪われ、一人事務所に取り残された日向の呟きに答える相手はいなかった。
事務所で日向が一人立ち尽くしている頃。
「金さん、これなどは如何ですかっ?」
「イヤアノ、私は小さくなるしましたが、だからと言って仮装をする趣味はナイ…」
「仮装などではなく、着せ替えです!」
「………(滝汗)」
「ではこちらなどはっ?ふみこさんが、わたくしの服を小さくして下さったモノです」
「小夜サン!」
「ねぇ、可愛い小さな坊や。なんなら私のでも良いんだけど…可愛い生徒の頼みを断ったりはしないわね?」
「ふみこサンまで!」
「大正…じゃなくてキンさん、俺のなんか似合いそうだぜ!」
「コ、コータローさんまでそんなことを言うしますカ!大体何故皆さんの服ですカ!」
「大正殿、穏便に済ませるため、ここは一つ巫女姫殿の好きなように…」
「ロイさんまで、あなたのその手に持つは何ですカッ!」
「ワガメちゃんとお揃い」
「馬鹿ァーッ」
小夜の腕の中で意識を取り戻した金は、抵抗空しく生きた着せ替え人形と化していた。
「なんでいつもこんな目に…」
なお同時刻、肝心な日向は(我に返ったあと)一人事務所でイジケていた。
「あら。逃げるなんて感心しないわよ」
「!!」
何とか逃げ出そうとしていた金は、ふみこからちゅっと頬へ口付けられたと同時に抱き上げられてしまう。
いつもならこうなる前に脱兎の如く逃げ出すのだが、小さくなってしまった金が出来る訳がなく。
「後から坊やが絶対に喜ぶコトをしてあげるから、今はおとなしくしていなさいな」
と、違う意味で恐ろしい言葉に氷り付いた。
「助けて下サイ日向サンーッ!!」
カン高い声で叫んでみるも、いじけてしまっている日向の耳にそれが届くのはいつのことやら。
さてはて金(と日向)の運命やいかに。
【大後退・完】