◆都内某場所・日向とふみこ
『…帰る所を捨ててまで此処にいるあいつに、俺がしてやれることは限られているからな』
『だから金を小夜の家庭教師に推したのね?』
『ああ。少しだけでもこれが励みになればいい。
以前のように大勢の生徒に囲まれることは望めなくても、あくまで教えるものとして必要とされていると、そう感じられれば』
『……』
『ヘタに慰めて励ますより、よほど効果が期待できるだろうが』
◆H&K探偵事務所・日向(ふみこ)
金を先に休ませて、明かりを消したままの事務所で。
テーブルの上に、金が持ち帰った小夜の焼き菓子があって。
甘いものが得意ではない日向だったが、金(と小夜)が懸命に作ったそれをつまみながら惰性でタバコをふかしていた。
そんな静寂の中で、それを見計らったように胸ポケットに入れていた携帯が、光だけで音もなく主に着信を伝える。
「俺だ」
『はぁい、オオカミさん。金の様子はどう?』
「…その調子だと、光太郎から話を聞いたみたいだな」
『まあね。で、金はどうなの』
「頗る良好…と言えればいいんだがな。
ちなみにあんたの贈り物は至極気に入ったようだ。良かったな」
『私が選んだんだもの、当然でしょう?』
「たいした自信だねぇ…」
からかうようにそんな言い方をする日向だったが、これでも魔女が金に贈った代物には内心甚く感心していたのだ。
あの後金に、感謝をしているのなら、まずはそれを受け取るべきだと説き伏せて。
『あ…コレ…』
『…なるほどね』
包みを解いてみろと促して、その箱から出てきたのは金にとって、十分に実用的なもの。
金が習慣のように着用している、真っ白な手袋。
『良かったじゃないか』
『ハイ…』
高価過ぎず、そして大変実用的なふみこからの贈り物を金が喜ばないはずがない。
喜びをあらわに自分を見る金を、手袋ごと改めて抱きしめて、ふみこなりの励ましに日向は素直に感謝した。
『あの大きな坊やが望むなら、抱いてあげても良かったんだけれど』
「…憤死するから止めておけ」
『判っているわよ。だから手袋にしたんじゃない』
「あまり金をからかって遊ぶな…」
『ふふ…ま、今の私は機嫌がいいから、あなたで遊ぶのもこれくらいにして。
…金の火傷の件、謝るわ』
「保護者として?」
『そんなところね。
で、私個人として、あなたにお願い。火傷が治るまで、金の面倒を見てやってね』
「…言われなくてもそうするさ」
『後でミュンヒハウゼンに火傷用の軟膏と、それと胃薬を届けさせるから』
「軟膏は判るが…胃薬?」
『そう。胃薬』
なんで胃薬なんか…と言いかけて、ふと脳裏に過ぎった、まさかなという考えを聞いてみた。
「…あの嬢ちゃんの菓子…最初はどんな出来だったんだ…?」
『…だから胃薬を届けるのよ』
そう。
ふみこはあの後万能執事に、小夜の作った産業廃棄物(…)の行方を確認して、少しだけ金の性格を甘く見ていたと舌打ちする羽目になったのだ。
『金ったら、あの炭みたいな焼き菓子の成れの果てを、馬鹿正直に全部食べているはずよ…』
「………」
流石に歯切れの悪いふみこの言葉に、どうりで…、と日向の方も思い切り舌打ちした。
『ちょっと、私疲れたので休みます。
ふみこサンにお礼の電話、後からしますから、出来れば適当な時間に起こして下サイ』
『?ああ、それは構わないが…』
大人しく自分の腕の中にいたはずなのに、ふと力なくそこから抜け出して、挨拶もそこそこに寝室へと引き下がってしまったのだ。
『………?』
その時になんとなく、菓子の甘い香料の香りのなかに似つかわしくない、鼻に衝く焦げ臭い臭いを感じた気がしていたのだが…。
「参ったな、全く」
『…本当にね』
皆の分は、食べるに十分な所だけを用意して。そして金は小夜に気付かれないように、失敗した分を自分で処理していたのだ。
「胃薬、なるべく早く頼む」
『ええ。そのつもり』
それがあまりにも金らしくて、怒りや呆れよりも先に苦笑いが零れてしまう。
「そうだオゼット」
『何?』
「…お前さん、今、楽しいか?」
『ええ、もちろん』
何が、とはあくまで付けずに日向がそう問えば、一呼吸置いたのちに、はっきりと言い切る小気味良い返事が返ってくる。
「なら、いい」
『ふふ…あなたもでしょう?』
「…ああ」
お互いにそれだけを確認しあうと、余計な事は告げずに電話を切って、日向は大きく伸びをした。
血なまぐさい歓迎せざる事件があって、知り合って。
そんな殺伐とした出会いでも、それでも確かに交わって。
…無関心を装うには、皆、あの時に力をあわせ過ぎた。
悲惨としか言いようのないあの夏の事件で知り合って。
色々と迷惑を被られるし、腹の立つこともしばしば起きるけれど。
「合縁奇縁、てヤツかねぇ…」
…それでも結局、日常で円舞を踊るように繋がりあって、そして認め合ってしまったのだ。
《式神使い達の円舞・完》