「むー…」
金美姫は先ほどから何やら悩んでいた。
「ああもう、気にいらないッ!」
しばらく唸り声を上げつつ考え込んでいたようだったが、その解決の糸口が見えない悩みに 結局業を煮やしたらしく、気分転換なのか大きく伸びをしつつ盛大に悪態をついた。
「美姫。何をそんなに怒る、してますカ」
「大正」
「バトゥさん心配してマスよ。もちろん私も、そして日向サンも」
「ふん、犬はどうでもいい」
「美姫…」
日向の名前を出したとたんにさらに不機嫌になってしまった従妹に、金はさてどうしたもの かと日向…ではなくバトゥと視線を合わせた。
「何をイラついている?」
そうすればバトゥはすぐに美姫のそばへと近寄って、多分彼女の不機嫌の元であろう日向を 伺い見ることができないように、その前を己の身体で塞いでしまう。
「…うー…」
「美姫?」
「どうした」
すると偶然金とバトゥが並んで立つ形になってしまい、それを見た美姫はまた不機嫌さを顕に して唸り声を上げ始めた。
「美…」
「……だ……」
「何?」
「何でお前達はそんなにデカいんだっ!」
「…………」
「…………」
「…………」
これには黙って事の成り行きを見守っていた日向を含め、その場に居合わせた男性陣全てが 言葉を失った。
「エート…何を言ってますカ美姫?」
そんな中すぐに立ち直ったのは流石に付き合いの長い金で、心持ち疲れた表情をしながら従妹を 窘める。
「お前がこんなに大きくなるなんて…」
しかし美姫にしてみたら、金が一番の背が高いことに不満があったらしく。
「あの小さくてトロくていじめ甲斐のあった可愛い私の大正が、まさかこんなに大きくなる なんて詐欺だっ!」
と、美姫は叫びながら金の前に立ち、自分の身長との差を恨めし気に睨み上げた。
「そんなコト言われても…」
金とて好き好んでこんなに背が高くなった訳でなし、それにここまで上背があるとそれはそれで 苦労も多いと言うのに、我が従妹と言えど随分な言い種である。
「背が高い、それは私達一族の特徴デスし…」
「そんな事は言われなくても判っているから今更言うな」
アジア圏内というか韓国人としては、金はおろか美姫だとて女性にしたらかなり背が高い部類に 入るのだ。
「…で、お嬢さんは何がご不満なんだ?」
そこに玉砕覚悟で割って入ったのは、金とバトゥ(そしてこの場に居ないロジャー)と比べたら、 どうしても「小さい」となってしまう日向である。
「不満?」
「ああ。まさか規格外にデカい金やバトゥよりさらにデカくなって、こいつらを見下ろしたい とか言う訳じゃないんだろう?」
「そんな訳あるか馬鹿か貴様」
「コラ、美姫ッ」
何度注意しても日向を嘲る美姫を叱る金だったが、当の日向はその点についてはすでに諦めの 境地で。
「なら、金達がデカい事によってなにが『出来なくて』不満なんだ?」
「む…」
腐っても探偵なだけに洞察力は優れているせいか、金やバトゥが気付いていない美姫がいわんと している事に、日向はきちんと気付いていた。
「何かしたい事があったのか?」
言葉に詰まったということは即ち日向の推測が正しいという事に、バトゥは感心しきって美姫に 詳しく話すように促すのだが。
「……したい事……?」
一人金だけは何か思うことがあるらしく、ぴたりと張りついてくる従妹から離れようとじりじり 後退し始めた。
「あ、思い出したな」
「イヤアノ、美姫。今の私にアレは無理ですヨ?」
「判っている。だから苛々してるんだ」
「苛々って…だいたいアレは子供の頃のハナシでショウ」
ほんのり頬を赤く染めながらじりじり後ずさる金とは対照的に、何が嬉しいのか美姫はそんな 従兄にぴたりと張りついて追いかけてゆく。
「子供の頃は私の方が大きかったから」
「ソレはそうですけど、今は私が大きいデスッ」
「全くだ。こんなにデカくなるなんて、私の密かな夢をぶち壊しにしてくれたな」
「そんな夢持つ必要ないデスよッ!」
「……仲が良いな」
「………全く」
じゃれ始めてしまった金達を眺めながら、残された方は揃って肩をすくめている。
「大体夢言うならソレは私相手でなく、バトゥさんでしょうッ」
「俺かッ?」
だが助けを求めるように金が名を呼んだ事により、のんびりと傍観してなどいられなくなった。
「判っている!だがバトゥだとてお前に負けず劣らずデカいじゃないか!」
「何言ってマスか、そもそもアレを美姫がやろうとする、ソレがおかしいデスよッ!
アレは貴女がバトゥさんにしていただく、しなサイッ!」
「待て、何の話だ」
金も美姫も負けじと言い合っているが肝心なことろに《アレ》という代名詞を使われては、 バトゥにしたら話を振られても全く会話に入り込めない。
「私がやりたがって何故おかしいんだ。どうせお前より小さい犬だってやっているんだろ?」
「…そ…ッ、れは、そう、デス…けど」
「なら何処がおかしい」
「ああもう…女性がアレをやりたがる、普通おかしいデスよ…」
「待て待て、だから何の話をしてるんだお前さん方」
バトゥばかりでなく今度は日向をも巻き込んで、金と美姫のじゃれあいは続いてゆく。
「さっきから何を話題にしてるんだ?」
「あー…と」
たじろぐ金を見兼ねての日向の助け舟なのだが、肝心な金は美姫が自分にやりたがっている事を どうにも話したがらなくて。
「…その様子だと『イタシタイ』…ってのじゃぁないな」
しかし日向としては美姫がどれだけ金に執着しているのか嫌と言う程思い知らされている分、 金がその手の意味で今更知られて口篭もるコトはないと踏んでいて。
(生真面目な金にそんな事を口走ろうものなら、彼は(例え恥ずかしさに泣きながらでも)美姫 に説教を食らわすはずである)
「犬は私の大正より小さいクセに、なんでアレが出来るんだ」
「…美姫。確かにゲンノジョーは俺や従兄殿より背が低いかも知れないが、それでもこの国で 考えたら十分高いはずだぞ」
そう言いながら美姫を金から引き離すバトゥは、恋人が自分ではない他の男に張りつくのを咎め …た訳ではなく。
「(ゲンノジョーはともかく)従兄殿を困らせるんじゃない」
元々持ち合わせた懐の広さが大海原並みだったのか、それとも伊達に傭兵として修罹場を潜り 抜けてはいないためか、とにかく金から美姫を引き離して置いた方が良さそうだとの本能が 告げた為の行動であった。
「女だからって、できないとは限らない」
「いい加減にしなサイ美姫!私の体重では無理デスッ!」
「あ、そういう事か」
「ゲンノジョー?」
諦め切れずになおも近寄ろうとする美姫に金は半ば本気で怒りかけていたが、その時の言葉で 日向は二人が何について言い合っていたのか閃いた。
「判った。完全にとはいかないが、お嬢さんの望みは叶えてやれるぞ」
「何!」
「エ?」
「は?」
さらりとそう言ってのける日向に、三人から歓喜と驚愕と、そしてそのどちらでもない疑惑の 声が上がる。
「バトゥ」
「なんだ」
日向はくいくいっと手先で招き寄せたバトゥに一、二言こそこそ囁くと、バトゥは言われた事を 理解しかねたのか一瞬だけ眉を潜めたのだが。
「大丈夫だ。少なくともお嬢さんはな」
「…俺には理解できん」
肩をすくめて苦笑と共にそう言われ、半信半疑のまま美姫へ向きなおる。
「美姫」
「なん…うわっ!」
金から叱られかけてむくれている美姫に声をかけると同時に、バトゥはいきなり彼女を横抱き …つまり『お姫様だっこ』で抱え上げた。
「バトゥ!」
「お前さんは、ここに座っていろ」
「…は…?」
しかしそれは先ほどまで座っていたソファへと戻すためで、それが達成されてしまえば後はただ 美姫を宥める為に頭を撫でている。
「さて、と。金さんや」
「ハイ?」
それを見届けた日向が、今度は自分の番だと金へ近づいて。
「お前さんの大事なお嬢さんの為だ。少ーしだけ我慢してくれないか」
金が人型の自分の瞳に非常に弱い事を承知でサングラスをずらし、赤面して固まる事も確信しな がら不意打ちに場違いな程優しく微笑んでみせて。
「…ぅ…」
「お嬢さんのために、な?」
「何…をォッ!?」
いつまで経ってもそれに弱い金は日向の狙い通り硬直してしまい、その瞬間我が身に起こった 事を理解出来ずに素晴らしく珍妙な悲鳴を上げてしまった。
「ナナナナナナナナナナナナニーッ!!」
「…今日は満月期じゃないから流石に重いんだ。だから暴れるんじゃない」
月が満ち始めているとはいえ満月期ではないせいで、バトゥが美姫を軽々と抱え上げたようには いかず、多少よろけながら日向が金を横抱きに抱えてみれば。
「…そ…それは私に対する嫌味かっ?はたまた挑戦なのかッ!?
どちらにせよ貴様殺スーッ!」
「…何で俺はこんな所に居合わせてるんだか…」
激怒のあまり髪の毛を逆立てる勢いで日向を睨む美姫に、常識を捨て切れずやりきれなさに そっと溜め息を吐くバトゥ。
「バトゥっ、お嬢さんをちゃんと座らせておけッ」
「……美姫」
それでも一応日向の指示には従う気があるらしく、腰を浮かせかけた美姫の肩を押して座り 直させて、後は…やっぱり盛大に溜め息を吐いた。
そんな二人に横抱きにされた姿を晒す金は、当り前だが日向から逃れようと身を攀るのだが、 そこで何か一言二言囁かれた途端ぐっと唇を噛み締めおとなしくなって。
「お嬢さんの細腕じゃ流石にコレは無理だが…」
「あ」
「……」
「ま、こういう状態で納得してもらえんかね」
ソファへ座る美姫の膝の上へ、彼女が横抱きにするような垂直になる形で下ろされた。
「たまには良いことを思いつくな犬!」
「そりゃどうも」
形は違えど幼少の頃の夢が叶った美姫は歓喜極まりなく。
「…従兄殿、なんなら俺は席を外すが」
「ダイジョウブです…」
最早抵抗する気も失せたのか、げんなりしたまま現状に甘んじている金を、バトゥはせめてもの 気持ちで気遣った。
しかし金としてもただ耐え忍んで居るわけではなく、それなりにきちんとした理由があるわけで。
(こんなトコふみこさんに見られたくナイですし…それに我慢したら日向サンの毛皮をもふもふし放題、許されましたしッ!)
『我慢出来たら今夜は好きなだけ毛皮を触らせてやるよ。
それにいい加減ここらで一時の恥と妥協しておかないと、金と暇を持て余した恐怖の女王が 箒に乗って押しかけてくるぞ』
と、先ほど日向に囁かれた言葉に説得されたが故だった。
「諦めました。ええ、こうなった美姫に何か言う、本当に無意味知るしてマスから」
「…そうか。スマンな」
別にバトゥが悪いわけではないのに、金の心中を察したせいか思わず謝ってしまう。
「うん、これで我慢してやる」
そんな複雑極まりない状態の二人をよそに今の状態に満足したらしい美姫は、グルグルと猫が 喉を鳴らして飼い主に甘えるようにして金に顔を擦り寄せて。
「バトゥとは後でするからな」
「俺もなのか!?」
「私の嫁なんだから当り前だ」
…と、新たな爆弾発言をしていた。
(何で俺が…)
(…頑張れ)
美姫を知れば知るほど性格が掴めず振り回されてゆくバトゥに、ぐったりとした様子で彼の肩を 叩き力ない応援でバトゥを庇う気のない日向と、それから。
(…本当にスミマセン…決して悪気がある、違いますカラ)
よく知った従妹なのに振り回されっぱなしの金は、ただただ必死に謝る事しか出来なかった。
が、今回はこれで無事に(え?)収まりそうであった為、金は気付かなかった。
(うん、子供の頃夢見たその1はこれで我慢してやる)
そう、己の従妹が幼少の頃自分に何をしたがっていたのかすっかり忘れていたのである。
金を筆頭に三人が、再び美姫に振り回される日は近い。
【小さな恋のメロディ?完】