旅立つ彼にとって必要なのは、仁王剣だけで。
預けられた先が、先なだけに。
来ないで下さいと、そう手紙にしたため願われて、それを受け入れたのは自分。
それに会えばきっと、触れずに、ましてや見送ることなど出来なくなるから。
必ず生きて戻れる保証のない旅路の前に、そんな弱い自分を彼にだけは見せたくなくて。
心配も不安も憤怒も焦燥も激励も、そして何より愛しさを。
この地から世界から去り行く彼に対する、自分が抱くありったけ想いを込めて。
「俺は、お前さんを待っている」
彼がその身以上に大切にしている預けられたままの剣と共に、間違いなく彼の手へと渡されるように、日向はとある小さな鈍い銀色の品にその想いを全て乗せ。
「だから、ちゃんと帰って来い」
信じているからと、その言葉だけを魔女に託す。
刑期と引き換える形で他の世界の動乱を鎮めるという、なんともやっかいな依頼を受けた金は。
住み慣れてしまっていた独房から出され、久しぶりに道士服へと袖を通し、これまた久しぶりに宝剣である仁王剣を手にしたその日。
仁王剣を預けた先がふみこ・O・Vである以上、届けてくれるのはその彼女の元で絶対の忠誠を誓う万能執事であると、そう確信していたのに。
「………………」
「何?私が届けにきたらおかしいとでもいうの?」
「イイエ!」
わざわざ届けに来たのが、預かっていてくれていた本人であるとはついぞ思わず、久しぶりの再会に金は思わずふみこに見惚れてしまった。
「全く、黙って行こうとしなかっただけでもマシではあるけれど。
…あなたのお陰で、何処かの誰かさんは情けないくらい意気消沈してるわよ」
「うっ…」
しかしすぐに現実を突きつけられ、その原因が自分に起因していることを重々承知の金は、受け取ったばかりのギターケースを抱いて言葉に詰まる。
「そもそもよりによって、何故この日なの。この日に旅立たなくてはならない理由なんてないでしょう」
「な、なくはない…デス」
「そう?…まあ、折角の誕生日に戦地に赴くなんて、余程の理由なのでしょうね」
「余程…。ハイ。私からする、とても大切な理由デス」
しかしそれでも、自分の誕生日に旅立つことを選んだのは金本人で。
「今日向こうへ渡れば…それだけ戻るまでの時間が増える。急いで向かえば、その分だけ増えるシマス」
「帰ってくるつもりはあるのね」
「ハイ。私はここへ、必ず帰ります。あの方のお祝いをする、その日まではなんとか」
自分の誕生日などより、今日この日会うことは出来ないと、そう断った大切な彼のために。
道士としての自分の責務を果たし、生きて彼の元へ帰るのだと、そう言って金はふみこへ微笑んだ。
「そう。その覚悟なら私は貴方を送り出してあげるわ」
そしてふみこもまた同じように微笑み返すと、背後に控えていた万能執事から何かを受け取って金へと差し出した。
「何デスカ?」
「お守りよ。持ってゆきなさい」
「エ」
「貴方の、貴方のためだけのお守りよ。
生きて戻ってくる覚悟のある、潔い貴方のためだけの、ね」
手を出すように命じられ、それに金が素直に従い右手を差し出せば、そこに乗せられたのは鈍い銀の輝きを見せる一つの鍵。
「何処かの誰かさんは、意気消沈しながらも、今日新しい事務所へ引越しの真っ最中よ。
そしてその飾りをつけた子供たちも、貴方を見送りたいとわがままを言わずに、素直に引越しの手伝いをしているはず」
手に乗る鍵には、白に近い銀の輝きを持つ細く長い鎖が取り付けられていて。
そしてふみこの言う通り、金が見慣れた銀灰色の毛で編んだ飾り紐が、その鍵を守るように付いていて。
「帰ってくる覚悟のある貴方を、皆待っているわ」
今日引越しをしている、新しい事務所で。
金が今手にしている鍵を持ち帰り、扉を開けて入ってくるのを待っているのだと。
「新しい事務所の大切なスペアキーよ。なくさないように、せいぜい頑張って来ることね」
新しい場所で、今まで通り金の居場所を用意して待っていると、その想いは見えぬ言葉となって金に痛いほど伝わった。
「…………無くしまセン。こんな大切なモノ、なくせない………」
誕生日に去り行く金へ、仲間からの小さな小さな贈り物は。
必ず戻ってくることを約束させる、鈍い銀色の輝きを持つ一つの鍵。
「さあ、それを早く首につけなさい。用意がすんだら貴方を向こうへ送り込むわ」
「エ…まさかふみこさんが?!」
「これも餞別代わりよ。それよりも、さっさとしなさい。時間が惜しいのでしょう?」
「ハ、ハイッ」
そういうが早いがふみこはその場へ大掛かりな魔方陣を描き始め、金が大慌てで大切なお守りを首に下げる、それを確実に見届けて。
金が一つ深呼吸をした直後、前を見据えて魔方陣の中心へと飛び込むその間際。
ふみこは日向から言葉だけで託された想いを伝え、それに対し金もまた言葉だけで想いを残す。
「…全く、この私を使い魔のように扱うなんて、典雅さのかけらもない男共ね。
さて、この代償はどう回収しようかしら…」
魔方陣と共に金の姿が消え、静まり返った場で楽しげにそう呟くふみこの言葉の意味は、後々二人揃って知らされることとなる。
………それは恐らく、金が皆の元へいることが当たり前になっている、日向の誕生日の話。
【銀の約束・完】