「ありがとう、大正殿」
「私は何もしていまセンよ?」
「最初の言葉通りさ。…ここに貴殿が現れてくれて、本当に良かった」
「エート…私だけ、とは少し違う…デス」
しばらく笑いあった二人だったが、ロジャーの心からの感謝の言葉に、金は言いにくそうに視線をずらして眉間に皴を寄せる。
「………あぁ。そういう事か」
金が言葉を濁し視線を逸らせる理由に気付いたロジャーは、彼の背後に怒気を隠すことなく佇むその人物を視界に捕らえると、一転してそちらに見下したような視線を向けた。
「エート…その。…そろそろ日向サン、こちらに来る頃思います。
ここでお月見、誘われるしましたカラ…」
しかし金は自分がやってきた方角に背中を見せているため、その日向がすでにこの場に居合わせている事には気付いていなくて。
「喧嘩、しないで下サイね?」
「……善処はしよう」
ロジャーを追い出すことなどできないし、かと言って顔を合わせる度に火花を散らす二人の関係に、一人胃を痛めているのも金自身。
「大正殿」
なんとかならないものかと、眉間の皴を深くして俯いて考え込む金を、ロジャーは軽く顎を掬い上げて上を向かせて。
「それこそ大丈夫さ」
「エ…?………ロイさ…ッ!?」
今度は自分が金を宥めるように、慣れた仕草で頬に額に、そして……。
「!!」
一瞬だけ、ちゅっとわざと音を立てて掠るように唇を重ねたのだ。
「もうっ!何します…カッ?!」
挨拶として顔に口付けられるのは平気でも、流石に唇にされたら驚くわけで。
瞬時にぼっと顔を赤らめ、ロジャーから距離を置こうと後ずさろうとした金は、いきなり背後から腰を引き寄せられてバランスを崩し、危うく倒れかけた所をしっかりと抱き止められた。
「待たせたな」
「ひゅうがサン…」
いきなり現れ抱きすくめられたことに、金が驚きを隠さずに肩越しに振り返ると、日向は腰に回した腕をそのままに、手にしていたビニールの袋からビールを1本取りだして、それをロジャーに差し出した。
「…よぅ、エセ忍者。生きていたのか」
「ふん。貴様こそ魔女殿から剥製にされてはいないようだな」
「………」
言葉とは裏腹にやたらにこやかな笑顔でそれを受け取るロジャーの姿に、金は泪目になりながら、視線だけで喧嘩はしないでくれと訴えた。
「一緒にどうだ?」
「…遠慮しておこう。野暮な真似はしたくないからな」
しかし二人は取立て嫌味の応酬などもせず、驚く金をよそに、ロジャーはその場を立ち去るために背を向けてしまった。
「今日はありがとう、大正殿」
そう言葉を残すと、ロジャーは振り返らずに肩越しにひらひらと手を振りながら去ってゆく。
「ア、アノっ!」
展開に付いて行けず、日向に背後から抱きすくめられたままぽかんとしていたせいか、金は慌てて「お気をつけて!」と声をかける事しかできない。
だがロジャーは一瞬だけ足を止めて金を振り返り、「貴殿も」という言葉と笑みを残し、そのまま月明かりの下の暗闇の中に、その黒衣を紛れ込ませるように消えてしまった。
「ッ、日向サン!」
「……」
「…おおおお月見、しまショウっ!!お茶、買ってくるしてくれたですよねッ!!」
しばらくロジャーが消えた方角を見て惚けていた金だったが、背後にある不機嫌な日向に気付いて、慌てて身体を反転させビニール袋から飲み物を受け取ろうとして…。
「ひゅうが、サン…」
それらが大分汗をかき、なんとなく温くなり始めていることに気が付いた。
金がよくよく日向を見やれば、彼は確かに不機嫌なことは不機嫌なのだが、それは金に対しての物ではなく、どうやら自分に対しての物のようで。
「日向サンは、やはり優しい方ですネ…」
「………別に」
いつもならとことんロジャーに対して邪険に扱うのに、先ほどの彼に対しては、日向は日向なりに気を遣ったのが原因らしい。
「本当は随分前にここに来る、していたのですネ」
ここからすぐ近くのコンビニの袋なのに、ビールが温くなるのを判っていて、あえてロジャーがいつもの調子を取り戻すまで邪魔をしなかった。
「あいつの事なんざ知ったことか」
「……」
ロジャーも渡された缶ビールの具合に気付いたからこそ、余計な挑発をすることもせず、邪魔をしないようにとこの場を立ち去った。
「ちょっと出るタイミングを間違えたら何だあれは。腹がたつ」
だが金に対して置き土産のように余計な手を出された事に、どうにもこうにも腹が立って仕方がないらしい。
「笑うな。俺からしてみれば、せっかくの月夜があいつのせいで台無しだ」
ぶすっとふてくされている日向の姿に、申し訳ないと思いつつ金は笑いを堪えられない。
金が嬉しさのあまり笑いを堪えられないのが判っているだけに、日向は何も言えずに金を抱き締めているだけだったが。
「日向サン」
「なん…」
金から不意討ちで軽く口づけられ、一瞬なにが起こったのかと、目を見開いて間近にあるその顔を凝視する。
「私がこういう事をしたい思うのは、日向サンだけですから…」
しかし金はそれだけに留まらず、今度は自分から日向に抱きついて唇を重ね舌を差し入れて深く口づけた。
「…ン…、私がこうするのも…、あなただけです…から…」
瞬時に主導権を奪われて、思う様舌を貪られて上がる息の中、金は必死に日向に訴える。
角度を替え何度も何度も唇を貪られ、金は身体の内側から沸き上がる熱を堪える為に日向にしがみつく。
「…に…」
「金?」
しかし、ただ抱き締める為に背中に回されていた日向の腕が、明確な意思をもって道士服の裾をたくしあげ始めたことに、空中で舌を絡めながら金は上がる息で嫌だと訴える。
「月、に見られる……します……カラ…」
しかしそれは日向を拒絶するものではなく、ただ単に場所が嫌だと訴えるものだから。
「日向サン…」
呼吸を整えさせるべく唇を解放して抱き締めてやると、金は何ら抵抗なく日向の腕の中に収まった。
「……随分素直だな」
「……」
柄にもなく弱さを見せたロジャーも、いつになく素直に日向に身体を預ける金も。
この欠け始めた夜空の主の光に、いつもと違う自分を晒け出しているのだろうか。
…しかし日向は、たまにはそれもいいかと思うだけで。
「月の光のせい…か」
手にしたままだったビニール袋を金に持たせて、それとほぼ同時にこの月明かりに相応しい、本来の姿である銀灰色の巨大な狼へと変化して。
『しっかり捕まってろよ、金』
背中に金を乗せ、一路自分の領域へと戻る為に、月の光を思う様浴びながら跳ぶように駆け始めた。
「月の光に当てられるのも悪くないか…」
…月の光は優しくて、それでも少し、意地悪で。
決して陽の光のように強くはないけれど、全てを包み込むように柔らかい。
それは全てのものに平等に降り注ぎ、そして少しだけ…饒舌にさせるモノ。
【饒舌な月・完】